三重県では大晦日から元旦までオールナイトでパチンコができる唯一の県なのだそうです。39時間連続プレーできるとか。 三重県で生まれ育ち、家族もパチンコしてたのに、自分がやらないから知りませんでした、全国的に大晦日から元旦にかけて営業するのが当たり前だと思っていました。県外生まれの義理の家族が「おお!三重、パチンコでオール!」と言っていたので初めて知った次第です。 三重県のような人口密度の低いところでは、大晦日やお正月を一人で過ごさなければならない人にとって、パチンコでオールナイトはとてもいいことなんじゃないかと思います。家でゲームしたりテレビ見てるより、なんとなく、他の人もいるし、ギラギラ感が寂しさを紛らわせてくれる気がします。 このままこの伝統は続けてほしいです。なんでもグローバルになりすぎて、世界のあちこちの店がインスタのせいで同じような内装になっていて、珍しいものとか、その土地にしかないものがなさすぎで、つまらないです。 上方落語では「時うどん」、東京の落語なら「時そば」。大阪で「時うどん」を聞いて、「キツネうどんが食べたい」と周辺を徘徊しましたが、讃岐うどんのチェーン店しかありませんでした。ちょっと残念。グーグルと相談しながら探したので、本当になかったのだと思う。 これは伊勢神宮の参道沿いにある寄席
Author: Kyoko Nitta
2018年戌年
カナダ中西部と日本を訪ねていた。 日本では笑納めと笑初めをすることを心に決めていた。関西と関東、夜席と昼席、そして越年という要素が絡んだせいか、笑いの雰囲気が違った。どちらも好きだけど、笑納めのほうは、「懐が寂しくたって、一緒に過ごす家族がいなくたって笑い飛ばす」ことを念頭に置いているので、ネタに尖りがあった。笑初のほうは、正月早々尖る気分にもならないし、クスクスと笑って新年を祝いで終わった。 おみくじを引いたら小吉で、いろいろと用心しなければならないことが書かれていた。が、木の枝に結んできたため、内容がいまひとつ思い出せない。 日本滞在中、大阪で新しくメガネを新調するはめになり、それをカナダに戻る日までに東京に届けてもらうことになっていた。が、宅配業者がまさかの紛失。小吉を引いただけのことはある。でもメガネ屋さんの早業と頑張りで、なんと宅配業者が新幹線に乗って菓子折りとともに新しいメガネを持ってきてくれた。お菓子のレベルも高かったので、その努力に免じて今回のことは水に流そう。 日本訪問の一番の目的は姉妹との記念撮影。子供を持つ人たちが七五三などで記念写真を撮っているのを見ていて、私も姉妹とは撮っておこうと思い立ったのだった。「キメ顔」的な写真が私は苦手で、自然なポーズを撮ってくれたので、さすがプロ!と感心。自然な表情に行き着くまでにはプロの巧みな誘導があったのだ。 いろんな人にも再会できたし、黒柳徹子のお宝展「Su・te・ki展」、高麗屋の三代同時襲名の新春歌舞伎もよかった。 帰ってきたら、仕事が… ありがたいことなので幸先のよいスタートなのかもしれない。 写真は毎年恒例の干支ハンカチ。セール品の中に干支ハンカチではない犬のハンカチが … 青いのがそれ。犬ってのがよく使われるモチーフだからだろうか。そしてレノマの干支ハンカチは毎年私好み。ほかのハンカチに比べて値段が安いのもヨシ。
あの頃&記憶の隠れ家
友達に教えてもらってから武田百合子が好きになった。それまでは彼女が誰なのか知らなかった。以来、いろいろ読んだ。既に亡くなっている人は、後から好きになっても著作が増えないのが悲しい。そういう意味でも、武田花の英断はすばらしい。 この本は表紙がとても美しい(表紙カバーを取るともっと美しい)。リバティプリントを拡大したみたいになってる。ふだん電子書籍ばっかり買っているけど、これは中身も特別なので、やっぱり永久保存版として自分用に買う。表紙って大切だよなぁ。 そして小池真理子。「刺繍の家」の家の中の描写が自分のことを言われているような気がしてトホホだった。でも、手芸をすごくやっている人の「狂気」はうまく掴んでるな。でも、同じようなノリの話ばっかり収録されているから、「どうせドッキリさせるんでしょ?」と最後の方は最初から思いながら読んでしまって、面白くはなかった。一気読みしないで、時々1編ずつ読めばよかった。 どっちも、圧倒的に女性読者に人気のある人なんだろうな。
大雪の中で
