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Holiday Pop Up Market in Toronto

気付いたらトロントのTJWKのイベントは明日! Centre for Social Innovation (CSI) Annex にて2pmから10pmまでいます。Bloor & Bathurst の交差点から南に下がったところなので交通の便は抜群。CSI主催のポップアップアート・マーケットなのですが、遅い時間帯のほうが出店者は多いみたい。私は独りでずっといますが。 日系のイベントではないし、トロントの若い子たちが集うようなイベントかも。CSI Annexに興味がある人もこれを機会に場所を見に来るっていうのもいいかもしれません。CSIって一応「ソーシャル・イノベーション」を謳っていますが、個人事業主の貸事務所で、ついでにいろんなパーティ&イベント(コメディショーとか)もよくやっているので面白い場所です。 今年はロンドンにいたせいで冬の販売チャンスを逃してしまうかも!と思っていたのですごくラッキーです。今回新たに作った(作り変えた)ものはこちらです。 タブレット・ケースとして最初に作ったけど、ショルダーバッグに作り変えました。赤いギンガムの内布付き。可愛いですよ。 モチーフをいつもと違った感じでつなげてクッション・カバー作りました。 30cm角で小さめ。クッション入れ口はボタンで閉じます。北海道から送られてきた糸でつないであります。 CSI Holiday Pop Up Market December 11 (TH) 2pm to 10pm Centre of Social Innovation (Annex) 720 Bathurst Street, Toronto, Ontario M5S 2R5

An Artist of the Floating World

ロンドンにいる間にカズオ・イシグロの本を読んだ。血は日本人だけど、英語でしか書いていないし、しかも書いている英語がとてもブリティッシュ。「カズオ・イシグロが好きなんですよね」とイギリス人に言うと、読んだことのある人なら「彼は日本人なのにイギリス人以上にブリティッシュだよね」などと言う人もいる。 私が読んだのはこれで三作目だけど、どれもこれも大した事件も何も起こらず、淡々と時間が流れていき(ページをめくり)、七割読んでも、いや八割読んでも、「一体何の話なのだろう」と思ってしまう。教授に「どんな話?」と聞かれても返答に困る。そこで、彼にも『日の名残り』を読んでもらい、その素晴らしさや不思議さを理解してもらい、「すごく面白いけど、まだ何も起きてないよ」というと、「へえ、やっぱり!」と気持ちがわかち合えるようにはなった。 この『浮世の画家』(邦題)は前に読んだ二作に比べると、「何も起こらない」ことにかけてはもっとすごい。小津安二郎の「東京物語」を過度に期待して観て「えっと…それで?」と思ってしまうのに似ているかも。『浮世の画家』のストーリーの設定は太平洋戦争直後の日本。あの時代のアッパーミドルクラスな家族が非常に回りくどいイギリス英語で会話している。実はそこがとても面白い。ちょっと古い時代の上下関係や、家族関係や、男女差など、直接はっきりとものを言うことが憚られる要素に溢れ、会話のまわりくどさは半端ない。今の尺度で計るとイライラするぐらい。 しかも時代は「第二次世界大戦直前、直後」で、その戦争に加担してしまった過去の責任を問われている男が主人公。でもその責任を問う人たちが社会的人間関係でいうと、その男の下に位置づけられていて、目上の人を敬うとか個人よりは個人が帰属する団体を重視する文化により、そういう文化の外側にいる人からは何の話なのかわかりにくい構成になっている。 でもこれってすごくない?だって本当に日本って第二次世界大戦のあたりのこととなると避けてしまいたいことが多すぎて、すべてが曖昧で、ズバっと言語化することを避け、禁忌を破ることができず、時が解決してくれ、みんなに忘れてもらえることを願っているフシがある。そんな禁忌を破れない人々のまどろっこしい会話が丁寧さだけはイッチョマエのイギリス英語でまどろっこしく書いてある。丁寧さだけはイッチョマエの日本語との恐ろしい共通点… アメリカナイズされてしまっていて(?)現代に生きる私は、読みながら「ああイライラする!はっきりモノを言え!はっきりと!」と肩に力が入りながらも、私の中の日本人の部分が「そこは厳しいよね…」と同情もする。 こんなにも日本の痛いところを最後の最後まで日本っぽく、英語で書いてしまうカズオ・イシグロはやっぱり面白い! これ1986年の本。

