A bar deep in Shinbashi 1)とある雑居ビルにあった、結果的には複雑な思いをしたバー友だちに連れてってもらった。お通しがちょっと珍しかったので、感動の味でもないのに、「わあ、珍しい! お酒に合うわ!」などと社交辞令で褒めたのが悪かった。このバーテンは「物販もやりたいんですよね、物販も」(お通しに出したものを物販したい)と長々と話しはじめた。我々は客であるからして、「このお味どうでしょう?」とか「これ売れますかね?」など、やんわりとフィードバックを求めてほしかったのだが、夢語りを聞かされたうえ、さらに食事まで食べさせられ、ちょっと居心地の悪い思いをした。あの押しの強さは、世の中に数多く存在する「俺の」系のビジネスを目指しているのかもしれない。2)食事がおいしいと評判の高飛車な居酒屋これも友だちに連れてってもらった。人気があり、ルールをいろいろと科してくるので予約を入れるのが困難だったとのこと。久々の再会を喜んでいるのっけから、「終わりの時間は変わりませんからね」といきなり釘を刺された。人気店なので、2時間しか居られないという制約があるのだそうな。結局、コロナ騒ぎであとの客が来ず、長居はできた。食事はおいしかったけど高飛車だったので、飲み直したい気分に……3)高飛車な居酒屋からの居心地のいいバー先ほどの居酒屋とはうってかわって、ゆっくりできてざっくばらんな店へGO。マスターもざっくばらん。アレ? 私の目の前に、マトリョーシカのようなものがふたつ並んでいるではないか。「あ! こんなところにマトリョーシカがある!」と思わず叫んでしまった。「それはマトリョーシカではない」と周囲の人々に言われたが、どっから見てもそれにしか見えない。「じゃあ、マラカスかな?」と言うと、「マラカスかもな。振ってみな!」と言われたので、振ってみたがカラカラ鳴らなかった。「ソルト&ペッパーかな?」などなど、いつまでたってもその正体がわからない私を気の毒に思ったのか、マスターが「それはテンガと言って、男性用の大人のおもちゃですよ」と教えてくれた。あー、いやだいやだ。触ったり、振り回してしまった。4)植毛手術や部分かつらで盛り上がる中年今回、私は部分かつらをオーダーメイドした。姉と一緒にちょっとどんなものがあるのかを下調べするだけ……のはずだったのだが、いつのまにか注文してしまっていた。「もう少し予算を上げると、オーダーメイドできますよ」の口車に乗ってしまったのだ。「ビリー・アイリッシュみたいな部分かつらも作れるの?」と尋ねると、奥から、いろんな色の人工毛が出てくる出てくる! 地毛に合わせた色が無数にあるのはもちろん、ハイライトを入れるためのピンク、ブルー、グリーン、パープルとすごい色数がある上に、つやあり/つや消しというチョイスも加わって、選択肢が一気に二倍。その上、形状記憶する毛も混ぜられるだの、頭皮の色も選べるだの…… もうこれは、聞きたいことや見せてほしいものが山のように出てきてしまった。結局、昼食をはさんでフォンテーヌに3時間以上居座った。感覚としては帽子をオーダーメイドするようなもの。ちなみに、ピンクのハイライト入りを注文。ああ、早く完成品を被りたい。この話をお酒の席で同年の人(男)に話すと、実は俺も…… と植毛技術について事細かに話してくれた。もうすぐ植毛手術を受けるらしい。年相応の話題ってもんがあるなと、ポジティブな気持ちになれた。
Category: 日本帰国
日本滞在(歌舞伎編)
