ロンドン日記 その23(エディンバラ)

長逗留だと思っていた英国滞在もいよいよ最終週を向かえ、ロンドンの喧騒(実はアパートの喧騒)から逃れてカンタベリーに一人で行ったり、毎日仕事仕事に追われている教授に「せっかくのチャンスなんだから旅行しよう」とエディンバラに行ったりしていた。そして食中毒になった。

エディンバラから帰りの電車でご飯食べようとしたら、サンドイッチがすべて売り切れ。棚が空っぽ。仕方がないので「スシ」を買ってきたという教授。日本人である私には見た目で「ノーサンキュー」なスシだった。どう考えてもこれにあたったと思う。教授はあたらなかった。スコットランドのおいしい生牡蠣食べてあたるなら納得もいく。しかしX&Y(あえて実名は伏せよう)のスシであたるなんて悔しさ百倍。5時間に及ぶ列車の旅は胃痙攣に悩まされ、痙攣の波間に編物をした。なんとか持ちこたえた。ロンドンの地下鉄に乗るまでは…

青い顔をして乗り込んだ地下鉄。目の前にはマクドナルドのお持ち帰りを抱いているティーンエージャーの集団。あのニオイに悶絶死寸前。ヒー!カンベンしてぇ!教授に引き摺り下ろされてプラットフォームへ逆戻り。

さてさてエディンバラについて。

ロンドンからは電車で片道5時間ほど。エディンバラ城とブリタニア号を見てきた。今年9月にUKからの独立を問う住民投票を行ったばかりのスコットランドは、11月末に行ってみたらその痕跡も見られなかった。

エディンバラにいる間もずっと快晴で、カールトン・ヒルに登ったときに見渡したエディンバラの町がとてもきれいだった。もっと時間があれば別の地区にも足を伸ばしてみたいし、スコットランドのほかの地域にも行ってみたい。

J.K.ローリングがハリポタの物語を考え付いたといわれるカフェがあり、覗いてみると結構込み合っている。周辺にカフェはほかにもあって「彼女はほかの周辺カフェにも行っていたんじゃ…?」と疑いの目を向けてしまうが、他人の夢は壊してはいけない。

エディンバラ城で「スクーンの石」なるものも見てきた。この石に辿り着くまでの展示に熱が入っており、スコットランドのプライドというか意地を感じる。この石はイングランドに奪われたのがやっと20世紀になってスコットランドに返還された。これまでの戴冠式では、ウェストミンスター寺院にある戴冠式に使われる椅子の下に置かれて、昔は「イングランド王がスコットランドも制する」ことを象徴していたらしい。一応エディンバラ城での説明では、伝統を伝えるため次の戴冠式にもロンドンに送る、ということであるが、果たして本当にこの石がロンドンに戻るのか気になるところでもある。そのときにもう一度住民投票したら今度は独立できるかもね!

イギリスでもそうだし、もちろんカナダもそうだけど、特に第一次世界大戦からの戦没者を追悼する日にかなりの国民がちゃんとその記念バッジを身につけたりするし、戦没者を弔っている教会などに足を運ぶ人は多い。エディンバラ城の中にもそういう場所があってちゃんと写真撮影禁止だし、戦没者を弔っているという感じがして羨ましいと思った。小学生の子供がテレビで「自分には関係のないことだけど、自分のおじいちゃんやおばあちゃんにはとても大切なことだから」と言っているのを聞いてさらに羨ましく思った。

エディンバラ城の近くに「エディンバラで一番高いところにあるパブ」に行った。ウィスキーの試飲もした。タータン織工場に行ったら日曜は休みだった。

前のエントリにも書いたけど、UKの外国人労働者がとても気になる。エディンバラのレストランのウェイターがイタリア人で「今日が初出勤」だという。イタリアから来て二日目で、ユースホステルに宿泊しているとのこと。英語はまあまあなのに性格が大人しめなのか、まだ来たばかりで緊張しているのか、自信ゼロでレストランを徘徊している。私もレストランじゃないけど、似たような経験はあるからつい同情してしまう。イタリアでは週20時間で雇われても「今日は無料奉仕の日だからね」などといわれ、契約どおりには給料がもらえない、でもUKなら最低限契約どおりに払ってもらえるから、という彼の話を聞き驚いた。UKでも契約不履行はあると思うけど、少なくともイタリアよりはましだろうと思って、身一つで来ている。若いからできるよね。

ブリタニア号について書きたいけど、それはまた後で。食中毒から復活中なので体力温存!

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