ロンドン日記 その26

イギリスの「パブ文化」がとても気に入った。 ロンドンはどうも朝が早いようで、夕方の5時にはパブは座れないぐらい人で溢れ、立ち飲みしながらおしゃべりしている。さすがに5時は私には早すぎたけど、10時前とかもっと遅い時間にほぼ毎日のようにどこかのパブに出掛けていた。仲間同士なら、一杯目は誰かの奢り、二杯目は別の人の奢り、と順番に奢っていくこともあって、いつもまでもおしゃべりは続く。結局自分のお財布から出て行くお金は変わらないのに、こういうかんじで代金を支払って飲んでいると、「奢り奢られ」の関係ができてうれしく感じる。こういう飲み仲間を見つければ案外イギリス社会に溶け込む突破口になるのかも。 アイリッシュやブリティッシュ系の「パブ」はもちろんカナダにもたくさんある。違うのは創業年数とビールの種類と立ち飲みしている人が少ないことかな。カナダは土地は広大だからな。イギリスのパブは創業三百年なんてところもある。 ロンドンのパブのラストコールの鐘が「カーン!」と鳴り響くのにも慣れた。あれが聞こえると、もう一杯注文しにいく。基本的にはこの最後の一杯を飲み干すまでは店は客を追い出さない。途中で音楽が止み、掃除が始まっても、飲んでいていいし、ようやく最後の最後になって「あと10分で閉めるから」と言いに来るところが多い。 イギリスのビールはFuller’sなどの大会社のビールしか知らなかったけど、地ビール専門のパブも探せば結構ある。北米だとものすごく強いIPAが流行っていて多いけど、ああいうものは少ない。どちらかというと喉ゴシがソフトなものが多いような気がする。 店によって「ジョージアン・パブ」だとか「ビクトリアン・パブ」とか書いてあるんだけど違いがよくわからない。人に聞いたら、建築スタイルの違いじゃない?と言っていた。その人もわからないらしいけど。ジョージアン・スタイルなら入口が四角く、ビクトリアン・パブなら入口がアーチ型だとか… ホントかな。

ロンドン日記その25(カンタベリー)

少し前に遡るけど、突然思いついて一人カンタベリーへ。チョーサーの『カンタベリー物語』のカンタベリー。イギリス国教会の総本山があるところ。カンタベリー大聖堂が伊勢神宮なら、『カンタベリー物語』は『東海道中膝栗毛』だな。どっちも読んだことないけど。 カンタベリー大聖堂が巡礼の地になったのは、トマス・ベケットという大司教が殉教してからとのこと。聖堂の中で残酷な様子で殉教していてそれが見所。ヘンリー八世の暴虐の跡も見ることができる。ヘンリー八世はローマ・カトリック教会と袂を分かち、イギリス国教会を立ち上げ、その首長になったのだから、もともとローマ・カトリック教会だったカンタベリー聖堂はそのとばっちりを受けている。そのほかにもいろんなとばっちりを受けているので、その「傷跡」は色々と聖堂内にうかがえる。ちなみに私は「ザ・チューダーズ」が好きなのでヘンリー八世は私の脳内ではいつもジョナサン・リース=マイヤーズ。 蝋燭の灯っている場所に祭壇があったのに、ヘンリー八世の命令で破壊 修復中のステンドグラス 私が訪ねたのは夏の観光シーズンも終わって、ひっそりとした時期。この大聖堂とセットで世界遺産になっている聖オガスティン修道院は閉まっていたし、聖マーティン教会もその日は閉まっていた。しかし、聖マーティン教会の墓地が見事に緑色に苔むしていて、古い墓石をたった一人で見て歩くのは神秘的体験。昼間なのに誰もいなくて、私が歩けば鳥がバサバサバサッと逃げていくので恐ろしい。聖マーティン教会は英語圏で最も古いキリスト教の教会で、建物にはローマ人の作ったレンガが使われている。そんなところにたった一人。墓石が崩れ落ち、棺桶が半開きになったとしても不思議はない。墓地好きのイギリス人知人とここの墓地がよかったと伝えたら「あそこはいいよね!」と目を輝かせていた。 聖マーティン教会 当たり前だけど、人の少ない教会を訪ねて、教会とは祈りの場なんだなとあらためて思った。霊験あらたかな気持ちになれる。独りだし、夕方にもまた大聖堂に行って変声期前の少年たちの賛美歌合唱とお祈りを聞いてきた。これは毎晩やっていて、誰でも参加できるらしく、参加者は地元の仕事帰りの人や家族連れなど、総本山なのに地域密着している様子。お祈りもイギリス国教会だけあって「Save the Queen」という文言があった。 カンタベリーはロンドンからは乗り換えなしの電車なら55分ぐらい。簡単に日帰りできる距離なのにロンドンに嫌気がさした私は二泊。人に話したら「あんなとこで二泊?」と驚かれた。カンタベリーの町には大学が二つ三つあって若い子が多い。彼らがいなければ結構地味な街かも。 宿泊のホテルの私の隣の部屋に犬連れの老夫婦が泊まっていて、犬を置いて食事に出掛けている間、おいてけぼりの犬がギャン鳴き。小さなホテルだったので、宿泊客がほぼ全員フロントに文句を言いに行き、「犬が可愛そう」ということでホテルの人がわんこを救助。その後勢いでみんなでお酒を飲みながらおしゃべりタイム。そんなことを知らずに戻ってきた老夫婦は平謝り。

