ずっと前に友達に「こっそりと忍ばせておいたんだけど気づいた?」と言われるまで、実はすっかり忘れていたこの本。SFはあまり好きじゃない。たまーに読むけど。ネットでは「SFが苦手なのに友人に勧められて読んだ」などと言っている人が多い印象を受けたので、初級編なのかな。確かに、見ただけで読む気が失せる難しい宇宙用語(?)とか、高度なサイエンスの概念が少なめだった。にもかかわらず、3分の2を読み終えたあたりで漸く「面白いかも」と思い始め、やっぱりエンジンがかかるのが遅かった。安部公房は嫌いじゃない。箱男とか、砂の女とか、好きだもん。 「俺のことを地球人だと思っているだろうが、実は火星人だ」などというのは、サンフランシスコの市バスに乗り合わせたオシッコ臭いクレイジーなおじさんが言いそうなこと。彼らは独り言だけど大声で言う。乗り合わせてしまった運のつきで、黙って聞いているうちに「確かにコイツは火星人かも…」と思ったりする。なんかそういうニオイの漂う話だった。...と書いているうちにサンフランシスコが懐かしくなり、帰りたくなった。 誰にも証明できず、堂々巡りの会話になってしまうのは、「神様がいると信じているかどうか」などという会話にありがち。「私は男にモテるのよ!」と信じて疑わない女に、反証してみせて自信をメッタ切りするか、心ならずも「そうなんですねぇ。すごいでずねぇ」と肯定するかは、「モテる」という発言を、馬鹿馬鹿しくても「公理」として受け止められる懐の深さにかかっているような気がしないでもない。訂正癖のある人には辛いだろうね。SF小説というより「ドツボにはまってしまった人の話」のような気がした… これを読んでいるうち、米原万里さんの東京の家(彼女が鎌倉にペレストロイカ御殿を建てる前の家だと思う)は、結構私の東京滞在先の近くであることを知った。ま、それだけの話だが、彼女の著作のファンなので、テンションは上がった。でも、これは軽ーいはずのペットネタがちょっと重めなので疲れた。
Category: 読書
流れる星は生きている
これも終戦70年にぴったりな話。別にそれを狙って本を手に取ったわけじゃない。藤原正彦の本を読んでいるうちに、いろんな人に勧められたので、トロントに帰る機内で読んだ。 藤原正彦の母である藤原ていの手記。第二次世界大戦終戦目前にしてソ連参戦により、満州から一年かけて、母一人子供三人を連れての引揚げ体験。命からがら帰国を果たしたものの、長生きはできないだろうと、子供三人への遺書として書かれたものがこうして本になっている。夫は同行していないし、乳児、三歳、六歳の小さな子連れのため、同じ引揚者の間でも疎んじられ、騙され、取り残され、とひどい扱いを受けたりする。北朝鮮の橋のない川を子供を一人ずつ抱きながら三往復シーンに涙。38度線を越えるまで多くの河川を同じようにして渡り、大変な思いをして突破。最後は米軍に救助され、日本に帰国。 母子の道を阻み、「公衆道徳」を盾に必死の母子をなじり、騙そうとした人々への怒りと恨みはいついつまでも克明に残り、道すがら助けてくれた日本人、朝鮮人、ソ連兵士、アメリカ兵士への感謝は永遠に生きている。この母が諦めてしまっていたら、藤原正彦の数々の著書にも巡り合えなかったし、夫の新田次郎が小説家になることもなかったかもしれない。 「壮絶」という言葉がぴったりだけど、日本軍撤退のときに大陸でも南方でも一般市民が大変な目に遭っている。
笹まくらに、水玉に、街場の現代思想
