このブログと、仕事用のブログと、どっちにも同じようなことを書いているので、しばらくは仕事用のブログに掲載していきます。kyokonitta.com です。あちらでお会いしましょう。 仕事用って言っているけど、別に今までと変わらずコメント残してもらっても全然かまわないです。
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WOKE
サンフランシスコに行っているときに、エア・カナダが機内放送で「Ladies and Gentlemen」と呼びかけるのはやめて「everyone」と呼びかけることにしたと発表した。変更の動機は、性同一性障害の人などへの理解を示すためなのだけど、「everyone」のほうが短いから楽でいいじゃないの?と思っていた。先日、銀行の窓口で、行員のおばさんが私を接客しているときに、別の誰かに「Excuse me, Ma'am?」と声をかけた。その行員が「おっとっと!『Ma'am』って使っちゃいけなかったんだわ! 今日そういうトレーニングを受けてきたばっかりなのに」と私にこそっと言うので、「なんで?」と聞いてみた。「明らかに女性に見えても、その人が女性であることに違和感をもって生きているかもしれないから、勝手にこちらが決めつけてはいけないの」と言う。そうなのか、もうそういうところまで来ているのか、と複雑な気持ちになり、「複雑だよね」と返事した。失礼にならないようにわざわざ「Ma'am」と言っているのに、「そこの赤い服を着たアジア人の中年!」と言うほうがポリティカリー・コレクトなのだから。she/heを曖昧にできない英文法の悲劇だ。今度は、11月初め、オバマがミレニアム世代に向け、「SNSで人の過ちをあげつらうだけというのは『活動』とは言わない」と発言した。世の中というものはぐちゃぐちゃしていて、矛盾の避けられない場所なのだというようなことも言いたかったのだと思うが、翌日には「オバマも古い」と批判されていた。SNSを駆使する若い世代で、意識が高く(?)SNSに投稿して世の中に批判の声を上げる行為だとか、その批判を意識して「ちゃんと」作られた作品などを「woke」という。で、そういう批判に晒された人々がキャリアを失うほどまでに追い詰められることもある。そういう風潮をキャンセル・カルチャーという。#metooで著名男性が失墜するのがその好例。そうかと思えば、同じ#metooでも、『Master of None』のアジズ・アンサリが、「それはどうなんだろう、それぐらいは普通のデートの域ではないのか?」的な行為でバッシングされ、いっときキャリアを失いかけたりもする。行き過ぎるキャンセル・カルチャーをオバマは批判したのだと思うし、「ネット弁慶で終わるなよ」とも言いたかったのかも。「ネット弁慶」で私が個人的に一番イヤなのは「英語警察」。日本で誰かが英語を誤用した疑いがかけられると、「そんなにみんな英語に精通しているの?」というぐらいに英語警察官がニンニンと増える。私は英語で食べているけど、今でも take、make、get、have などのとても簡単そうな単語に頭を悩ましている。ちなみにオバマも昔、口がすべって「アメリカ57州を訪ねたことがある」と言ったことがあり、ネットで突かれていた。
ハチのムサシは死んだのさ
The Kiwiberry またハチに刺された。その日、私は一歩も外出していない。網戸を開け放した窓から入ってきた模様。私は袖が複雑な形の服を着ていて、ハチはその袖の中にこっそりと侵入し、長い間潜んでいたらしい。そしてバスルームに行ったとき、不意打ちにあった。2年前にも刺されたので、「今度はアナフィラキシーショックが起きるかもしれない.......」と狼狽えるも、ハチはまだ生きていたので、とりあえずバスルームのドアを締めきった。そして片手で「ハチに刺されたときの応急処置」と検索。←こういうときは、アレクサやシリに聞いたほうが速いと学習。検索結果を読みながら、「今は忙しいからクリニックに行っている暇がない、気合で直したい」と非科学的になる。結局、大丈夫そうだったので、クリニックに行かずに済んだが。2年前、外出中に刺されたときは手が腫れ、その足でクリニックに行き、処方箋をもらった。今回はハチの種類が違うような気がする。