ロンドン日記 その24(エディンバラ)

ロンドンから帰ってきた。食中毒から復活したかと思いきや、寒いカナダに戻ってきて風邪気味。三カ月の留守の間にいろんなものが郵送で送られてきていた。こういうときに限って面倒なものが郵送されてくる。その内容も「電話してこい」とか「ウェブサイトをチェックしろ」というものがほとんどで、それならメールにしてほしいな。まだまだ滞在中の出来事が書ききれていないから、ロンドン日記は記録のためにしばらく続けよう。 スコットランド紙幣 エディンバラ旅行の続きを書こう。 かつては英国王室の豪華ヨット、今は博物館になっているブリタニア号がエディンバラにある。そんなことは現地入りしてから知ったが、行ってみたらショッピングセンターの裏側にあった。出入口はショッピングセンターの中から… ブリタニア号は97年イギリスによる香港返還のときにチャールズ皇太子とパットン総督を乗せて香港を去った船。あの頃、お金のある香港人はカナダに押し寄せたし、この船を見物している今、香港では民主化デモが繰り広げられているし、不思議な巡り合わせ。 ダイアナ妃とチャールズ皇太子のハネムーンもこの船で(嗚呼...)ウィリアムとハリーも幼い頃これに乗ってカナダのトロントに来ている。 エリザベス女王にとっては思い出がいっぱい詰まった船で、おそらくこれで航海中はプライバシーも守られてのんびりできたに違いない。この船の引退式には泣いたといわれている(その番組を最近見たけど本当に涙目だった)。船が老朽化してお役御免になったのだけど、これを動かすのに三百人ぐらいの人員が必要。贅沢だということで新しいヨットは作ってもらえなかったとのこと。まあ飛行機で自由自在に迅速に旅ができるようになる前に作られた船だから、今はこんなのにのってちんたら世界を旅しない、ということなのかも。 ブリタニア号の中にあるものは皇室の人たちの寝室、オフィス、居間、晩餐会を開く大広間、船を見守る海軍士や船員たちの部屋などなど見るところは多い。船の一部が喫茶室になっていて、海を眺めながらアフタヌーンティーも楽しめる。私は晴れ女。このアフタヌーンティーの時間も空も海も澄み渡り至福のときを過ごすことが出来、ラッキーだった。 前回も書いたけど、スコットランドはもう一度是非訪ねてみたい。いつか機会があればウェールズやアイルランドにも足を伸ばしてみたい。

ロンドン日記 その23(エディンバラ)