Tamasaburo そもそも2月末に突如日本に行くことにしたのは、坂東玉三郎を見るためだった。二月大歌舞伎の千穐楽に間に合うように飛行機に乗り、昼と夜、合わせて8時間、歌舞伎を見た。13時間のフライトの後の8時間はキツイ。休憩時間は血流をよくするため、歌舞伎座内を歩き回った。昼もなかなかの座席だったが、夜の部は中央前から3列目。間近で玉三郎の「羽衣」の舞を見た(相手は勘九郎)。年は取っても美しい。大変貴重なものを見ている気がした。「羽衣」のようなお話は、男役さえぴちぴちに若ければ、女役は少々お年を召していても成り立つ。それはそれで妖艶だ。舞は言葉がわからなくても楽しめる。海外でも玉三郎の知名度が高いせいなのか、外国人観客多し。彼らの様子も気になり、ちらちらと見ていたが、やっぱり「舞」のない歌舞伎になると舟を漕いでいた。本当なら満席に近いはずなのに、コロナ騒ぎで半分くらいしか観客席は埋まっていない。おひとり様で見ていたので、隣のおひとり様に声をかけてみた。結果的に、話に花が咲き、最近読んだ玉三郎についての本に、「玉三郎はあまりにも若い役はもう似合わないから封印しているって書いてありました」と言うと、「ええー!? この間、白雪姫の役を演じてましたよ!」と…… ま、あの本は2010年刊行だからな。お隣さんは、「3月も日本にいるなら、明治座のXXXを是非見てほしい」とおすすめまでしてくれた。日本に住んでいるならこの人と観劇したい!とすら思った。おすすめ情報のお礼にと、三越デパートでもらったマスクを2枚差し出すと、「いいんですかっ!? マスクは今の日本では、貴重かつ希少なアイテムなんですよ!」と劇場に響き渡るような声で返事が返ってきたが、受け取ってもらえた。3月は明治座、あるいは京都の南座へと私の野心は膨らんだが、それはつかの間のこと。ありとあらゆる劇場が閉鎖になってしまった。しかし、二月歌舞伎の千穐楽に間に合っただけでもラッキーだった。観劇の後、ひとりで遅い夕飯を食べることになり、前から一度やってみたかった、「誰にも口を挟まれることなく、好きなだけ好きなようにお寿司を食べる」のをすしざんまいで決行。ま、あの価格帯ならできることだといえよう。少しお酒も飲んだし、おさしみも食べたが、一人で8000円分食べた。最後にすし職人に向かって「今日食べた中でベスト5を食べてからお勘定をする」と宣言すると、少し驚いたようだった(もちろん何も言わない)。あとで、友人たちにこの話をしたら、「すしざんまいでその金額とは、相当食ったんだろう」と驚かれたが、なかには、「いい話だ」と言ってくれる人もいた。
日本滞在(姪っ子成長編)
Dolls in Otsukaya wrapping paper 5歳児の姪っ子は、コロナウィルスのことを「コロコロウィルス」と言い、アナ雪2の主題歌のサビ「未知の旅へェ~」を「虹の谷へェ~」と歌う。平仮名とカタカナが読めるようになっていたので、毎日、「お手紙」を書いては私に呉れていた。時々返事を強要され、どんな文章を書こうかなと真っ白な画用紙を前に悩んでいると、「わたしはねぇ、『XXちゃんだいすき、おつかれ、ありがとう』ってだいたい書くことにしているよ!」と助言までしてくれた。毎日5歳児が大好きなユーチューブを見せられていたが、人気のものはよく考えて作られている。子どもがユーチューバーになりたがるのもうなずける。人形の洋服をそこらへんにある素材で作るという遊びもユーチューブで学んだらしい。幼稚園が休園になってからは、2度、公園に連れていった。ほかの子どもたちとどのように遊ぶのかよくわからなかったので、「ほかの子たちと遊んでおいで」と放牧してみた。姪っ子はめぼしい子たちに「あ~そ~ぼ!」と、誰かが反応してくれるまで何度も声をかけていた。粘っていると、お姉ちゃんあるいはお兄ちゃんキャラの子どもが反応してくれるらしい。その強靭な精神力に感心。そうこうするうちに、どこかの小学生低学年の女の子が私のところにやってきて、「XXちゃん(姪っ子のこと)のお母さんに似ているけど、ひょっとしておばあちゃん?」と言ってきた。毛染めや化粧でどんなにごまかそうとしても、小学生は見抜いているのだ。「おばあちゃんじゃないよ。お・ば・さん! わかった!?」と真実を伝えると、「ええ~!?」と女児は去っていった。
歌舞伎三昧(?)