トロントでは、今年初といってもいい本格的な雪が降りった。横殴りに雪が降っている。その中をみんな手袋をはめ、帽子、マフラー、そしてコートのフードも被って歩く。私はさらに買い物袋を下げて歩く。 そこへ「すみません」とある女が。 変な人かもしれないから、「何ですか?」と警戒しつつ立ち止まった。 「すみませんけど、写真を撮ってくれませんか」とスマホを差し出す女。身なりは普通。 この吹雪の中で? ステキな場所でもなくて、スーパーの前で? スマホなら自撮りすればいいのに、と訝る私。 女は私に写真を撮ってもらえるものと思い込んで笑顔でこう言った。 「こんな雪の中だから、もうコートも手袋も雪にまみれちゃって大変だから、写真撮ってくれると助かるわ」 それを聞いて私は「私もよ。私はあなたの写真は撮りません」と言って去りました。 その女は、去っていく私の背中に向かって「信じられない! 写真を撮ってってたったそれだけのことを頼んでいるのに、拒否するなんて! なんて世の中なの!」と怒っていた。 私は振り返らなかった。 以上、世界三大バカ事件でした。
The Shape of Water
ちょっと前にAGOへギレルモ・デル・トロの展示会を見に行き、助走をつけた感じで「The Shape of Water」を見に行った。 残酷でグロくって、エロくもあり、愛もある。「ひぃ~」と目を塞ぎながら見たけど、とてもよかった。パンズ・ラビリンスと同じぐらいに好きだ。トロントのElgin劇場が何度も出てくるから、地元民は喜んでいた。撮影がトロントとその周辺で行われたとか、監督がトロントの住人だとか、地元愛をくすぐる要素が多いせいだな。私もテンションがあがった。 映画を見る前に、ラジオ番組のインタビューでデル・トロが、あの「魚人」は日本の鯉の版画にインスパイアされて作ったと話していた。鯉というよりカエルっぽい、と思っていたら、最後のほうできれいに光っていた。それより、オクタビア・スペンサーの顔が半魚人っぽい。 http://www.imdb.com/title/tt5580390/ 半魚人といえば、昔会社勤めをしていたとき、ランチによく通ったタイ料理の店に、半魚人にそっくりなタイ人の女の子が働いていた。私たちは愛情を込めて「ハンギョドン」とあだ名をつけ、ハンギョドンも私たちのことを気に入っていた。いつも同じ麺を注文していたので、ハンギョドンは「あんたたちが今日食べるものを当ててやろうか」と自慢げに話しかけるようになった。そしてそれが私たちの「お約束」の会話になった。ハンギョドンは半魚人にそっくりなだけあって美人じゃないけど、ハンギョドンの同僚にすごく美人のタイ人の女の子がいた。その子は、いつの間にか、お客さんらしきアメリカ人白人男性といい仲になっていた。 回りくどい話になったけど、ハンギョドンとオクタビア・スペンサーは似ている!
天使は奇跡を希う
ライトノベルを読んでみた。地方の高校生ライフはこんなもんだったな(学校と家との往復)、と懐かしかった。世の中が変わっているように見えて、別にそんなに変わってないんだな。ヒマを持て余し、自分のことばっかり考えている高校生が言いそうな表現が満載なのも、面白くもあり、オバサンは「おいおい!」と思った。 天使を絡めた純愛の設定はですね、私が大好きだったアメリカのドラマ「Drop Dead Diva」に重なる部分が多くて、それゆえに「Drop Dead Diva」のほうが断然いい!と思ったのでした。少女漫画風ドラマ、アメリカだと「チックフリック」と言われているドラマや映画だと、こういう一度死んで「天使」になって蘇るようなお話は、一方的な女性目線(妄想)で語られることに底知れぬ意義があるのです。故に男性キャラクターは一面的なのです。 でも、なんか、このお話は妙に中性的で(←今の高校生は中性的なのかもしれない)、スマートでピュアそうな話で、面白いとこもあるけど、手垢はついているかんじなところが、二次作品を狙っているかんじがするところが、いかにも今どき。トロントで夏から立て続けにライティングの授業取ってたけど、若い子は、すぐに映像化できそうな同じようなものを書いていたし、講師もそう言っていたので、トレンドなんだと思う。 なんかわざとらしい、と感じたのは風景と町の描写でした。基本、このお話は、地方であればどこでも成り立つのです。ライトノベルであっても、「そういう町ありそう」「これは私の町かもしれない」と思わせるものがあれば、もっと普遍性が高まったのに。 「Drop Dead Diva」の場合は「LA」が放つイメージを利用しつつ、撮影は全然LAじゃない。LAっぽいイメージを利用して視聴者に勝手にいろんなことを想像してもらう作りになっていた。 そこでなければならない、という内側から醸し出すものがなく、無理矢理「なんで?」とすら思わせる書きっぷりに私には思えた。ここまで具体的に風景が限定されていなければ、素直に受け止められたのですが、なんか「誰かに頼まれた?」と胡散臭く感じた。そもそも海に天使の設定に、天使と悪魔と神社の設定に、おばさんは説得力を感じなかったぞ! 神社なら天狗やろ! 余談:一般読者向けではないけど、ブックレビューも私の仕事の1つなので、もしも口頭で尋ねられたとしたら、という設定で、それっぽく書いてみた。