長逗留だと思っていた英国滞在もいよいよ最終週を向かえ、ロンドンの喧騒(実はアパートの喧騒)から逃れてカンタベリーに一人で行ったり、毎日仕事仕事に追われている教授に「せっかくのチャンスなんだから旅行しよう」とエディンバラに行ったりしていた。そして食中毒になった。 エディンバラから帰りの電車でご飯食べようとしたら、サンドイッチがすべて売り切れ。棚が空っぽ。仕方がないので「スシ」を買ってきたという教授。日本人である私には見た目で「ノーサンキュー」なスシだった。どう考えてもこれにあたったと思う。教授はあたらなかった。スコットランドのおいしい生牡蠣食べてあたるなら納得もいく。しかしX&Y(あえて実名は伏せよう)のスシであたるなんて悔しさ百倍。5時間に及ぶ列車の旅は胃痙攣に悩まされ、痙攣の波間に編物をした。なんとか持ちこたえた。ロンドンの地下鉄に乗るまでは… 青い顔をして乗り込んだ地下鉄。目の前にはマクドナルドのお持ち帰りを抱いているティーンエージャーの集団。あのニオイに悶絶死寸前。ヒー!カンベンしてぇ!教授に引き摺り下ろされてプラットフォームへ逆戻り。 さてさてエディンバラについて。 ロンドンからは電車で片道5時間ほど。エディンバラ城とブリタニア号を見てきた。今年9月にUKからの独立を問う住民投票を行ったばかりのスコットランドは、11月末に行ってみたらその痕跡も見られなかった。 エディンバラにいる間もずっと快晴で、カールトン・ヒルに登ったときに見渡したエディンバラの町がとてもきれいだった。もっと時間があれば別の地区にも足を伸ばしてみたいし、スコットランドのほかの地域にも行ってみたい。 J.K.ローリングがハリポタの物語を考え付いたといわれるカフェがあり、覗いてみると結構込み合っている。周辺にカフェはほかにもあって「彼女はほかの周辺カフェにも行っていたんじゃ…?」と疑いの目を向けてしまうが、他人の夢は壊してはいけない。 エディンバラ城で「スクーンの石」なるものも見てきた。この石に辿り着くまでの展示に熱が入っており、スコットランドのプライドというか意地を感じる。この石はイングランドに奪われたのがやっと20世紀になってスコットランドに返還された。これまでの戴冠式では、ウェストミンスター寺院にある戴冠式に使われる椅子の下に置かれて、昔は「イングランド王がスコットランドも制する」ことを象徴していたらしい。一応エディンバラ城での説明では、伝統を伝えるため次の戴冠式にもロンドンに送る、ということであるが、果たして本当にこの石がロンドンに戻るのか気になるところでもある。そのときにもう一度住民投票したら今度は独立できるかもね! イギリスでもそうだし、もちろんカナダもそうだけど、特に第一次世界大戦からの戦没者を追悼する日にかなりの国民がちゃんとその記念バッジを身につけたりするし、戦没者を弔っている教会などに足を運ぶ人は多い。エディンバラ城の中にもそういう場所があってちゃんと写真撮影禁止だし、戦没者を弔っているという感じがして羨ましいと思った。小学生の子供がテレビで「自分には関係のないことだけど、自分のおじいちゃんやおばあちゃんにはとても大切なことだから」と言っているのを聞いてさらに羨ましく思った。 エディンバラ城の近くに「エディンバラで一番高いところにあるパブ」に行った。ウィスキーの試飲もした。タータン織工場に行ったら日曜は休みだった。 前のエントリにも書いたけど、UKの外国人労働者がとても気になる。エディンバラのレストランのウェイターがイタリア人で「今日が初出勤」だという。イタリアから来て二日目で、ユースホステルに宿泊しているとのこと。英語はまあまあなのに性格が大人しめなのか、まだ来たばかりで緊張しているのか、自信ゼロでレストランを徘徊している。私もレストランじゃないけど、似たような経験はあるからつい同情してしまう。イタリアでは週20時間で雇われても「今日は無料奉仕の日だからね」などといわれ、契約どおりには給料がもらえない、でもUKなら最低限契約どおりに払ってもらえるから、という彼の話を聞き驚いた。UKでも契約不履行はあると思うけど、少なくともイタリアよりはましだろうと思って、身一つで来ている。若いからできるよね。 ブリタニア号について書きたいけど、それはまた後で。食中毒から復活中なので体力温存!