日本に行っていました。 海老蔵の新春歌舞伎を見たかったのですが、全日全席完売だったので、国立劇場と歌舞伎座で尾上菊五郎と松本幸四郎を見てきました。1月後半の昼席のせいか空席が目立ち、「みんな海老蔵に行ってるんだなぁ…」と思わずにはいられませんでした。 人それぞれに好みがあるのだと思いますが、歌舞伎一年生の私には「枯れた芸」というのがまだわからず、荒々しい派手な海老蔵の歌舞伎が一番好きで、うたた寝すらしたことがありません。実は、他では(演目によっては)うたた寝してしまうのですよ。 私はいろいろ下調べしてから何かを見るタイプではなく、少し見てからそれが好きなら知識をつける派。役者の声と顔と、ものすごい舞台装置を満喫したいので、解説テープも聞かないのですが、これから知識を仕込んでいくうちに、今感じていることとは別のことを言い出すかもしれません。 今回、尾上菊五郎の投げた手拭いをキャッチするという幸運に恵まれました。若手役者は手首のスナップを効かせ、遠くまで手拭いを投げるのですが(お客さんに名前と顔をよく知ってもらいたいから遠くまで投げるのか?)、さすが菊五郎となると、もはや、そのような努力をする必要がありません。私は9列目のど真ん中という、花道もよーく見える最高の席に座っていましたが、菊五郎はそこまでも手拭いを投げてはくれません。そこで、「ここまで投げて!」とそろっと両手を挙げてみたら、偶然かもしれませんが、本当に投げてくれたのです。 が! 微妙に届かず、「嗚呼…」と残念がっていたら、前の方の席の人が取り損ねたどころか、逆にバシっと弾いてしまい、まさかの中継パスで私の膝に手拭いが落ちてきたのでした。 わーい! 菊之助や寺島しのぶの子供たちも出ていて、DA PUMPのU.S.A.の歌舞伎バージョンも見せてくれて、楽しませてもらいましたが、やっぱり勸玄君が見たかった…と思ってしまったのでした。何なのでしょうね、大事なお父さん(團十郎)や真央ちゃんを亡くした海老蔵と勸玄君を見守りたいんですかね? タッキーが引退したので、滝沢歌舞伎を一度見たいと思っていたのに見られなくなる、と思い込んでいたのですが、どうやら、彼は出なくても滝沢歌舞伎は続くようですね。すごく見たいです。100年後ぐらいには高尚化されて、伝統芸能に上り詰めていてほしいものです。
2018年戌年
カナダ中西部と日本を訪ねていた。 日本では笑納めと笑初めをすることを心に決めていた。関西と関東、夜席と昼席、そして越年という要素が絡んだせいか、笑いの雰囲気が違った。どちらも好きだけど、笑納めのほうは、「懐が寂しくたって、一緒に過ごす家族がいなくたって笑い飛ばす」ことを念頭に置いているので、ネタに尖りがあった。笑初のほうは、正月早々尖る気分にもならないし、クスクスと笑って新年を祝いで終わった。 おみくじを引いたら小吉で、いろいろと用心しなければならないことが書かれていた。が、木の枝に結んできたため、内容がいまひとつ思い出せない。 日本滞在中、大阪で新しくメガネを新調するはめになり、それをカナダに戻る日までに東京に届けてもらうことになっていた。が、宅配業者がまさかの紛失。小吉を引いただけのことはある。でもメガネ屋さんの早業と頑張りで、なんと宅配業者が新幹線に乗って菓子折りとともに新しいメガネを持ってきてくれた。お菓子のレベルも高かったので、その努力に免じて今回のことは水に流そう。 日本訪問の一番の目的は姉妹との記念撮影。子供を持つ人たちが七五三などで記念写真を撮っているのを見ていて、私も姉妹とは撮っておこうと思い立ったのだった。「キメ顔」的な写真が私は苦手で、自然なポーズを撮ってくれたので、さすがプロ!と感心。自然な表情に行き着くまでにはプロの巧みな誘導があったのだ。 いろんな人にも再会できたし、黒柳徹子のお宝展「Su・te・ki展」、高麗屋の三代同時襲名の新春歌舞伎もよかった。 帰ってきたら、仕事が… ありがたいことなので幸先のよいスタートなのかもしれない。 写真は毎年恒例の干支ハンカチ。セール品の中に干支ハンカチではない犬のハンカチが … 青いのがそれ。犬ってのがよく使われるモチーフだからだろうか。そしてレノマの干支ハンカチは毎年私好み。ほかのハンカチに比べて値段が安いのもヨシ。
イルフ美術館
