よしながふみフェア

よしながふみについてFBでいろんな人からオススメ情報をいただき、その熱い語りぶりに、ますます興味を持ってしまい、貸してもらいました。 「大奥」 どかーんと11巻まで貸してもらった。面白かった!次を早く読みたい。 「こ、これは!」とより一層面白くなってきたのは8巻から。若い蘭学者たちが「赤面疱瘡」の予防と格闘し成果をあげつつも、時の幕府に一掃されてしまう。予防接種の是非については、今年春頃にアメリカのディズニーランドではしかが流行したことに表れているように、今も再燃する形で揉めているけど、その揉め方の原型が「大奥」にあった…それだけではなく、蘭学の受難、オランダ語の学習や翻訳を禁じられているところなどにゾワゾワした。 しかし、赤面疱瘡… ブツブツしたものは見るのも苦手。二重丸がたくさん出てくる首都圏の地図がまず怖いというぐらいに苦手。赤面疱瘡罹患者の顔には付箋を貼って読んだけど、貼り切れないぐらい!貼った付箋はゴミ箱へ。一度目にしてしまうと、アレが何度も思い浮かんでしまい、体も顔も痒くなって掻き毟ってしまった。これを書いている間も思い出してしまう!! この「大奥」の男女逆転ぶりでふと思ったが、たとえばケア・ホームにいるおばあちゃんたちであっても、男の子が一人でもいると色めきたつという(欲望に正直になる)話を聞いたし、ワタシもだいたいオンナが八割方占めるような職場にいることがほとんどで、女子大にも通ったという経験からいくと、若干数の男が女の園に混じっていると「便利だ」ということで女は男をパシリに使うし、それで女同士の殺伐とした空気が和らぎ、力関係も均衡状態となりやすいが、それを超える数の男がいると、ツガイになろうとする欲が出てきて、男の扱いが一転する。 「愛すべき娘たち」 こっちは「大奥」の箸休めだったな。

伝説のバーとか風葬とか

「おそめ」 白洲正子の本に出ていたので知った「おそめ」。一度は読んでおかなければ!と東京から帰ってきてから読み始め、著者のあとがきを読んでしゅんとしてしまった。サラっと書いているけど、やはり「故人のことはそうっとしておいてほしい」という風当たりは相当にあったらしい。 それはさておき、そこまで知らなくてもよかった思う気持ちもあったものの、やっぱり面白かった。メモ書きいっぱいしたから人には貸せないけど。 「ぼくがいま、死について思うこと」 身近にいるある人と長年にわたる確執があり、積もった憎しみは大きく、その人の死に直面した場合、自分の気持ちがどう出るかということに不安があった。ところがこれを読んですっきりした。亡くなったら穏やかな気持ちで葬儀に出席できると思う。 世界のいろんな葬式事情、そして死者の魂と肉体をどう捉えるかという死生観、葬りの文化、を語っている。葬儀が巨大ビジネスとなりがちな先進国の話より(日本なんかその先頭切ってるから)、未開の地の話のほうが腑に落ちる。

つらつらと読書+読んでもないけどピケティ

最近読んだものをメモっておこう。 「安井かずみがいた時代」 安井かずみが書いた歌詞はほとんど好きだった。特に「危険なふたり」が。なのに、安井かずみのエッセイを手にとることもなく今に至っていたが、エッセイよりこっちかなと思って読んでみた。うすうすはそうなんじゃないか(加藤和彦との生活を露出していたことの裏側)とは感じていたけど、やっぱりそうで、別にそんなことは知らなくてもよかったナと思ったわけ(とかいいながらも、吉田拓郎の証言に一番面白がっていたのだけど)。それでも昭和の歌謡界に大きく貢献した人の話だし、ジュリーファンのあの人にオススメしたい。 「女という病」 女であるからこそ、女子校にいたからこそ、肯くところが多かった。女であることをエンジョイしている私ですら悩むことは多いしね。中村うさぎの想像を「さもありなん」と思うのは、彼女の洞察力のすごさ。 「生きていてもいいかしら日記」 私の日常とさして変わらないのではと思ってしまう。やらなくていいことや、気に染まないことはどんどん簡略にして、最後にはやらないし。まあ私のほうが若干働き者かな。 税理士さんとおしゃべりしていてピケティの「21世紀の資本」の話になり、ぶっちゃけ税率ひとつを取ったって労働より資本のほうが有利だし(北米では。日本のことは知らないけどたぶんそうよね)、本当にピケティの言うとおり、という話で終わった。でも後日談があって「まさか女性のあなたがこんな経済に興味があろうとは」という旨のことを言われたのだけど、それに対して私が「失礼しちゃう!」と思ったのは、むしろ、女だから労働より資本のほうが有利だということを嗅覚で知っていたし、本能的にそれを知っている女たちの就職希望先が「資本のある男」だったことも実際に身近で見聞きしていただけのことだった。そういう意味で「プリティ・ウーマン」的な身のふりは経済格差が縮まるから納得できる… ということを今度この税理士さんに伝えたいけど、来年まで会わないからここにメモっとこう。ピケティの本、日本で買ってきてあげるといいながら買ってこなかったし。