ロンドン日記 その22

ロンドンに来て最初に気付いたのは、カフェ、レストラン、パブ、洋服屋さんなどの店員が外国人である確率がとても高いということ。英語がよくできる人もいれば、そうでない人もいる。私の住んでいるノッティングヒルなど、そういうところで働いているのはほぼ間違いなく外人。 オックスフォードに行くバスに一緒に乗り合わせたオーストラリア人の女の子は「先祖ビザ」という、イギリス連邦に居住する人対象の、祖父母のどちらかがUK市民であれば何年かUKで就労できるというビザを利用して、老人介護の仕事をしているという。彼女の老人介護仲間はだいたいこの「先祖ビザ」でUKに来ていて、住み込みしたり、そうでないときはユースホステルに宿泊して介護しているという。時給7ポンドで、メイドと介護者の区別ができないシニアにパワハラまがいの扱いを受けることもしばしばで、そんな人の下の世話もしているのだ、という話だった。 最近UKのサンドイッチ工場にハンガリー人が大量に雇われるというニュースがあって、それだけではないけれど、ほかのEU諸国(特にポーランドなど)からのUKへの移民は問題になっていて、それがUKのEU離脱議論にもつながっている。それぐらい外国人労働者の問題は根深いらしい。 私はアメリカで永住権を取得するまでの間は外国人労働者の身だったけど、職業柄、居住国で生まれ育った人を脅かしたことはたぶんない。しかもホワイトカラーの労働者。それでも外国人労働者ネタは結構身近に感じることができるので気になる。そしてアメリカ在住歴も長いので、ついアメリカの事情と比較してしまう。 最初翻訳会社にいたときは営業や事務の人も含め社員はほぼ全員外国人だった。アメリカに根を下したいと考えている人たちで、多言語操れることがアメリカ移住への突破口だった。シリコンバレーの会社にいたときも、エンジニアはほとんど外国人で、彼らには技術が突破口だった。アメリカ人で多言語を操れる人も、電子工学を勉強する人も少ないから、こういう人たちはあんまり一般アメリカ人の脅威にはならないし、プライドも傷つけないと思う。合法的に移民してくるし、所得税をしっかり払う良市民になってくれるし、市民権取得するまでは参政権がないから、無口で善良な市民。 アメリカの場合、アメリカ人がやりたくない職業に就くのはメキシコや南米から来る人々。英語は不得手だし、教育水準も低い。密入国、不法滞在を犯してまでやってくる経済難民的な人たち。でもこの人たちがアメリカ人に不安は与えているのは、こういう人たちを密入国させたり雇い入れる裏環境があることじゃないかと思う。 なーんとなくだけど、私の印象に過ぎないけど、UKに他のEU諸国から流れてくる若い子たちは、教育水準も結構高くて、自国の景気が悪いからUKに流れてきていて、そんなに長居するつもりもないから、やりがいのある仕事は求めていなくて、とりあえず働けるだけで御の字という人が多いかもしれない。それは、大してスキルがないけど普通にまじめに幸せに暮らしたいと思っているUK市民にはちょっと迷惑なことなのかも。逆に考えてUKから他のEU諸国に出稼ぎにいくには英語以外の言葉が操れないといけないし、ほかに景気がいいところといえばドイツ… これって、英語しか出来ない人々にとって不利な状況になっているということじゃないかしら。英語以外の言語ができるか、英語しかできなくても何かスキルがあれば太刀打ちできる。 大学も優秀な生徒を世界中からリクルートしているし、国立や公立の大学でさえも、税金を払っている自国の人間を教育するより、海外からの留学生により高い学費を払ってもらうほうが経営面では得。この先、UKの英語しかできないミドルクラスの人は苦境に立たされるのじゃないかしらと思ったりする。 話はアメリカに戻って、彼の地には「アメリカン・ドリーム」という一攫千金でスーパーリッチを夢見る文化があるためか、どう贔屓目に見ても社会福祉の恩恵を受けるストライクゾーンど真ん中にいる人が、国民皆保険制度とかネットの中立性(これは誤解されていると思うけど)に対して、「いつか自分もリッチになるかもしれないから、福祉も規制も大反対」する傾向がとても強い。 ロンドンに来てから、よくこんなことをつらつらと考えてしまう。