2年前のはもっと黄色っぽかった。バスルームの中にまだハチは潜んでいる。電気を消しておけば、夜っぽくて活動しないかも、と思って電気を消す。しかしバスルームに行かないわけにはいかない。根負けして、そうっと入ったが、やつはまだバスローブの影に息を潜めて隠れていた。どうにかして屋外に追い出したいが、へたに刺激してまた刺されたりしたら、それこそアナフィラキシーショックが起きるかもしれない。悩んだ末、包囲戦しかない、と決意。午後10時、恐る恐るドアを開けると、やつは床にいた。死んでいるかどうかは私の視力では確認できない。私を刺したことで既に体力を消耗していたのだと思うけど、渾身の力を振り絞って最終攻撃を仕掛ける可能性がある。午後11時、家人に紙で突いてもらい、死亡を確認。ゴミ箱に死骸を捨てず、トイレに流してもらい水葬。西城秀樹が脳梗塞を患ってから「命の大切さを知ったから、虫も殺せなくなった」と言っていたのを思い出しては、一日中悶々としていたが、私は直接手を下してはいないぞ、と自分に言い聞かせた。さようなら、ハチ.......以上「大阪冬の陣ー蜂の巻」でした。
Stocking up
先日、店じまいをするアメリコに連絡を取り、直接毛糸を買いに行った。話したいこともあったから。なぜ急に店じまいするのか訊いてみた。それは、長い間頭をよぎる問題だったらしいが、ある日突然朝5時に目覚め、「やっぱり辞めよう」と思って、フェイスブックに投稿する文章をしたためるに至ったとのこと。要は、十分やりきった、と思ったわけで、重要な決断とは、そのようにして起きるものだとその話を聞いて思った。この世の中に「正しい解」があると思い込んでいると、こういう決断はできない。「何が待っているのかわからないけど、次に進みたい」という意志のみがある。ポジティブで、いさぎよい! と思った。「次に何がしたいかわかっている」のと、「何がしたいかわかっていないけど、次に進みたい意志がある」のとでは、エネルギーのレベルがまったく違う。「次にやりたいことがわかっている」のは年寄りくさい。
Persepolis
仕事のほうのサイトに書いたけど、こっちにも貼っておこう。 https://kyokonitta.com/2018/10/30/persepolis/ ブッククラブは女ばっかりの集まりなんだけど、なんか男を入れていない理由が最近わかってきた気がする。基本女同士のおしゃべりのようなノリで、自分語りは基本なしで、大事なことを話し合いたいのだと思うし、他のメンバーは20代から30代だから、男の人が入ってくるとちょっと出会い系っぽくなる可能性もあるし、男の人が入ってくると、お題に選ぶ本に女子が好む本を選べなくなるからだと思う。
蒙古班的な起承転結
最近翻訳について調べ物をしつつ研鑽を積んでおりまする。文章の組み立て方というか、文章の読み解きというか。指南書を読んでいるわけじゃないですよ。 ま、そんな中で、たまーに見かけるのが「日本人の文章構成は起承転結が多い」という意見です。私はこれに抵抗を感じます。時系列の説明がありポイントがどこなのか分かりにくい構成や、周辺から攻めて核心は突かず、ただ藪をつついているだけの構成はよく見かけますが。あれ?もしかして、「結」は「後は自分で考えてね」ということなのかしら?!さらに、私が「いいなーこの文章」と感心する日本語の文章家たちは起承転結の伝統は踏襲していないと思うんですが。あと作文風のブログを見ても、別に起承転結だなーと感じる文章はないし。私が起承転結を理解していないだけなのでしょうか?(←これ反語的表現) 日本では、小論文の授業以外、文章のてほどきを受ける授業はあまりないからフリースタイルで好きなようにみんな書いている、というのが本当のところじゃないかと思うんですけど。 疑問に思っているので、何かこれについて知っている人があれば教えてください。 私の場合、まあ、日本語の文章作成ということでは、何年にも渡って友達と「交換日記」を何冊も何冊も書いたとか、手紙魔だったので遠方に住む友人知人だけでなくペンパルも何人もいたとか、勝手にストーリーや紙芝居も書いていたし、まさに「フリースタイルの王道」をいったわけですね。唯一、添削が入ったのは読書感想文。 大人になってからは、社内誌の編集部在籍でたまには自分も何か書いたり、友達同士で文集作ったりもした。