逢沢りく

本屋さんで「この本が欲しいんですけど」というと 「逢沢りく…さんですね?」と言うので、「あ、それはタイトルで、著者名じゃあないんです」と言い添えてしまった。 「りく」よりも「りくのママ」に対して、「こういうひと、結構いる!」と思ってしまうのはなぜだろう。実際そういう人が身近にはいないのに。まあ「りくのパパ」もそうだけども。

女流作家ばっかりつらつら読書

最近女性作家ばっかり読んでいる。 「遊覧日記」 武田百合子の日記は面白いね。自然にちょっと毒が入っているところが。武田花の写真もすばらしい。 「星々の舟」 何年も前に友達からもらったけど今頃読んだ。最終章に驚いた。身内から聞いた体験談を伝えたいということらしい。勇気があるな。全体的に暗い話だった。自らの傷をえぐるほどでもないけど、その傷と折り合いをつけて生きていく話。それも勇気いることだな。でもどことなーく苦手な話。理由は説明できるけど、長くなる。 「夜啼きの森」 岩井志麻子が売れ始めた頃に彼女の雑文を雑誌で読み、なんとなく苦手だと思っていたのに、ここ数年になり彼女の言説に共感し始めて、ようやく読んだ。人間観察(というか村社会への洞察力)がすばらしい。ホラーは苦手なのに、津山事件がベースなので心構えができている状態で読んだからか、怖くはなかった。志麻子ワールドはなかなかのもので、是非次に何か読みたいと思う。

さとり世代

「盗んだバイクで走り出さない若者」… バブル時代に青春を謳歌した若者だってそんなふうには走り出さないとは思うけど、さとり(ゆとり)世代に対するイメージなんだろうな。逆に、金八先生を観て、尾崎豊の曲を聴いて(?)、煽られて育ってしまったバブル期の若者には、後先考えずに走り出してしまう猪突猛進のイメージがあるのかしらん。 後半のバブル vs さとりの議論が可笑しかったな。私はバブルが苦手だったから、さとりの子たちに「意味わかんない」と猛烈に批判されているのを読んで、さとり世代に同調したし。「意識高い系の人」ってのはさとり世代だとNPOで働くのね?バブル世代だとMBA取得のため海外留学だったような気がする。 とあるバーでさとり世代の男女がスマホを見ながらごにょごにょと話している声が聞こえてきて、「XXの映画を観たほうがいいと思うけど、その前に予備知識をつけておきたいからYYさんの本を何冊か読まないと」という話だった。直感でパーっと食いついたりしないのかな、とものすごく気になったけど、すごく秀才タイプのように見受けたので、私のように動物的嗅覚で根拠も何もなく何かをやってみようとは思わないのかも。ところが、真相は、自分は意外にもうまくいったことばかりを覚えていて、己の直感を信じ勝ちだけど、家人に言わせれば「うまくいっていったことは稀で失敗のほうが断然多い」らしい。それがバブル世代というものなのだろうか。 面白かったけど、やっぱり、さとり世代より、近年の中国の新興富裕層のほうが消費行動やファッションを見て経験的に理解できてしまう。

