Once Upon a Time in Hollywood

すごく期待していたわけでもなかった。でも「あの事件」をよく知っていないと、映画の前半からドキドキはしないし、最後は笑えないよね、きっと。 結果的に独りで見たけど、最後は叫ぶわ、笑うわで楽しんだ。一緒のノリの人と「面白かったー!」と言いたかった気もするし、「つまらない」と言われて気分が冷めなくてよかった気もする。 こういう役柄のブラピは好き。

未知との遭遇

『未知との遭遇』を久しぶりに見た。 今のCG満載の映画は最初から最後までビュンビュン宇宙船が飛び交って、動体視力が落ちてきている私にはキツイ。でも『未知との遭遇』の特撮はゆったりスピード。UFO はたまにしか現れないし、ゆっくり動く。だから楽しめた。 リチャード・ドレイファスが演じてるあの男…… あれはミッドライフ・クライシスだったんだね! 今気づいた。現実逃避型のクライシスのようだけど、だからこそあのクレイジーさに信憑性を感じた。 話は変わって……  ここ数日トロントでも珍しく暑く、リハビリ帰りに台湾アイスクリームを店内で食べていた。そろそろお勘定を、と思ったら財布がない。店の人に事情を話したら、「WePayは?ApplePayは?」とありとあらゆるスマホ決済方法を提案されたが、どれもない。「e-transferは?」と聞いてみたがそれには「ウ~ン」とうなるだけ。店の人は親切で、私が名前、電話番号、メールを紙に書いて残せば、またこの次に来たときに払ってくれればいい、と言ってくれた。 でも、12ドル(パフェのように飾り立ててあるアイスクリームなので高い!)を早く払ってすっきりさせたい。何かいい方法はないかと思案していたら、思いついた。家人にメッセージを送ったら店まで来てくれた(職場が近い)。 こういうときに備えて、どれかのサービスを使うことにする。

Lost Highway & Blue Velvet

今月はデイビッド・リンチの映画が新しいフォーマットになっていろいろと上映されているので、忙しくなる前にと思って、1日に2本見た。Lost Highway を見ただけで疲れたので、帰ろうかと思ったけど踏ん張った。映像のほうはどこが違うのかよくわからなかったけど、音がすごかった。ツインピークス・ザ・リターンを見て、リンチファンが若い層にも広がったのか、若い人でいっぱいだった。一緒に見に行った友達が「デイビッド・リンチを見に来る人は、おしゃれが多いね」と劇場内を見回して言っていたが、確かにそうだった。 Lost Highway はオープニングが素敵。 映画の帰り、あるビルの階段に物乞いをしている女の人が座っていた(『メアリー・ポピンズ』のあのワンシーン、まさにあんな感じで座っていた)。私は通り過ぎようとした。が、友達は「貧しくて困っている女性は助けなくっちゃ!」と言い張り、立ち止まって小銭をじゃらじゃらと取り出し始め、私も出さざるを得なくなった。二人で小銭を出し合っているうち、細かい小銭をたくさん渡すか、1ドル2ドルの小銭で渡したほうがいいかよくわからなくなり、相談しあった結果、混ぜこぜにして渡した。私が渡したわけでなくて、友達が渡しに行き、何やら話しかけて物乞の女性の肩をポンポンと叩いていた。そんな友達をすごいと思ってしまった。私には、小銭は出せるけど、肩は叩けないから。

On the Basis of Sex & After Life

On the Basis of Sex ルース・ベイダー・ギンズバーグの若い頃のお話。ドキュメンタリーの「RBG」を見たので話は知ってる。ドキュメンタリーのほうが面白いかも。 それより、この映画の撮影場所が私の大好きな「マッドメン」と重なっていると思う! そっちに気が取られてしまった。ACLUのオフィスも、ルース・ベイダー・ギンズバーグが住んでたニューヨークの高級アパートも、マッドメンと一緒だと思う!  アーミー・ハマーの野菜を手早くぶった切る姿にちょっと感動。 After Life ネットフリックスで最近一番気に入ったドラマ。リッキー・ジャーヴェイスを見直した。一話30分のドラマは展開が早くていいねぇ。シーズン1は6話。シーズン2が来年リリースされるらしいけど、それはちょっと往生際が悪い気がする。 イーサン・ホークとジュリー・デルピーのあの三部作がぶっ通しで上映されていた。誘われたけど行かなかったのは、ビフォア・ミッドナイトを割と最近見たから。あの3部作は3つとも「夏」だけど、夏ってこう、恋がどっちに転ぶかわからない季節なんだね、と思った。