古本読書は続く… 読みきれなくてカナダに送った。 『笹まくら』 今年は終戦70周年。まずは徴兵忌避者の戦後20年の話。昭和49年発行の文庫だから、黄ばんでるし、今の文庫に比べると文字が小さい。徴兵忌避し、名を変え姿を変えて逃亡生活しているときの不安が「笹のかさかさする音」に集約されているから「笹まくら」らしい。そういわれると、その神経の尖らせようがわかるような気がする。思ったより読みやすくて、心理的な圧迫感があった。世間が戦争にどっぷり浸かっているときの徴兵忌避は、その後どう転んでも人生に付きまとう影。徴兵に対する危機感は、アメリカで911が起きた後に米国内ではあったよね。その前はベトナム戦争のときだけど。今読んでも新しい部分は結構あるな。「徴兵忌避」を「人に絶対知られたくない秘密」と置き換えて読むだけでも、いいかも。女に生まれてよかった、とか、もう徴兵の対象から外れている年齢なので、オバサンでよかったわ、とか思った。 『水玉の履歴書』 美容師さんのオススメで読んだ。サラっと読める。草間彌生は、夜な夜な朝日で空が白々としてくるときまで読書し、ものすごく精力的に絵を描き野心を燃やしている。今でもこんなにも頑張っているのか!と思う反面、ここまで来たからそう思えるわけで、そこそこ若かったら、そうは素直に思えないだろうということに気づいた。人間はどれぐらい年を重ねれば、「あの年でもまだ貪欲だ!スゴイ!」と素直に思ってもらえるんだろうか。 偶然にもこれを読んでから、国際フォーラムで開かれた「アートフェア東京2015」に行ったら、日本で草間彌生作品を扱っているギャラリーが出展していたし、この本に出てきたディーラーさんもブースに出ていたので驚いてしまった!この本を読んでいなければ、気づきもしなかったと思う。 『街場の現代思想』 よく内田樹のブログを読んでいるので、内容がかなりかぶっているけど、仕事やめたいとか、結婚すべきかどうか、なんてことに悩んでいる人にはグッサリとくる話。つまり、ほとんどの悩みは「実行する気ないけど、言ってるだけー、聞いて欲しいだけー」ということ。
父の威厳 数学者の意地
またまた藤原正彦。一番最後に収録されている「苦い勝利」が非常に面白かった。息子の修学旅行を犠牲にしてまでも学校による過剰な管理と戦う話。ま、私の中にも似た部分があるので(ルールに従わないとか)、苦渋難渋ぶりが手に取るようにわかるというか。 私の場合、OLをしていた頃、夜間英語学校に週二回通いたいがために、終業時刻10分前に私だけ帰らせてもらうことを許可してもらいたく、上司説得工作としてパンフレットなどを準備し、交換条件も用意して、これによりいかに自分の人生が豊かになるかを説いた。許可をもらったところまではいいけど、同僚からはほぼ総スカンを食った。そういう反応は想定内であったはずなのに、実際に体験してみるとかなり辛いことだった。その頃の私はまだまだ過渡期にいたから、その会社に骨をうずめる考えはなく、致し方ないことだった。その会社を辞めるとき「アンタみたいな子は将来痛い目に会うよ」という不吉な予言とか、「アンタはきっとどんなところでも生きていけるだろう」と褒め言葉なのか判断がつきかねる言葉を言われた。あれも一種の苦い勝利だったのかな。 国が変わってアメリカで会社勤めをしていた頃は、同僚たちが「今日はサッカーするんだ!」とか「今日はバレンタインデーだから」とか適当に仕事を早めに切り上げて帰るのが当たり前だった。残業は必要なときにする、という態度だった。でも一度だけ、誰もが就業中であるはずの昼間にミーティングをしようとしたら、「その時間、ヨガがあるから」と断られたことがある。アメリカを標準に考えると、かつてのあの苦い思いは何だったんだろう、と思ったりする。 閑話休題。 藤原正彦のエッセイはとても面白いけど、やっぱり武士道だとか愛国精神をしつこく持ち出すときはついていけない。気持ちはわからないでもないけど。本人だってそういう理想を掲げてはいるものの実はスットコドッコイなんだし。
燃えよ剣、フィッシュストーリー、伊豆のことなど