The Heart is a Lonely Hunter
夏に取っていたライティングの授業で冒頭を読んで、面白かったから、本買って続きを読んでみた。邦題は『心は孤独な狩人』。そのままにストレートに訳されてるのがいいな。英語で読んだけど。 1940年に出版された本だから、話の設定は古いけど、そんなにアメリカ(南部)は変わっていないような気がする。世の中が一巡して、2017年にも当てはまるような気がするのかも。それとも、名作だから、いつ読んでも「今にもあてはまる!」と思ってしまうのかも。ちまちました世界で起きている話なのに、ちっともちまちましていない。登場人物がみんな魂を求めて追いかけているから。 社会全体を憂いていてそれを「変えたい」と思っている人は、どこか人を見下している。特に自分の意見に与しない人を「わかってない」みたいに言う。そういう類の人と、自分の身の回りのことだけを一生懸命に守って生きている人が、ぐちゃぐちゃ一緒になっているところが好き。 でも、読んだあとは落ち込むな。 マッカラーズが50歳で亡くなっている、という事実も落ち込ませる。
The Square
映画のポスターを見ても、一体どんな話なのかわからなかった。「ひょっとして、ややこしい話なのでは?」と身構えて映画館へ。監督がこの映画を作るきっかけについて話すシーンから始まったけど、それが非常にややこしそうに聞こえ、「思いっきり寝てしまうかも…」と思っていたところ、そうではなかった。むしろ面白かった。めちゃくちゃ長いとも感じなかった(2時間半)。 主人公みたいに、私もよく気が散っている。たぶん、スマホを持って生活してる現代人はみんなそうなんだと思う。 「銃で脅されるかも!?」とドキドキしたのは取り越し苦労。銃で脅されたりしなかったのは舞台がスウェーデンだからだよな。アメリカを基準にして観てしまった。 http://www.imdb.com/title/tt4995790/ 映画を見る前に、家で仕事するとダラダラするから、と図書館に行って数時間仕事したら、風邪を拾った。やはり冬の図書館に長居するのは無謀だった。
Namaste! Matryoshka
少しトロントから離れ、空いた時間にアンティーキング。既に2回ほど訪れたことのある場所だったけど、こういうところも、クリスマス用に商品入れ替えるのだね。ある程度は。。。 別に何かを買おうと行ったわけではないけど、見つけちゃったもんね。 ナマステ! こういう感じの、サリーを着たインド人、ターバン巻いたアラブ人のマトリョーシカはネットでは見ていたけれど、これはほどよくサビレていている。媚びてない表情も好き。手首が不自然な角度で曲がっているのが特徴。両手にバングル、じゃらじゃら。おでこにビンディがついている子と付いていない子。 2番めの子がうっすらと仲間由紀恵、あるいは壇蜜。
黒柳徹子の本
黒柳徹子ファンなので。不登校になったとか、出社拒否が続いたとか、そんな経験のある人には『トットちゃん』を読んで救われたとか、「休んで『徹子の部屋』見てた」と言う人が多い。私もそう。似た者同士は惹きつけ合うのか、「だよね」「やっぱりね」となる。 最近、本人が高齢になって、半生を振り返るドラマが続いているせいもあって、色々と著作を読み返したり、買ったりもらったりして読んでみた。 武井武雄のこのピクチャーブックは、絵がきれいなのに、文章は黒柳徹子にしては毒が強め。あとがきで飯沢匡が「黒柳徹子にはゴーストライターがいるに違いない」という当時の世間の噂を正面切って否定している(40年ぐらい前の話だけど)。ファンであれこれ彼女の著作を読んでいるとわかるけど、本人が書いている(見たわけじゃないけど)。 徹子の部屋の淀川長治ゲストの回だけを集めた本もすごく面白い。 でも、いくらファンでもそろそろ彼女自身のネタには飽きてきたので、彼女が世の中のことをどう思っているのかを書いた本を出してほしい。本人も報道に興味があるって言ってたし。たとえば、これぐらいのレベルで。 これ、本を開いた時にフォントサイズがあまりにも大きくてびっくりした。読者層は老眼鏡率が高いよね、きっと。90歳超えても佐藤愛子は変わらない。