ロンドン日記 その21

気がつけばロンドンも残り二週間。 これは先日目の前で起きた地下鉄の衝撃的な出来事。 夜飲んだ後の帰宅の途中、地下鉄の電車に乗り込んだら、酔っ払ってぐったり座席に倒れこんでいる女が一人。異臭にハッとして彼女の寝ゲロに気付く。 「やだなぁ寝ゲロ。生きてるのかしら、この人」と教授に踏まないよう注意を促す。私の向かい側に座っている女がスマホを取り出し、寝ゲロの女に大胆にカメラを向ける。写真なのかビデオなのかはわからない。「撮るならもっとこっそりと撮ればいいのに」と思っていたら、案の定、若い女二人組がツカツカとやってきて、 「ドゥー ユー シンク イッツ ファニー?」 と詰問した。「具合の悪い人の写真とって、何がおもしろいんだよ、そんなもん撮ってんじゃねーよ」と。 でも私と同世代と思われるスマホの女はひるむことなく 「イエス。イッツ クワイト ファニー」 と負けない。しばらく三人は「具合の悪い人の写真とって、おもしろいの?」「ええ、そうよ、とても面白くってよ」と同じことを繰り返していたが、やがて二人組は呆れ返って遠巻きに様子を見ることにした。よほど腹が立っていたようで、イタリア語に切り替えてスマホ女の非難をしていた(私はイタリア語はわからないので想像)。 やがて一駅過ぎたところで二人組は降りる。スマホの女も降りた。降りたとたんにスマホの女もイタリア語で罵り始めた。やだー、三人ともイタリア語が話せる!!ホームで女の戦いが繰り広げられていた。20秒ぐらい。ドアが閉まったとたんに車内に残った男たちが「オオー!スゴかった」などと軽口をたたき始めた。 もう一駅過ぎると、今度は寝ゲロの女がむくっと起き上がり、ヨダレを手で拭いてフラフラと降りていった。何事もなかったかのように… すごい! 私だったら絶対にカメラを向けないけど、仮に私がスマホの女の立場だったとして、自分の行いを公衆で突然あのように窘められたらどうするかなんて考えたらゾワゾワしてきた。 しばらく前ニットナイトでも、編み物している私たちを面白がって、勝手にカメラを向けて写真を撮った通りすがりの男がいた。それを見つけた瞬間、ニット仲間の一人が立ち上がって 「デリート ザット フォト!」 と男のほうを指差して、腹の底から大声で叱りつけた。そのときも私は咄嗟の彼女の行動に驚いた。まったく彼女の行為は正しいんだけど、私もそんなふうに言えたらいいんだけど、咄嗟には出てこないと思う。男は「てへ」と苦笑いして逃げていった。きっと写真は削除せずに、無礼な一言を書き添えてどっかにアップしたかもね。 自撮りを嘲笑う人は多いけど、自撮りのほうが無邪気でいいよね。 ロンドンで観た映画 The Imitation Game ブレッチリー パークに一緒に行った仲間と映画を見た。とてもよかった。映画は事実にそんなに忠実ではないけど、映画として面白くするにはあれでいいよね。でも最初の暗号解読はポーランド人がやったのだから、ちょっとポーランド人が気の毒。 Gone Girl 面白かった。あれに近い操作巧みな女は結構いると思う。 Maps to the Stars お・気・に・入・り ロンドンで観たミュージカル Sunny Afternoon 教授が「ロンドンでミュージカル観たい」というのでロンドンでしか観られなさそうなものを探した結果がコレ。 The Kinksのデビューから、アメリカ閉め出し食らって、立ち直る(?)までのストーリー。若くてピチピチした役者が本人たちそっくりな格好して歌っているから、ミュージカルというよりモノマネ・コンサートの色合いが濃かったが楽しかった。曲の順番もちゃんとバンドの成長(?)に合わせてある。昼に観たから白髪率が高いのかなと思っていたが、リアルタイムでThe Kinksを聞いていたファンが多かっただけだった。