大人になってからの「文芸部再結成」ということで。それに翻訳を発注するお客さんがいて、間違いはもちろんのこと、その人が気に入らない点があれば直し、添削も入る。複数の翻訳者と仕事するときはお互いの添削が入るし。他人の文章の編集もよく頼まれるけど。言いたいことは、文章を書く機会は多いけど、大人になってからだって起承転結の文章を教わったわけじゃなし、起承転結型でお願いします、と注文が入ったこともない。 日本人は蒙古班をつけて生まれてくるように、起承転結も脳みそに内臓されて生まれてくるのですか? ちょっと、これは都市伝説のように、まことしやかに伝えられているだけでのような気がしてきました。 日本語勉強しているガイジンに「起承転結の文章ってどうやって書くの?」って聞かれても、私は教えられませんよ。 気になるので、誰か教えて。
Nui Blanche 2012
昨夜は、日没から今朝の日入りまで、毎年恒例の Nui Blanche (白夜祭) でした。トロントのダウンタウンにアートがいっぱい展示されて、好きなところを一晩中練り歩くというイベントです。毎年ながらアメリカから来た私は「夜中ずっとブラブラしてても銃撃事件が起きず、いたって平和にイベントが終わるのが不思議...」とまだカナダに慣れていませんが、それはカナダのとてもよいところです。 まずは人ごみを見物しましょう、ということで、Dundas Sqaure のビルの一角にあるレストランに行き、窓から「すごい人だわ!」と観ていましたが、写真撮ってネットにのせようとしたらアクセスできませんでした。携帯でデータアクセスしてる人が多過ぎて、携帯ネットワークの中継機がイッパイになってるのですね。でもこれぐらいの人ごみでイッパイになるなんて... (mobilicity と wind だけの話だけど) とは思いました。 まず知人のアートを見に行きました。写真撮るの忘れたけど盛況そうでした。続いてその足で、Regent Park に行きました。名前は「リージェント」などと高級そうなのに、低所得者層の市営住宅が並ぶエリアです。この9月から、CSI (Centre for Social Innovation) という私がオフィスを間借りしている団体が、この地区の活性化を図る公共プロジェクトの一貫として、この Regent Park にも進出し、その建物を見に行ったわけですが、随分と綺麗になっていました。 で、そのビルの一角に影絵プロジェクト!! 自分で影絵を作って、シーツに投影!なんと可愛らしい共同参加型プロジェクトでしょうか!大人も子供も真剣。 そして、この隣で、自由参加型のコミュニティバンドがおりまして、一応プロっぽいミュージシャンが音頭とってますが、その辺にある打楽器叩いたり、自分で楽器持ってきたりして、歌い散らしているという楽しい企画。一曲終わると、「次なんにするぅ?」とプロジェクターに映し出した誰かのフォルダから適当に曲選び。みんな楽しそうでしたよ。 前衛的、教育的、有名人のアートもあるけど、私はこういう祭り騒ぎなアートが一番好きかも。 でも今年はこれだけしか見なかった。
Margin Call
http://www.imdb.com/title/tt1615147/ 金融メルトダウンが起きる直前の24時間の話。 あんまり期待してなかったし案の定...でした。桁の大きい数字を暗算したりするし、金融用語が飛び出してくるし、「匂わす」ものの言い方するから。 新しいほうのスタートレックのミスタースポック役が出てくるけど、まー、眉毛が。。。私の中の「忘れられない眉毛映画リスト」に入りました。しかも、彼、特殊メイクでスポック顔になってたのじゃなくて元々ああいう顔(ヴァルカン顔)なのね。 最初のレイオフのシーンが私にはダメだった。アメリカにいるとレイオフのシーンに何度も直面するけど、警備員が監視する中荷物まとめているときに、クビになった人に長々話しかけたり、メモリスティックを渡したり、「ありえない」行為ばかり。これもウォールストリートとシリコンバレーの違いだろうかと考えてみたり。いや、でもクビになった人たちが箱を抱えて去る中、残された人たちが「見えてるけど見えてないフリ」してる様子は「わかる!わかる!」と思った。