東京の喧騒を離れて伊豆へ。 河津桜もすっかり葉っぱが主役。それでも次の桜や花々が咲いていて、伊豆はやっぱり暖かいんだな。伊豆に来ると「金目!金目!」とみんなが騒いでいるのも楽しい。有名な煮付けは食べなかったけど、海苔で切り身を巻き唐揚げのように調理された金目が非常にジューシーでおいしかった。 東京からはスーパービュー踊り子号に乗って一気に下田へ。スーパービューは普通の踊り子号よりも窓がぐっと広い。乗り換えの面倒がなく読書が進んだ。読んだのは「燃えよ剣」 新撰組の土方歳三の一生を描いているから、戊辰戦争前後の歴史小説。「残忍極まりない」という形容詞をつけられることが多い土方歳三の、政治に翻弄されない剣士としての話。前に子母澤寛の新撰組の本を読んだことがあり(資料的要素が強い)、そっちの人物評に血肉がついて躍動感のあるのが「燃えよ剣」の土方歳三。政治に翻弄された激動の時代の話だし、佐幕派か倒幕派かという政治的立ち位置はあっさりとコロコロと変わっていく。そんな中での一刀両断の動物的嗅覚とかセンスを持った人ということで話が進んでいく。東京以北の日本地図を見ながら読んだ。「燃えよ剣」には会津の戦いについてはほとんど触れられていない。 結末を知りながら、不覚にも、東急目黒線の車内で最終章を読んでいるときに、真珠の涙を縷々と流してしまった。トム・クルーズの「ラスト・サムライ」は嫌いな映画なのだけど、あの映画のシーンさながらのラストだった。私が電車内で人目を憚らず涙を流しながら本を読んだのは「赤毛のアン」以来かもしれない。あのときは読書に没頭していて何駅も乗り過ごした。というか電車に乗っているということを忘れていた。当時は暇を持て余していたティーンエージャーだったからよかったものの… まあでも、戦のお話は読んでるだけでも疲れるね。 こっちは初めての伊坂幸太郎。フィッシュストーリーは映画を見たことある。ほかにも短編がいくつか収録されてるけど、どれも面白かった。もっと読んでみようか、伊坂幸太郎。でもカナダに帰ったら読まないかも。 刻々とカナダ帰国の日が迫っている。3カ月は短かく感じたけど、そろそろ自分の家に帰り日常を取り戻したい。編み物もしたい。やせたい。
つらつらと読書 3
私の古本買いはまだまだ続く… 文芸翻訳について情報収集しよっかな、と読んでみたけど、文芸翻訳の現代史というか系譜的な情報と、翻訳したい日本の小説だとか、オススメの海外小説などが羅列されているような内容。柴田元幸と高橋源一郎の対談による比較文学論だけど、対談ゆえに、グダグダした感じなので走り読み。 この二人が綿矢りさの『インストール』に収録されている『You can keep it』を絶賛していたので読んだ… 『インストール』より面白かった。実は私は小学生の頃「もらう側」のほうだったことがあり、読みながら心がチクリ。小説の中で、起動させたコンピューターにインストールされていたウェブ ブラウザが「ネットスケープ」だったので時代を感じた。仕事したことあったな、ネットスケープと。 時代を感じるといえば、『ガラスの街』の表紙には黒電話が。「電話帳」で番号を調べたところに電話をかけるというのがミソ(?)になっている話なので。私にはそういう時代の記憶も生々しく残っているから違和感なく読めるけど、去年生まれた姪っ子などは人に説明してもらわないと意味がわからないハズ。 『ガラスの街』は80年代の自信喪失気味のニューヨークの香りがムンムン。後期資本主義っぽい、希望がどこにもなさそうな、家族関係も皆無に近い、閉塞した感じが、とても好きだった。だからそういうアメリカの小説をよく読んでいた。何をしたらいいかわからなくって悩んでいた頃の自分とシンクしていたのかも。嗚呼懐かしい。いつの間にか「何をしたらいいかわからない」が「やらなければならないことが多ずぎる」に変わっているケド。そういう翻訳小説を読んでいたことが今の仕事を選んだ原点だったのかも。 最近、戸田奈津子が自叙伝みたいな本を出したけど、人に「アンタも字幕翻訳したいって若い頃に言ってたよ」と言われ、建築家になりたいと願っていたら水道配管工事ができるようになったぐらいのかんじかなと...