Toni Morrison: The Pieces I Am

超長いドキュメンタリーだけど、すごく面白かったし、笑えるところもある。『Sula』と『Jazz』しか読んだことないけど、別に彼女の作品を全然読んだことがなくても面白いと思う。トニ・モリスン自身がしゃべりが上手だし見てて楽しい。作家になる前は編集者だったとは知らなかった。シングルマザーで子育てしながら小説書いたスーパー女性作家。見に来てる人も圧倒的に女性が多い。積読本が増えそう。 他人の書いた文章を手直しするときのコツを教えてもらった気がする。心にメモメモ。

Audition

三池崇史のこの映画の20周年記念ということで、画像フォーマットも新しくなって、トロントで上映されていた。誘っても誰も一緒に見てくれなかった。 さすがに初公開から20年も経っているので「わかって」見に来ている人が多く、途中退場する人は少なかった。「ギャー、ウァー、ギャハハ!」と反応している人が多かったような気がするが、気持ち悪いと感じた人は声を出すどころではなかったのかも。後で、多くの人が「ナンダこの映画は!」と楽しそうに語り合っていた。一緒にエレベーターに乗ったハゲのカナダ人のおっさんが、15年前にも見た、と嬉しそうに仲間と喋っていた。1人で観に行ったので、仲間に入って話したかった。 椎名英姫の役が六条御息所みたいで超怖いが、取りつく相手が「男」ってところが現代風。あと、スマホはちっとも怖くないけど、黒電話ってめちゃくちゃ怖い。 話はずれるけど、最近オーディションに落ちた。

Rocketman

イギリスで70年代ぐらいにブレイクして、ゲイだと中々カミングアウトできなくて、マネージャーで苦労して、という流れが「ボヘミアン・ラプソディ」と同じ。エルトン・ジョンは今も生きてるし、映画の感じも違うけど。 エルトン・ジョンの若い頃のパフォーマンスをイギリスで生で見たことがある白黒映画の仲間が「今の子は、エルトン・ジョンっていったって、ライオン・キングぐらいしか知らないわよ!」と豪語していた。それを聞きながら、それすらも25年ぐらい前の話だとは面と向かって言えなかった。彼女的には「割と最近のこと」なんだと思うから。 エルトン・ジョン役の俳優のインタビューを聞いたら、とてもいい人そうだった。本当に歌がうまい。

麻雀放浪記2020

トロントでやっている映画祭で北米初公開の『麻雀放浪記2020』を見てきた。斎藤工も来たから、彼のファン(つまり日本人の女の子たち)も大勢来ていた。まあ、私は別に斎藤工狙いで行ったわけではなく、別のつながりから足を運んだので、そっちのほうの目線で感想を書いてみる。 先日、山ちゃんと蒼井優の結婚の速報が流れたとき、ネットフリックスでテラスハウスを見ている海外視聴者は多いので、山ちゃんの認知度は高かった。で、斎藤工って海外 (のSNS)でどれくらいの認知度なんだろう、とふと思った。まぁ、私の言う「海外」とは「北米」に限定されるが。 せっかくの北米初公開でも彼のような人気者が来ると、日本人ばっかりが見に来る。それはそれで大事なことだけど、水前寺清子が来たって同じことになるので、せっかくの映画の「北米での受け」はわからなくなってしまう。 で、本題。 「おなら」の受け止められ方は、日本とはすごく違う。自然現象だから仕方ないよね、というのが一般認識で、おならで笑いを取るのは比較的低い確率じゃないかと思う。Lost in Translationの典型だと思う。個人差もあるかもしれない。で、私は「おなら」の意味がよくわからず、気が削がれてしまった。 次はタイムスリップ。いつかは元の時空間に戻るのだろうと予想はついていた。話が進み、戻る手段も見えてきた。タイムスリップや天国から降りてくる「降臨型」のお話は、必ず元の場所に戻っていく。そうとわかっていても、もしかしたら戻らない、戻れないんじゃないか、とドキドキするのがお決まりだし、そうドキドキしたい。坊や哲が本物の勝負師なら、AIともっと本気で勝負してほしかった。ましてや昔の人なのだから、AIが何なのか、現代人より知識が乏しいはず。将棋の羽生さんだって、AIと勝負したいと言っているのだから、坊や哲がAIの凄さに気づいたら、現代にとどまり勝負し続けたかったんじゃないのか。そこからAIを愛してしまう可能性も広がる。そしたら、ジャンパイを握りしめた腕を振り上げ、勝負したくても100%で勝負出来ず、腕を振り下ろせなくなる(つまり現代にずるずるといてしまう)可能性もあったと思う。そのほうが納得できた。でも私は麻雀の知識がゼロなので、なんか間違ったことを感じてしまったのかもしれない。