中国西安の後は日本。長野県岡谷市に行きたい美術館があり、名古屋から特急しなのに乗って中央本線で岡谷へ。 お目当はイルフ美術館。童画をたくさん描いた武井武雄の作品が多く収蔵されている(岡谷は彼の出身地)。絵がわたし好みなのは偶然ではなく、武井武雄は郷土玩具の収集家でもあって、こけしの絵なども描いている上に、私の好きな黒柳徹子がこの人のファンでその絵本を出しているので、当然の帰結。今回訪ねたときは「トリスおじさん」の柳原良平の企画展も開催中だった。武井武雄は子供のための美しい絵を描き、柳原良平は大人のあそび心で子供のための絵を描いている。 イルフ美術館で4時間も絵を見て、グッズをいろいろと買った(復刻版かるたなど)。 帰りは岡谷からスーパーあずさに乗って新宿へ。結果的に中央本線だけで上京してしまった。スーパーあずさが甲府のあたりを走っているとき、きれいな山が見えて「富士山に似ている」と思っていたら、本当に富士山だった。静岡からの富士山を見慣れているので驚いた。 岡谷は名古屋からも新宿からもアクセスはいい。
会津若松、大内宿の旅
岩を打ちつける滝の音に耳を澄まして無心になれば、竹やぶの青み、積もる雪、空を舞う雪で目を癒し、そして湯けむりの香りを楽しむことができる。 親孝行のつもりで訪ねた会津若松には真冬の雪が降り積もる。普段、異国の北国に住んでいるからこれぐらいの寒さなんてへっちゃら、と高をくくっていたら甘かった。2時間も外にいれば体が冷え、温泉がありがたい。でもビジネスホテルに慣れている私は温泉宿では落ち着かない。 ラスト・サムライの地、若松城こと鶴ヶ城と、白虎隊が自刀した飯盛山を見学し、会津若松よりさらに雪深い大内宿を訪ねるのが旅の目玉。「八重の桜」の放映終了もかなり前のことだし寒いからなのだろうけど、観光客がほとんどいない。突然地元の年配の人に話しかけられた。 「どちらから?」 「三重です」 「ほお!桑名藩。仲間じゃ!」 歴史を知らなければ難度の高い会話が繰り出され、会話は続かなかった。 司馬遼太郎が「白虎隊のことがなかったら、武士道とは何なのかわからなかったと思う」と話していた。敵に捕まる恥を嫌って自決した白虎隊。「捕まる恥」というのは日本的な考えなのかも。丁度、イスラム国による日本人人質事件が激しく報道されていたので、自己責任を声高に叫ぶ意見の中にはそういう「恥」の文化が脈々と流れているのかも、となんとなく思ってしまった。飯盛山の白虎隊自刀の地から鶴ヶ城の方向を眺めてみた。昔、某漫画を英訳したことがあるけど、それに出てくる妖怪の名前が、白虎、青龍、玄武、朱雀だったことを思い出した。 飯盛山のふもとにあるさざえ堂 - 一方通行のらせん状の不思議な建物 会津鉄道に乗り、会津若松からよりもさらに雪深い大内宿へ。車窓の景色は素晴らしい。大内宿は会津西街道沿いにあって立派な宿場町だったところが、近代化の中で山の中に取り残される形となり、江戸時代当時の姿が今も残っているというところらしい。今は道路が敷かれ、季節のよいときには大渋滞となるとなるほど人気があるが、真冬に来る人は少ない。 私はここで最近生まれた姪っ子にでんでん太鼓を買い、名前を入れてもらった。すると、達筆なおじいさんが「ちょっと待って」と言い、何やら和紙にさらさらと書いている。姪っ子の名前に因み、詩のようなものを書いてくれた。それが気取らず飾らずのストレートな言葉だったので感動した。これはボランティアであのあたりの老人が子供のために書くものらしく、「子供大切にする」ということの表れかも。閑散期に行ってよかった。 それにしても、平日ということもあったけど、日本のシニアの旅行者はこんな雪の中でも多く、みんな楽しそうだった。
メイド・イン・ジャパン
一時帰国の前には「買い物リスト」を余念なく作成し、必要なものや欲しいものは忘れずに買おうと思うのに、いざ日本に入国すると物欲が過度に刺激され、せっかくのリストはどこへやら。そんな物欲に翻弄されながらのショッピング中に新たな発見がありました。 干支ハンカチ 集める先から紛失しているので手元にはあまり残っていないのですが、今回は12月から新年にかけてと干支ハンカチを買うには最高の時期に帰国。しかし、蓋を開けてみれば、ロゴが元々「馬」である某ブランドのハンカチが干支用にデザインを工夫したとも思えない状態で売場を占拠し、非常に残念な結果でした。去年の巳年はヘビという題材をどう料理するのかが楽しみだったのに比べれば、テンションがぐっと下がりました。そんな中見つけたのはこれ。