動画を作り出したのは、ユーチューバーになりたいなどと誓いを立てたからではない。仕事用のウェブサイトの維持に年間約100ドル払っているので、有効活用したいと思っていたのだ。そこへコロナ禍。外出しなくなったので時間ができたというわけ。 日本に一カ月いたときに、5歳の姪っ子と幼児向けのユーチューブ動画を散々見ていたおかげで、動画の作り方(編集ソフトの使い方とかじゃなくて、構成というのかな?)を門前の小僧的に学んでしまった。まあ、その頃からアイデアを練っていたのだけど。 そんなわけで、動画をひとりでせっせと作っている。脚本を書き、人間の言葉をオウム返しするぬいぐるみに演じさせ(私が演技している)、小道具を用意し(ミニチュアが役に立っている)、スマホで撮影し、パソコンで編集している。これを劇団「ひとり」と呼ぶことにする。 動画はせっかく作ったからあちこちで晒している(ウェブサイト、ユーチューブ、インスタ、ツイッター、フェイスブック、ノート)。実は、コンテンツマーケティングの本を最近翻訳し、必然的にアメリカのユーチューバー(子どもから大人まで)のチャンネルを翻訳中に見まくっていた。私も昨今の流行に乗っただけのことなのだ。動画のプロトタイプを作っている間に、友達に私のロゴを作ってもらった。ロゴのおかげですべての作業が一層楽しくなった。遊びは何でも派手にやらなきゃね。ロゴはいくつかパターンかある。わたしと言えば「おかっぱ」、そんな提案をしてくれるのも友達ならでは。 仕事用のウェブサイトでは、本当は英語書籍の紹介をするはずだった。でもそのようなことをやっている人は大勢いるので、その人々にお任せしたほうがよいと思う。もちろん私もときどきは紹介する。紹介はしたい。でも今は動画を作りたい。作った動画をエージェントさんに見せたら「面白い!」と言ってくれた。明らかに「本業にはまったく無関係だけど、新しい能力を身に着けるのはいいんじゃない?」的な意味でだったが。 で、私のユーチューブチャンネルはこちら↓↓↓ https://www.youtube.com/channel/UCBd4mjw_nis2I8ojIMhC3VA/
Category: 雑記
アムダールの法則
仕事で「アムダールの法則」を学んだ。と言っても、この法則に基づいて計算ができるようになったわけではない。理解するのにすごく時間がかかったので、書き残しておこう。
2020年謹賀新年
He ain't a rat! あけましておめでとうございます。といっても、私にはクリスマスもお正月もなく、ずっと仕事をしていました。刑務所勤務の人がホリデー出勤すると給料が倍になると言っていたの聞き、「私にもその手があったはず……!」と自分の愚かさに気づいて年を越しました。これが終わったら南国の島に行きたい! こんなふうに引きこもり気味で仕事をしているときの体重増加は私の長年の課題ですが、今回も鏡をじっと見て、「こんなことってあるのかな?」というくらいにふっくらしていました。3月に親戚の結婚式に出席するので、そのときに痩せていたい! とダイエットしていたはずなのに…… ずっと前に母親から「私にもこんなに太っていた時期があったんやねぇ」の言葉とともにもらった着物があるのですが、どうやら、その着物を来て出動するときが来たようです。昨年2019年は、骨盤の骨を折る怪我をしましたが、怪我のおかげで親しくなった人もいるし、何より人にやさしく接してもらえたことや、世の中を障害者目線で見れたこと、人にやさしくなれたことが(既に薄れつつあるけど)収穫でした。ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、日本と旅をして、ミュージカルや歌舞伎を堪能したり、友だちとしゃべり倒したりするのも楽しかった。そして、念願の句会を始めたのもうれしい。怪我をしていることを知らない仕事関係の人たちからは、面白い本の翻訳やレジュメ作りの仕事を次から次へともらい、充実した一年でした。でも、その反面、個人的に書いているものが今年も完成しませんでした。来年2020年は、なんとかこれを完成させたいです。仕事用のウェブサイトを作り変えたいし、日本とアメリカ以外の国にも行きたい。今年もどうぞよろしくお願いいたします。追記:チェブラーシカはねずみじゃないけど、ねずみのマトリョーシカを持っていなかった。耳の位置をずらせば、ディスニーのアレに見えなくもない。
クリスマス生まれ
Raptor's Game 私はクリスマス生まれなんですよ。姉も妹もクリスマス近辺に生まれてるから、子どもの頃は「みんなの誕生日+クリスマス」でケーキ1個でごまかされてきました(別にそれが当たり前だったので不満に思っていなかったけど)。なので、何の祝日ともかぶらない普通の日に生まれた人、いや、自分の誕生を祝うためだけに人が集まってくる人の気持がわかりません。今年の誕生日当日は友だちに連れられて、トロント・ラプターズvsボストン・ケルティックスの試合を見てきました。友だちは私がクリスマス生まれだと知らなかったらしい。私はてっきり知っているから誘われたのだと思っていた。まずはアリーナ内の食事しながら試合が見られる席で食事して、その後ボックス席に移動し、試合を堪能。自腹では絶対にできません。試合そのものは面白くもなんともない内容だったけど、アリーナ全体がクリスマス仕様になっていて、夢や幸せに満ちあふれていました。ところで今年はプレゼントにiPAD miniをもらいました。miniが欲しかったのは、老眼にスマホがつらいことと、寝転びながら使うときに、ウトウトして顔に落としてもまあ大丈夫なサイズがほしかったから。iPADを買い換えるのは8年ぶりぐらい。新しいのは軽いね! 顔に落ちてきても痛くないわ!