No Way Out

ケビン・コスナーが出てるやつじゃなくて、シドニー・ポワチエのほう。話も全然違う。なんたって1950年の映画だし、「病院唯一の黒人の医者」が主人公(ポワチエ)なので、差別発言が満載。 いやはや、もうちょっと単純な話なのかと思いきや、深かった。差別されるほうも理不尽なことばかり起きるからそうなんだけど、差別するほうも、誰にも愛されなくて、希望もなくて、社会的弱者を盲目的に毛嫌いし、自暴自棄になるから「No Way Out」 ポワチエに「(死なせてやるものか)生きろ」と言われるところが、厳しい。このセリフの直訳は「生きろ」だけど、励ますために言ったわけじゃない。最近、自殺とか道連れとかよくニュースで聞くから、なおのこと深読みしちゃったわ…… 白黒映画じゃめったに黒人俳優にお目にかかれない。白黒映画を見るって「白人っぽい趣味」なんだなと思った。 ちなみに、ケビン・コスナーの『No Way Out』も好き。80年代っぽいから。 映画の後に、骨折中の女(私)、高齢者(女)、車椅子(男)三人で、アイスクリームを食べに行った。私以外の二人が「恋人が欲しい」と言い出し、どうやったら出会えるか、どうやったら同居を避けつつ(今更誰かと一緒に暮らすのは嫌とのこと)、長年寄り添える恋人と出会えるか、という話題に及んだ。一般目線で言うと立場的に不利だし、過去に痛手を負ったことも少なからずあるので、「自分からアタックすることなく」というのが大前提らしい。そこで、「恋人募集中オーラ」を最大限に出す方法はないか(ムンムンさせるのではなく、爽やかに)、策士のように頭を寄せ合って話したけど、別に妙案は浮かばなかった。

Grey Gardens

ドリュー・バリモアのほうじゃなくて、それの元になっているドキュメンタリーを見に行った。ジャクリーン・ケネデイのおばさんといとこが超富裕層エリアで超貧乏暮らしをしている映画。もちろん元々は富裕層の母娘なのだけど、わけあってド貧民に転落し、ラクーンやネズミや猫に囲まれて住んでいるのに、ジャッキーみたいな話し方をしている。ジャッキーにもあんまり自慢できない親族がいたのだね。 ここまで落ちてしまうと、ふたりともホームレス並みに突き抜けている。むしろ、あの屋敷に住む人や動物には魔法がかかっていて、魔法を解いてくれる人が現れさえすれば、母娘はお姫様に、そして動物は使用人に戻るかも、と思わせてくれて楽しかった。 一緒に行った映画仲間(杖仲間だったが、彼女は卒業)と、老後あのような貧困に陥ったら、猫を何匹まで飼うか、と話し込んでしまった。私の場合、すごく愛情込めるなら2,3匹が精一杯で、それ以上になると一部の猫に対して贔屓感情が生まれそう。 映画仲間は絵を描く人なので(趣味ではなく職業が画家)、この映画に何やらインスパイアされたらしく、翌朝「今日は絵を描いてるわよ!!!」と張り切った様子のメッセージが送られてきた。私は、まったくインスパイアされていない。