「馬が九頭=ウマくいく」という縁起かつぎの「はん勝ち」だそうで。 BAOBAOのバッグ 日本に行ったら絶対見たいもののひとつが三宅一生のBAOBAOの鞄。でも「革でもない、ただの塩化ビニールなのに高い!」という人とは一緒に見に行ってはいけません。ヴィトンのバッグ1個分のお金でBAOBAOのバッグが3個ぐらい買えるのだから、もう好みの問題です。次から次へと新色やら三角の大きさや表面加工を変えては新作が出てくるので、それを手にとって見ることができる日本の人が羨ましい! ネットで目星をつけて行ったものの、新宿伊勢丹に行ったのは12月半ば。毎月月初に新作が出て、早々に品薄になるため第一週目に足を運ばないといけないらしい。メイド・イン・ジャパンであるため海外の客で買い占める人も多いとのこと。店員さんやBAOBAOファンに御指南賜りました。この後名古屋高島屋で敗者復活戦に挑んだら一番欲しかった色と形のものがあった!しかしその二日後には名古屋でも完売(同じ商品が)。あの時、思い切って買っておいてよかったわー! コムデギャルソンの服 ギャルソンの店員さんに熟女が多いのはファンが川久保玲とともに歳を重ねたからなのでしょうか。ギャルソンの中でもブランドが細分化しているので一概には言えませんが。今回PLAYのセーターを来て東京をブラブラしていたら、中国人の女の子のグループに「PLAYの服、どこで買ったの?」と英語で聞かれました。しばらくして同じ子たちがPLAYのTシャツを数着まとめ買いしているのを発見。このあたりの諸事情に詳しい妹に聞けば、「ギャルソンの服はほとんどメイド・イン・ジャパンだから、お土産として買う人もいる」とのこと。 日本人がiPHONEだのGALAXYだの日本製ではないものに嬉々として大枚はたく中、日本を訪れるガイジンたちはこんなふうにメイド・イン・ジャパンに食いついているのかと知り、なんだか崇高な感動すら覚えた次第です。
靖国神社&遊就館
日本の長旅から大寒波が襲うカナダに帰ってきました。 いきなりですが、靖国神社参拝体験から書こうと思います。そもそもあの神社に行ってみたいと言い出したのはガイジンである教授のほうでして。政治ニュースを追っているガイジンならば「ヤスクニサンパイで揉めるヤスクニに行ってみたい」と思うのでしょう。日本に帰国するたび、東京に行くたびに物欲が刺激され買い物三昧になってしまい、こういうところに行くための時間を取るのは難しい。今回も日本のデパートのメンズ館の充実振りを教授に体験してもらうための新宿伊勢丹のメンズ館訪問がなければ靖国参拝も実現しなかったという次第です。クリスマス前の修羅場と化したメンズ館、高級品が飛ぶように売れる新宿伊勢丹を体験し、人疲れを癒すために靖国神社でも行きましょうと。しかし5時閉門。警護が厳重な駐車場から「ここかあ…」と眺め、千鳥ケ淵を歩いて戦没者墓苑をこれまた外から眺めました。暗くて怖かったです、千鳥ケ淵。 そんなわけで時間がなくて教授は中まで靖国神社を見ることができませんでした。私もメディアを通じての「ヤスクニ」しか知らないのですが、代わりに見てきてあげましょうというわけでもう一度仕切り直して行って来ました。ヤスクニ=右翼なイメージがつきまとうけれど、周辺の政治的には中立的な人々に「遊就館は一度訪ねたほうがいいよ」と薦められたのも理由のひとつ。 実際行ってみると、パワースポット巡りに熱心な女子たちが靖国神社には皆無。まだ記憶も生々しくパワースポットに昇格していないのでしょうか。女子の線引きはここにあり、ですね。一応参拝して、軍犬、軍馬が祀られているあたりにある遊就館へ入場。初めてなのでわかりませんが、いきなり五ニ機に迎えられたのは、映画「永遠のゼロ」のせいでしょうか?展示されている遺書も特攻隊のものが多い。 まず「英霊のなんとか」というような題の映画を見て、それから館内見学。近代史の説明から始まりますが大政奉還からなので長い。戊辰戦争、日清・日露戦争、第一次世界大戦、そしてやっと第二次世界大戦。この日本近代史をよく知っている人が見ると、その人の政治的信念によっては反応が大きく変わること間違いなしの展示です。戊辰戦争ぐらいの過去だと新撰組を英雄視することに抵抗を感じることも一意見として大きな声で言えます。