遂にHamilton
Hamilton at Chicago シカゴで「ハミルトンでも見るか」と思い、チケットの値段の高さにひるんだのが3年前。チケット買ったのに、開演時間までにニューヨークにたどり着けなかったのが今年8月。そんな紆余曲折を経て、今年10月やっと、シカゴで念願のハミルトンを見た!! リベンジの日がこんなに早く訪れるとは思ってもみなかった。2015年の初演から4年もかかった。来る日も来る日もサントラを聴いていた。同じようにサントラを聴きまくってから劇場に足を運んだ友達からも「サントラどおり!」と聞いていたが、まさにそのとおり。英語に自信のない人にはサントラをよく聴いておくことをお勧め。あと『Hamilton』はアメリカ建国のお話なので、少しは勉強していったほうがいいとは思う。外国人が何の予備知識もなしに歌舞伎を見てもわからないのと同じで、予備知識がないと、ラップでアメリカ建国史を歌われてもな....... ということになりかねない。歴史をアレンジして作られた演劇や映画、書物はバカ売れすると、「史実を捻じ曲げている」的な批判が必ず出てくる。確かにバカ売れすると 、それをつい情報源にしてしまう。徳川光圀のことをあまり知らないのに『水戸黄門 』のせいでよく知っていると思い込んでしまうのに似ている。『Hamilton』は『水戸黄門 』ほど史実から乖離しているわけではないけど、初演当初は著名な歴史家たちがミュージカルと「史実」の違いを説明する記事もよく出ていた。でもこのミュージカルはそもそもハミルトンを筆頭にアメリカ建国の父たちとその周辺の人々を有色人種が演じているので、「史実は違う!」と目くじら立てるのも変。私は、にわかにアメリカ建国史に興味を持ってしまったので、このミュージカルの原作を読もうかと思っている。それより、最近うるさく言われる「文化の盗用」。『Hamilton』もアメリカの保守系の論客に「文化の盗用」だと批判されている。カナダ首相も総選挙直前に昔のハロウィーンで「アラビアン・ナイト」の扮装で顔を黒塗りした写真が流出し、何回も謝罪していた。 この場合は黒塗りがアウトで、コスチューム自体はOKなのだと思うがよくわからない。かつての私の上司は日本が大好きだったのでハロウィーンで着物姿になっていた。きものはコスチュームではないけど、日本人でない上司のきもの姿が滑稽だったし、何より本人が大喜びだったのでハロウィーンの馬鹿騒ぎにぴったりだと私は思っていた。仮に私がハロウィーンで「トランプ大統領」に白塗りして変装すると「文化の盗用」になるのだろうか? トランプを差別してはいないけど尊敬はしていない。でも、仮に私が「ベトナムの笠をかぶった農民姿になってハロウィーンやりたい」とする。私はベトナムの農民を差別してはいないけど、悪趣味だとバッシングされそう....... 非常に面倒くさい話だ。要は、嫌いな人が悪趣味な格好をすると「文化の盗用」と騒ぎたてることが許される状況になっている気がする。だから嫌がっている人が多いんだと思う。こういうこともいろいろ含めて『Hamilton』は本当に面白かった。もっといい座席で見たかったのが残念でならない。
ブログ引越して、その後
なんか、ブログを引越してみたけど、あの無料のブログサイトってのは、なんかこうヒット数が高くなるような仕掛けがあるのかしら(広告を貼るわけだから)。それとも、15年もやっていたから? 新しく引越したブログよりも、今でもヒット数がうーんと高い。(それか読書感想文の宿題のため、パクリに来ていた人が多かったのか。私の古いブログには「読書感想文」という検索ワードで来る人が多かったのだよ...)この新しいブログは有料なので、広告が勝手に表示されない代わりに「ヒット数を上げたければ金を払え」といろんなサービスやツールがある。有料サイトと無料サイトの存在意義は全然違うなと実感。新しいプログは自由になる部分が多すぎて使いこなせていない。なぜお金を払ってまでここに引越したのか、それはひとえに、ヤプログのファイル形式をそのまんまインポートできたから。実は、今の仕事が終わったら、ずっと書いてきた小説をぼちぼちここに載せようか(まだ未完で歯抜け状態)、と思っている。ずっとコーチングをしてくれていた人が、「人目に晒さないと書ききらないし、書きづらいとこはいつまでたっても書かないからね」と言うので、彼女と約束してしまった。確かに、人目に晒したほうがいいかも、とは思う。ヒット数がないので晒しても恥ずかしくはない。私が恥ずかしい人だと知っている人しか見に来ないから。しかも英語で書いてるし。「晒します」という宣言もしないとだめだよ、とコーチに言われたので、ここに宣言します。
夏の終り