RURIKO

前半3分の1は背景描写がつまらなかったけど、後半、ルリコとひばり、ルリコとアキラなどなど、会話だけになったあたりからちょっとだけ面白くなった。裕次郎危篤、美空ひばり入院など、ワイドショーネタも記憶に残っているし。暴露本ほどでもないけど「今だから話しちゃう!」みたいな話だと林真理子の筆が光りだすのだろうか。 途中、アフリカロケ中のルリコが暇をもてあまして、毛糸を買って細編みでマフラーを作ろうとして、「編んであげるべき人」と「実際に編んであげたい人」が違う… と自分の本心に今更ながらに気づいてしまうシーンがあった。編み物を始めた動機に「好きな人への贈り物を編もうとした」というのはよくある話。しかし、毛糸のコストと手間ヒマがかかるため、編んでいる間に恋が冷めるんだと思う。冷めた恋はニットじゃ温まらないしね。 「ナゼ、ワタシハ、コイツノタメニ、コンナコトヲ、シテイルノカ」 編み物にのめりこんでいる人々には冷ややかな人が多いしな。直情型というのは少ない気がする(やっぱりそんなことないか) あ、ルリコの話なんだった。 結構自由にいろんなオトコと恋愛してきた人なのね。ふーん、大人な感じでいいわ。ルリコのおかげで裕次郎が光って見えて、石坂浩二がダメダメに見える話。やっぱりルリコが語る芸能界裏話のように読める。

針女

「はりおんな」じゃないよ。 「しんみょう」と読むのよ。妖怪の一種じゃないの。ホラ、著者が有吉佐和子先生だからさ。知らなかったけどこれも戦争がテーマ。でも戦場の話ではなく銃後にいる人々の話。 戦時中の東京の下町で、縫い針を踏んづけてしまって片足が不具になり、悲しみに心を打ち砕かれそうになっても、戦争挟んで手縫いからミシンへ、和裁から洋裁へと、ただひたすら縫い物をする女が主人公。 なんかわかるな。手を動かしているととりあえず安心するから。難しいことをやっていなければ、頭は冴えてるから、いろいろ考えを整理できるしね。編み物だってそうだし。 針を踏んづけると体内で針は進んでしまうのかしら。ありえない気がする。調べてみたけどわからない。ま、そういうことにしておこう。この小説の中ではそうなってしまうんだから。 話後半の終戦を迎えた後の喪失感が怖い。前線で血を流し倒れていく人々の描写はないけど、銃後を守った人たちや、復員兵の喪失感が描かれている。精神に異常をきたしてしまう人もいれば、新しいものへと適応し立ち向かえる逞しい人たちもいる。その新しいものへの挑戦が、和裁の平面裁断から洋裁の立体裁断だったりするので、手芸好きには合点がいくけど、そうでなければ地味すぎてわかりにくいかも。 でも私が最近調べていることにわりとぴったんこな話だった。

いまなぜ青山二郎なのか

読書仲間というのは痒いところに手の届くとても有難い存在。「XXのようなことについて知りたい」と口走ると、「あれは読んだ?」「貸してあげようか?」と的確に囁いてくれる。 久しぶりの白洲正子。一頃好んで読み、彼女の鶴川の自宅(武相荘)にも訪ねていったことがある。別に青山二郎について調べていたわけじゃない。白洲さんと青山さんの周辺にいた「ファムファタル」について知りたかった。 今、若年期に戦争を体験した日本女性についての本を漁っている。ほとんどが女流作家だとか、読者が女性が圧倒的に多いという女性作家が、そういう人について書いている。なんかいいのがあったら教えてくださいませ。 骨董集めというと、やっぱり欲が渦巻いていると思うけど、ビンテージもの集めというと欲の深さも可愛い気がする。自分を慰めているだけなんだけどな。タダの思い込みだろうか。

私という病

トロントに戻ってきたら本好きの友人の間で回っていたので、遅ればせながら私も読んだ。 中村うさぎの買い物依存症や整形そしてホストにはまったときのエッセイをいくつか読んで「面白い!」と片腹押さえて 笑っていたけど、マツコとの往復書簡を読んでいて私は笑っていていいんだかどうかと思い始め、面倒臭いなと感じて、しばらく何も読まなかった。 本書で彼女が書き綴っていることは笑えない。鶴の恩返しの鶴が自分の羽を抜きながら布を織るように、彼女も心血そそいで書いているから。私は中村うさぎについて誤解していた。私と同じような戸惑いについて、この本の解説で伏見憲明が書いていた。