しかしこの靖国訪問の3週間前に京都で新撰組ゆかりの地を散歩したときに、新撰組の歴史同好会が新撰組の歴史を正しく理解してもらうためにいろいろ活動しているのを知って驚き、新撰組の段階でこれほど熱くなるのだからな… と第二次世界大戦のあり方については大きく揉めることは仕方がないと深い溜息をつきます。私は司馬遼太郎の描く新撰組は知らなくて、子母澤寛の著作で新撰組を知ったのですが、司馬遼太郎の歴史観に反感を覚える人も多いのだそうで。子母澤寛の著書は中立的らしい。この近代史の展示部分は、賛否両論はあるものの、そもそもなぜ日本が日清・日露戦争を経て二つの大戦に参戦したのかをある一面から語ります。ちょっとはっとする部分もありますよ(いい意味で)。 話がどんどん逸れますが、「永遠のゼロ」で私が良かったと思うシーンは現代の若者を演じる三浦春馬が同年代の友達に「特攻隊なんて自爆テロだよ」と言われムッとするシーンや、自分のおじいちゃんを「ダメな奴だった」と言われたのを真に受けているシーンです。日本のトップガンみたいな岡田准一いいトコどりの作りの映画なのですが、そういう一個人を英雄視する(したいという願望)ことと、第三の眼で見たときの冷酷とも思える発言が対峙するシーンというのは、すべて三浦春馬が演じぬくシーンなのですね。私はそういう「社交的な場ではできれば避けたい会話」のシーンのほうが大事じゃない?と思ったのでした。春馬派か准一派かという問題ではなくて。 さて遊就館に話は戻ります。以前から友達に「遺書のコーナーがいいよ」と言われていたのでそこへ進みます。ここも特攻隊のものが圧倒的に多かったのですが、満州の野戦病院で看護を勤めた女学生、沖縄の学生、日本の支配地出身者の遺書なども。年齢を見ると皆20歳そこそこ。その遺書の達筆さ、文章の素晴らしさに驚き、内容に涙が溢れます。辞世の句を詠んでいる人もたくさんいます。友人によればあの時代は代書・代筆による手紙が多いということですが、それでも内容そのものは本人のもの。彼らの写真、遺品、遺書、経歴を読んでいるうちに4時間以上も時間は過ぎたのでした。それでも全部を見切ることはできませんでした。 戦争体験者が高齢だし、そういう人たちがいなくなったら遊就館の展示内容はもっと変わってしまうかもしれません。行くなら今のうちかも。 靖国神社周辺で上下真っ赤のスーツを来た男と上下真っ白のスーツを来た男の二人連れが歩いていました。頭は坊主刈り。教授が「コメディアン?」と聞いてきましたが、いかつい表情からもそうではないのが見て取れます。「違うよ。たぶん…」と説明してみて、私も真っ赤なコートを着ていることを思い出し、やっぱり普通の人だったかもしれない、と思ったのでした。
ショッピング中の社会見学、社会の窓
散歩でも遠足でもないですが、日本帰国中のショッピングでの「にた社会見学」。 新しい腕時計が買いたい、とまず妹とショッピング。「予算は?」と聞かれ「XX ぐらいかな」と、そのセンで探すもあまりいいものがない。とりあえず断念。 日を改め、ゴージャスな姉とショッピング。姉妹で私だけがゴージャスでない。姉に「稼いでるんだから予算上げろ」と一言。そういうわけで予算を組み直して時計を物色し始めると、身に着けてみたいと思う時計が何点か。時々可愛いな、と思うものが並べてある店だけどファッション路線が違うということで、自分のものは一度も買ったことがないという某店で、第一候補をようやく購入。ヒマそうだった(午後4時過ぎ)というのもあり、店員さんと四方山話に花を咲かせ、午後5時ぐらいまでナンチャラカンチャラで手間取り、気がつけば、オジサンと若い子のカップルが何組か店を賑わしている。その彼らの年齢差(どのカップルも同じような年齢差)、親子ではないよなと思わせるオーラ、などなど、探偵の目はギラギラ光る。 店員さんに「なんか急に込み合ってきましたよね」とアゴをしゃくってカップルたちを指すと、「そうですね、この時間帯はいつも… 会社が終わる時間なので」と店員さんも目配せしてくる。「やっぱりそうなんですね。財布と一緒に来なきゃ、ですよね」 そうか、そうなのか!ま、世の中そうだよな! しかし... 20年前に私はとある財布を買い、「テメーのその財布に、その値段を超える現金が入ってるトコ見てみたいもんだね」と家族にバカにされたことがあるのですが、今こうして振り返ると、「アタシ、もうそんなに貧乏じゃないのかも...」と客観的に自分を見つめることができました。でも貧乏性は直っていません。