北国に住むようになり、夏との関係が変わった。夏は、来るときは私を散々焦らし、去るときは置き手紙すら残さない。8月後半の晴れた日でも、ぱっと窓を開けると、「あ....... もういない」と直感的に感じる。夏は虚しさを教えてくれる。今の私からは想像もつかないけど、子どもの頃は野球ファンで、プロも好きだったけど、夏の甲子園を観戦するのが好きだった。トーナメント戦の「負けたら終わり」に儚さや悔しさを教えてもらった。特に、第四試合とか遅めの試合が好きだった。試合の後に、バァーっと二階に駆け上がり、屋根に登って、夕焼けを見ながらこっぱずかしい詩を作って、ひとり泣いていた。「第四試合後の夕焼け、見たことある?」と、踏み絵的によく人に訊いていた(わかってくれる人とは親友になっていた)。ある日、その詩が姉に見つかって「曲つけたるわ」と言われ、地獄の思いをしたのを覚えている。姉に作曲の才能があったわけではなく、でたらめに大声で歌われただけ。誰かに「虫除けにタンスの引き出しには新聞をひくとよい」と聞き、新聞をひいておいた。実家に帰ったとき、引き出しを開けたら、新聞がスポーツ欄で、巨人の定岡が20勝を上げていた。あらためて読みふけってしまい、断捨離に新聞は禁物、ということを学んだ。
永遠に続くものはない(2)
このブログの引っ越しで、永遠に続くものはない、と思っていた矢先 、大好きだった毛糸屋がのれんを完全に下ろすことになった。トロントに引っ越したての頃、暇をもてあまして編み物ばかりしていた。そのとき常連になった。 2年ぐらい前に店舗の家賃が高騰してオンラインショップになり、そして今回の店じまい。オーナーは65才になり人生の優先事項が変わり、「小売業から卒業」してもいいと思えるようになったとソーシャルメディアで告知があった。それを読んでいて目頭が熱くなった。まあ、こういう日が来そうな気はしていたけど。 「手芸好きのイメージ」を売る店ではなく、トロントでは数少ない、本当に編み物が好きな人に毛糸を売る店だった。 私はあの店のためにサンプルを編み、毛糸をいっぱい買い、オーナーや店員と仲良くなって、本を勧め合い、近くを通ったときは用もないのに立ち寄っていた。TJWK のチャリティを始めたときも、毛糸をたくさん寄付してもらった。ロンドンにいたときもアメリコの毛糸を持っていって編んでいた。 寂しい。チェーン店はなくならないけど、個人商店はいつかは消える。 アメリコの毛糸で編んだセーターを断捨離しようと思っていたけど、やっぱりキープ。心がときめくから。
ブロッグお引越し
ヤプログのサービス終了ということで、引越し先を考えている。 忘れていたけど、グーグルの Blogger や、Note や FC2 などにもアカウントがあって、下書きがいっぱい見つかった。この中のどれかに引っ越しするか、有料だけど仕事で使っている WordPress に引っ越しするか...... とても悩ましい。 このブログはテンプレートの模様(だけ)が気に入っていた。おそらくこれを使っている人はあまりいなくて、カフェで私のブログをパソコンで開いている見知らぬ人も見かけたこともある。おしゃれですっきりしたテンプレートとか嫌いじゃないけど、自分らしくない。でも好きなテンプレートを探すのも面倒くさい。このテンプレートのデザインをした人、譲ってくれないかな。 このブログは 2005 年の夏、姪っ子に勧められて始めた。元々書くのが好きだったのもあるけど、私が言いたいことは対面で話すと嫌われかねないことも多かったので、ブログの楽しさを知った。 昔のエントリは本当に書きなぐっていたので間違いだらけなので、葬りたい。ここ数年分はどこかに引っ越しさせてそこでも読めるようにしたい。でもそういう作業が面倒くさい。 永遠に続くものはない、と思い知らされた。
mansplain
日本の参院選が近づいているから思い出した。 私の実家では、大人が食卓で政治や経済について話すのが普通だった。選挙が近づくと、家族として誰に投票するのか話し合っていた。と言っても、祖父、父、母の三人だけだけど。 で、なんとなく母親が本当に家族会議で話し合った通りに票を投じているかどうかは謎だった。というのも、祖父が「ワシに言わせると…」と口癖のように言うので、母は、後でこっそり、「アンタの話なんか聞いてへんわ!」とつぶやいていたからである。誰に投票するかは最終的には自分で決めることだし。祖父はとうにいなくなり、父と母は今でも二人で新聞を広げて、世の中のことを話し合っている(けなし合っている)。 ちなみに、祖父は家の中では「ワシ」、外では「僕」と使い分けていた。 男性は、何かにつけ女性に説明したがる傾向にある。そういう行為を英語では、man + explain で mansplain と言う。どれくらい市民権を得ているスラングかはわからない。女の人は影で使っているけど、面と向かって男の人に言わないから(言うと喧嘩になる)。