ロンドン日記 その20

最近のロンドン市内は鉄道の高架下が「熱い」らしく、高架下で地ビールを飲み歩くというお誘いを受けたので参加。ロンドンの地価が高騰しているから、高架下にも手を出しているのかも。歩きながら地ビールはのんびりしていて楽しかったけど、集合時間に2時間も遅れた。それというのも「シティ オブ ロンドン」のパレードの交通渋滞に巻き込まれたから。パレードに参加する騎馬隊を見ただけで、パレードは見逃したけど、後で人に教えてもらったところによると、面白そうだった。ビールなんか飲んでる場合じゃなかった!特別なイベントを逃した。 そもそも「シティ オブ ロンドン」というのを知らなかった。シティ オブ ロンドンには別の市長がいるし(ボリス・ジョンソンじゃなくて)、ここはUKよりも歴史が古く、イギリス女王ですらここに入るのに許可がいるという。詳しい説明はウィキペディアにまかせよう。 厳密に言えば私はロンドン市じゃなくてウェストミンスター市かケンジントン&チェルシーにいるらしい。広義には「ロンドン市」なのだが。 この前日には人に呼ばれてエセックスの田舎に行ったら、ピンク色の外壁の家が目に付くので聞いてみると、「昔は塗料に豚の血を混ぜていたから」と説明を受けた。ピンクだからといって迂闊に「可愛い!」とはしゃいでもいられない。もちろん今の塗料には血はさすがに入っていない... さらに、エセックスの田舎で白鳥が泳いでいたのだけど、この物知りな案内人が「イギリスでは白鳥は女王の所有物なのだ」という。後でイギリス王室のウェブサイトに行ったらちゃんとそう書いてあった。白鳥を食べる人は今はいないらしいが、勝手にそこら辺を泳いでいる白鳥を捕まえてはいけないし食べてはいけない。唯一勝手に捕まえられるのは女王なので宮廷の晩餐にたまーに白鳥が供されることがあるとまことしやかに伝えられているらしい。 そして日曜の夜、ブリクストンという下町な地区にライブを見に出掛けていった。ライブといっても普段は道端で音楽を奏でている大道芸人なので、行ってみたら、内輪と地元の通りすがりの人と私たちしかいなかった。このバンドはフツウなのだけど、他の人たちがクセモノ(?)で、女の子二人組みが「女王なんて大嫌い、女王も私のこと嫌いだけど」とか「ドイツに帰れ!」(イギリス王族は遡ればドイツのほうから来ているので)とかウクレレとバンジョーをかき鳴らしながら楽しそうに歌っているではないか。しかも彼女たちは子連れで来ていて、「明日学校があるから」と早々に帰っていった。イギリス王室はかなり開けているのかもしれない。

二人のマンデラ – 知られざる素顔

11月5日は私にとって記念すべき日です。翻訳を始めてから初めてのメジャーな出版翻訳をしたのですが、その本の発売日だからです。 出版翻訳は漫画の英訳をやったことがあって、世界中にファンはいるらしいのですが、サブカル度の高い漫画だったので、ファンの人には「すごーい!」と言われたものの、それ以外の人に話すと、「何ソレ」とか「聞いたことない」と散々で、挙句の果てには絵を見せると「怖い!キモい!」と本を放り投げる人までいる始末でした。 それが今回はネルソン・マンデラについての本なので、周囲の反応も好意的で、嬉しい限りです。しかもロンドンはヨハネスブルグとあまり時差がないし、マンデラはイギリスとの関わりも深くて、今ロンドンにいるのがちょっと嬉しいです。記念にロンドンのパーラメント・スクエアにあるマンデラの銅像とツーショットでも撮ろうかなと思っていたのですが、緊急の仕事が入り身動きできなくなったので、テムズ川南岸にあるウォータールー駅近くの別の頭像の写真をアップします。酔っ払って撮影したので、どこにあったのか正確な位置が思い出せません。 FBでは散々自慢しまくっていましたが、ここではちょっと真面目に。自慢でも何でもありませんが、この本を訳しているときに、マンデラの生き方や考え方にインスパイアされて、確認のために何度も音読しているときに、畏敬の念からですが、何度も目頭が熱くなりました。マンデラといえば二十世紀を代表する偉人ですが、彼が自分の過去の過ちを認めて見直しをしたことや地道な努力、冷徹に計算できる人でありながら人間味溢れるところを、公私のエピソードを交えて紹介していくのがこの本です。マンデラの身近にいたジャーナリストのジョン・カーリンの視点や筆を通じて、マンデラの政治家としての黄金期にあらためて感動を覚え、その最期を惜しみながらも偉業を称える気持ちが伝わることと思います。人に対する思いやりを忘れずに、互いを尊重しながらも意見の違いを話し合うことが、地道ながらも勇気ある行動であることは、他人を罵倒したり、二極化や対立を煽る行動がいかに単純であるかの裏返しでもあります。いったん生まれた対立や隔絶を修復するには、それこそマンデラのような稀代の偉人が必要です。だからこそ、今この本が出版されたのだろうと思います。予備知識がなくても読める本ですし、わからないことがあればインターネットで検索してマンデラの解放や演説のビデオを観れば、もっとよく理解できると思います。そしてもっと深くマンデラを知りたい人には、マンデラに関する、数々の著書もあたってみるといいと思います。