つらつらと読書 2
私が古い本ばかり今読んでいるのは近所に古本屋が多いから。仕事待機中に読んでおこうという算段なのだけど、待機が長引くと「もしや?」と一抹の不安が... 「パーネ・アモーレ」 イタリア語通訳奮闘記 故米原万里の友人でもあった田丸公美子のイタリア通訳についてのエッセイ。米原さんが生まれながら文化的資産に恵まれた帰国子女なら、田丸さんは純国産。別に留学しなくても通訳・翻訳者になれることを体現している。でもはやり並々ならぬ努力家で、その道はけっこうストイック。私の語学習得の道は田丸系だから親近感。 米原さんのあとがきが最高。歯に衣着せず田丸さんをツツいているのは二人の間それだけ深い友情があったからこそ。 「暗号解読」 ブレッチリー・パークに見学に行ったときの一夜漬け予備知識が残っている間を狙って。しかし暗号解読のしくみを説明する箇所を読むと頭痛がするのですっ飛ばす。私には向いていない内容。 「蛇蝎のごとく」 正反対な性格の人間同士がもつ互いに対する非難が嫉妬に変わり(だから蛇蝎なんだけど)、最後は互いの嫉妬に向き合い落ち着く話。「なかったことにしておく」という決着を見るが、当事者たちはみな「なかったこと」を経験して大人としての渋味・深みが出ている。失敗しているのに幸福感が漂う。最近は失敗に関しては「許す・許さない」が焦点なので、謝罪が帰着点になってしまうことが多いような… 小林桂樹のあとがきが非常によかった。表紙絵が美しい。
若き数学者のアメリカ
去年何冊か藤原正彦の本を読んだときに、周囲に薦められた本。1970年代の体験記なので多少の古さは否めないけど、異国・異文化の咀嚼と吸収に行動力と考察力の両方をフル回転させている著者がスゴイ。前半の突っ走っている箇所は面白可笑しいけど、ただの留学体験と変わらない。実は大学の教授陣の対立を描いた箇所が秀逸。 どの職場、人間関係にもいえることだと思うけど、自分の正しさを主張することは大切なんだけど、それに拘泥すると、不器用だと見なされ、最終的には協調不可能となってしまう。そういう状況の周辺にいる人たちにも腹の中の計算というものがある。突っ走るか、妥協を図るか、どの程度の妥協か、と大人の選択を自分で決めることが必要になるけど、渦中にいるときにうまくバランスをとるのは難しい。私自身にも苦い経験はいくつかあるけど、どういう結果になっても、最終的に修羅場をくぐり抜けた後に、未経験の状態の自分よりは経験した後の自分に深みは出たんではないかとは思う。あと、「アメリカ」という特殊な社会への帰着点の筆者の模索ぶりも、アメリカで長年暮らしたことがある私にはよくわかる(特に職場での)。 自分語りになってしまうけど、アメリカからカナダに引っ越したとき、アメリカに移住したときに体験した新天地に慣れるための模索をしたという前体験があるのと、英語力がアメリカ移住当時からみると飛躍的に向上しているので楽だった。ただし、藤原さんが体験したミシガンの冬のように、カナダの冬も同様の結果を私にもたらした。在カナダのフィンランド人の友人も同じことを言っていた。長い冬には要注意! 最近、MBAというのはコネを作る場である、という話を人とすることが多い(それだけではないけど)。大学側もはっきりそう謳っていることも多い。日本だと、コネという言葉から腹黒いイメージを連想することもあるし、薄っぺらなコネを豊富に持っている人のコネ自慢に辟易することもあるし、コネ作りは学問ではない(学問ではないんだけど)、とか何かと後ろ向きなイメージのあるコネ。しかし「人脈」と考えると、自分がやりたいと思っていることができそうな未踏の世界へ進むにあたり、突破口的な役目を果たすのは「人脈」。それを少しずつ積み上げていく様子も、実は克明にこの本に書いてある。
つらつらと読書
ロンドンでは日本人と話をするのは幼馴染との再会を除けば皆無だったので、仕事以外の読みものは英語だけだった。「日本に行ったら日本語の本を読もう」と思っていたところ、滞在先が学生街なため、古本屋が多くてラッキー。読むスピードより、買うスピードのほうが速いけど。 昨年亡くなった大内順子さんの本。上から目線ではないし、私のように自由業を営む者には響く言葉が多い。特に仕事で先手を打つときや仕事に直結しなさそうなものに触れるとき、ついケチるというか瀬踏みしてしまうけれど、投資を先行させる以外に他に何にも打つ手などないときに、そっと背中を押してくれるような言葉がありがたい。 『ネット右翼の矛盾』はFBフレンドにもらった本。三人の寄稿者のうち安田浩一が面白かった。