ポエム化

いやぁ見てびっくり。「クローズアップ現代」の「ポエム化」についてですが。友達に教えてもらいまして。まあ私はそもそも苦手なんです、相田みつをに代表される「説教ポエム」が。「たくさんの人に元気をあげたい」なんていう文章もキライです!決しては私は文法警察ではありませんよ。

まずは、何に驚愕しているかというと、こちらを見てね。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3451.html

そういえば居酒屋メニューには「相田みつを」フォントが多用されている!過敏になりすぎですかね?私。
クローズアップ現代では「ポエムは前向きそうな、聞き心地のよさようなメッセージを送る」と言っていたけど、私には湿り気たっぷりで、耳障りに聞こえる。そうでなければやたらにうるさい。

私が日本を出たあたりの頃(90年代半ば)ですが、当時の日本の歌は若者がピュアなものを求めて叫んでいるような歌詞の歌が多かったような記憶があるので、今に始まったことでもないような。

大変に昔の話で申し訳ないのですが、ヤンキーの「当て字文化」をふと思い出しました。かつてのヤンキー(80年代初頭ですかね?)は、自分の名前、族の名前、挨拶の言葉などに、難解あるいは不吉な漢字を当てていました。

よろしく > 夜露死苦

などというように。そうしたイカツイ当て字は、若者の行き場を失った叫び、心の尖り、怒りを表現していたものだと思います。

そしてヤンキーたちはそれを油性マジックペンで壁などに書きなぐっていました。一方で、書き慣れない難しい漢字を書き間違えたり、当て字が識者には失笑を買うものになっていてしまったりなど、「おーい、勉強ガンバレよぉ!」と声を掛けたくなるものもあったと聞き及んでいます。非常に直球型であったので、拒否もしやすいし、つつきやすい「気軽さ」もあったのだと思います。そしてヤンキー文化がメインストリームから衰退していくにつれ、当て字による叫びも姿を消しました(よね?)

しかし、ポエム…

私が小学生の頃、詩を書く授業がありました。短ければよいというものでもなく悪戦苦闘している子はたくさんいて、「ボクはあの白い鳥になってあの青空を飛びたい」と書いた男の子が、担任の先生に「お前はアホか。自分の言葉で書け」と無慈悲&無残にコテンパンにやられているのを見た私は、消しゴムで自分の詩を消したものです。

近年はそういう残酷な国語の授業がないのでしょうか?

ポエムと当て字の決定的な違いは「自己陶酔度」か「自己破壊度」のような気がします。ポエムのほうが高そう。ポエムという柔らかさのために受け手も「こんなもんいらんわい」と拒否しづらい。

そこではっと思い当たることが… ハンドメイドのものを人に贈るときの人間関係の機微と作品に対する需要を見極めることができなかったときの「アチャー感」… 手作りのものだからというだけでなんとなく重く、もらった人は捨てられなくて困ってしまう。私はその失敗を何度繰り返したことか!!

そうだな、文章においてもそういう迷惑なことをやったことがあるかもしれない。ブログに出会うまでは、人に手紙やメールをいっぱい書いていたからな。

何が言いたいのかよくわからなくなってきたけど、ポエム文化も飽和状態になって飽きられたらポイされるって。

2006年の時点で私はこんなことを書いていました。相田みつをに代表される詩は苦手なことはお分かりいただけますね。もうこれは、笑いか涙かの好みの問題なので。http://yaplog.jp/bunnybon/archive/169

6 thoughts on “ポエム化”

  1. 私も見た。
    「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」的な、相手に共感を求めつつ、自分の認識を貫かせておきたいという自己主張の表現し易い文体(スタイル)になっているのでしょう。
    きょーたんのブログ後半の「アチャー感」のところは、胸痛く読みました。帰国のとき、変な人形あげたよね。安眠チャーム!!!全部土に返る素材だから、そこんとこよろしく。

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  2. ええ!
    拒否られてたっけ?
    違うよ、私が渡してないのよん。
    当時は、みんなアチャー感を優しく受け止める人達ばかりだったから、「受け取ってもらえなかった」「それはアチャーだから」、という思考回路が私に植え付けられてなかったもの。
    きょーたんのが、私より前にSF去ったものね。。
    引っ越し荷物詰めてる時に思い立って作って、「よく寝られるはずだから」とか言って配ってたんだ。
    まだあるから、送るよw

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