小さいおうち

The Little House トロントでこの映画を観たとき、中島京子が会場に来ていて、カナダ人のインタビュアーに「あれは山田洋二という有名な監督が撮ったものなので文句は言えません」と言っていた。そこで原作を読むことにした。 確かに、映画とは違う。原作はカズオ・イシグロの『日の名残り』に非常に近いノリで書かれている。主な違いは、『日の名残り』のほうは、執事の回想に「おいおい!」と突っ込むのが読者で、『小さいおうち』は、女中の回想に女中の甥の次男という若者が横やりを入れているので、それも合わせて読者は読むところ。 トロントでは緊急事態宣言がまだ解かれておらず、夜がヒマなので、『小さいおうち』の英訳と併せて並行読書することにした。翻訳には、誤訳はあっても「これが正解」というものはないので、他人の翻訳を読むのがいちばんいい勉強になる。私には、原書が日本語で、その英訳を見るというのが一番しっくりいく。英訳の苦労に触れられるし、斬新な解決策を軽やかに見せているところに感心するのが好きだから。逆に他人の和訳を見ると、自分の能力と他人の能力を比べてしまうから精神上よろしくない。 余談だけど、人間は自分の内面と他人の外面を比べてしまうから不幸になってしまうのだって。だからSNS疲れというのが起きてしまうのだわ、と妙に納得。 近頃、ポストコロナ本の出版ラッシュのようなものが起きているらしい。私にもその余波がほんのわずかながら届いている。

劇団ひとり

動画を作り出したのは、ユーチューバーになりたいなどと誓いを立てたからではない。仕事用のウェブサイトの維持に年間約100ドル払っているので、有効活用したいと思っていたのだ。そこへコロナ禍。外出しなくなったので時間ができたというわけ。 日本に一カ月いたときに、5歳の姪っ子と幼児向けのユーチューブ動画を散々見ていたおかげで、動画の作り方(編集ソフトの使い方とかじゃなくて、構成というのかな?)を門前の小僧的に学んでしまった。まあ、その頃からアイデアを練っていたのだけど。 そんなわけで、動画をひとりでせっせと作っている。脚本を書き、人間の言葉をオウム返しするぬいぐるみに演じさせ(私が演技している)、小道具を用意し(ミニチュアが役に立っている)、スマホで撮影し、パソコンで編集している。これを劇団「ひとり」と呼ぶことにする。 動画はせっかく作ったからあちこちで晒している(ウェブサイト、ユーチューブ、インスタ、ツイッター、フェイスブック、ノート)。実は、コンテンツマーケティングの本を最近翻訳し、必然的にアメリカのユーチューバー(子どもから大人まで)のチャンネルを翻訳中に見まくっていた。私も昨今の流行に乗っただけのことなのだ。動画のプロトタイプを作っている間に、友達に私のロゴを作ってもらった。ロゴのおかげですべての作業が一層楽しくなった。遊びは何でも派手にやらなきゃね。ロゴはいくつかパターンかある。わたしと言えば「おかっぱ」、そんな提案をしてくれるのも友達ならでは。 仕事用のウェブサイトでは、本当は英語書籍の紹介をするはずだった。でもそのようなことをやっている人は大勢いるので、その人々にお任せしたほうがよいと思う。もちろん私もときどきは紹介する。紹介はしたい。でも今は動画を作りたい。作った動画をエージェントさんに見せたら「面白い!」と言ってくれた。明らかに「本業にはまったく無関係だけど、新しい能力を身に着けるのはいいんじゃない?」的な意味でだったが。 で、私のユーチューブチャンネルはこちら↓↓↓  https://www.youtube.com/channel/UCBd4mjw_nis2I8ojIMhC3VA/

シンキング・マシン 人工知能の脅威ーコンピュータに「心」が宿るとき。

手前味噌で失礼します。 しばらく前に翻訳した本が出版されたので、それの宣伝です。 すごくどうでもいいことですが、この仕事を頂いたときに、姪っ子の結婚式に出席したのですが、その子の名前をローマ字で書くと「AI」になるんですね。やー、驚いた。 で、肝心の本はこちらから試し読みができます。 http://www.mdn.co.jp/di/book/3216203004/ 世の中にはAI関連書籍がたくさんありますが、この本のいいところは、著者自身が技術者ではなく若いジャーナリストである、ということかもしれません。こんなことを私が言うのもなんですが、もしも著者が定年間近の人だとですね、今後どうすればいいの? という不安は「他人事」になってしまうのではないでしょうか。たとえばビルゲイツは警鐘を鳴らせても「もうそのころ僕はいないし」と思っているかもしれないし、ひょっとして密かに自分の脳を永久保存する手配をしているかもしれないですが、そんな高みからアドバイスをもらっても、私たちには関係なくない? なのです。そういう意味で、この著者はデジタルネイティブ世代に近いからいいんじゃないかな、と(はっきりした年齢は知らないけど)。 この本は「AI、AIって騒がれてるから……」と、なんとなくAIニュースを日々クリックしている、別にSFファンでもない、私のような人にAIにまつわることをいろんな角度から考えさせてくれる一冊です。一応、その技術についての大雑把な説明や、学問としての歴史など背景として知っておいたほうがいいことも書かれていますが、3章目あたりからこの本の良さが出てきます。どのAI本もまずは歴史の説明から入っているので繰り返しになるから、既に基礎知識のある人はすっとばしてもいいかもしれません。 読んでいると腹立たしくなることもあるし、将来的にありえそうな哲学的な問題も出てきます。だからこの本を読むときは、グループとかブッククラブみたいなところで読んで、人と話をしたほうがよりいいんじゃないかと思います。 「またAIか…」とお腹がいっぱいになっている人は、訳者あとがきをまず読んでもらうと、「あら?そうなの?」と少し興味を持ってもらえるかも知れません。 この訳書の紹介ということで、ニューズウィークにも記事を書きました。こちらも読んでみてください。 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/03/ai-11.php AIにどう立ち向かうか? 翻訳もAIに奪われそうです。人間による翻訳は「えー!それって誤訳じゃない?」とネットで囁かれ、翻訳者が叩かれたりするのが普通です。しかし、そこには「訳者の人格が叩かれたりする」人間ドラマとか、ワイドショー的な価値があります。でも機械による翻訳だと、そういう価値はぐっと下がるか無きに等しくなるのです。AIが翻訳した本はそんなに売れないけど、村上春樹が翻訳した本はもっと売れるはずです。 世の人々が見たがっているもの、特にドロドロしてるものは、人間がやらないと面白くないんじゃないでしょうか。たとえ囲碁の対局がコンピューター同士になろうとも、ゴシップ的にはそのソフトの開発者のバトルになる、と私は思うのです。だってAI同士の対決なんて、はっきりいって全然面白くもなんともないですよね。