別のところでも彼が同じようなネタについて書いているのを読んだけど。中川淳一郎は、一般人を代表する感情や言葉を書いている感じ。山本一郎がやや残念。 『新・戦争論』はオススメ。池上彰も佐藤優も論客として嫌いだという人にはお勧めしないけど。「戦争論」というのが勇ましく平和的には聞こえないけど、内容は過激ではない。こういう本は通時で世の中を理解し俯瞰するのに役立つからありがたい。まさにパリの出版社とユダヤ人経営の食料品襲撃事件の真っ最中にこの本を読んでいた。英語でニュースを読んでいれば常識として知っている情報もあった。佐藤優は宗教に詳しく、ロシアとイスラエル通。この本から知り得たことを教授に話して聞かせるのも楽しかった。特に王将の社長銃撃事件の真相(?)箇所。007級の話なのに、餃子のチェーン店というところが残念。これについては別本が出ているよね。読もうかな。 何度か薦められたので読んでみた、初めての森絵都の本。この話は私の大好きなアメリカのテレビ番組『Drop Dead Diva』によく似ている。魂が入れ替わって自分を見つめ直すというのがミソだけど、面白さと、アメリカの訴訟ネタが学べることと、少女マンガ仕立てという点で『Drop Dead Diva』に軍配。 加賀美幸子のエッセイ集。おこがましいけど、日々「ことば」について頭を悩ませるという共通点があるため、最近尊敬している人の一人。地味で勉強家なところが素敵。このエッセイはまあまあ。 新年の抱負というわけではないけど、1月のうちにできるだけ読書しておきたいかも。なんかおすすめありますか。
NO GREAT MISCHIEF
今年亡くなったスコットランド系カナダ人作家、アリステア・マクラウドの有名な著作。今年中に読み終えることができてよかった。 昔スコットランドからカナダ(ノバスコシア)に移民してきた血族に静かに脈々と流れる民族の誇りというか、心の支えとなるような郷土愛というか、そういうものをノバスコシアの風景と一緒に描いた話。Nova Scotiaとは「新しいスコットランド」の意味でもあり、灰色の海、海岸線、霧深い気候も、どこかスコットランドを思わせる。話は1745年にまで遡ったり、1970年代だったり、1990年代だったりするので、カナダは新しい国ではあるけれど、悠久の時が流れているような読後感を与える。 タイトルの「No Great Mischief」というのは「大した痛手ではない」という意味。ケベックのエイブラハム平原で英仏軍が衝突したときのイギリス側の援軍としてスコットランド兵が送り込まれたときの、「スコットランド兵が倒れたって大きな影響は出ないだろう」というような英軍指揮官の言葉に由来する。当時のイングランドにとってスコットランドは隷属的存在であることを表した言葉なのかもしれないけど、家族一族の中の誰かにどんな不幸が起きようと、助け合って生きている限りは、痛手も痛手ではなくなり、血は受け継がれていく、というような意味も含まれているかもしれない。 ストーリーには、カナダの炭鉱に季節労働者としてやってくる人々の中で、スコットランド系とケベック・フランス系の絶えない争いも描かれていて、それを読むと、カナダにおけるケベックの位置づけや、ケベックに住むフランス系や、そのライバル的存在のほかの移民の心情、それをとりまく土着民の位置づけもわかる。鉱山の話の箇所は1970年代。ベトナム戦争後半と重なっている。でもこの頃の問題は連綿と続き、今なおカナダの国内問題でもある。 ノバスコシアにはまだ行ったことがないけれど、トロントをはじめ経済的に潤っているオンタリオ南部の町も登場し、ノバスコシアに住む人々が感じるトロントに対するアウェー感も描かれている。 日本を離れ、アメリカを離れ、熟年になってから住むことになったトロントに対し、私が感じるアウェー感と少し似たところもある。幼少期どころか二十代の頃の自分を知る人さえこの町には誰一人としていないというアウェー感。でもそれよりも、祖国から離れざるを得なかった、そして離れていることから生まれ育まれる「帰属意識」を心の糧に生きていることに、最終章でのトロントからノバスコシアの果てまでのドライブシーンには涙せずにはいられない。 現代のカナダの事情とは違うかもしれないが、「赤毛のアン」しか知らない人がカナダを知るにはいい本かも。読んだことはないけど中野恵津子さんという方の和訳がある。北米におけるフランスの敗北のきっかけとなった戦争だとか、日本人には馴染み薄い歴史を知っておく必要があるけど、読みながらネットで調べれば問題ない。
