ミニチュアの旅(シカゴ)

ミニチュアの旅に行ってきた。行き先はシカゴ美術館(Art Institute of Chicago)のミニチュアルーム。トロントからだと飛行機で90分ぐらい。 映画監督のウェス・アンダーソンが何年か前のラジオインタビューで、この美術館のミニチュアの話をしていたのを覚えていた。よくジオラマっぽい映画を作る人なので、その映画もすごく好きだし、彼の話をすごく信用して、いつかチャンスがあったら行きたいと願っていた。やっとチャンスは巡ってきた。 正味2日の滞在で、両日ともミニチュアルームに行った。1日目は、同じく小さなものが好きな友達と一緒に。その小ささ、その緻密さにびっくり仰天。小さな陶器の絵付けも手作業。絨毯も手織り。でも、部屋や調度品を縮小しているだけじゃない。天井も、床も、壁も、椅子のビロードの擦れ具合すら、すべて本物そっくり。そして、窓の景色、午前の日差し、昼下がりの太陽、灰がかった冬空、秋の長い影、夜景、そんなものまですべて再現してある。アメリカンルームとヨーロピアンルームがあって、アメリカ暮らしの長かった私たちは、「なるほど、これはニューヨークっぽい!」などとミニチュアの伝える雰囲気の忠実ぶりに感心しきっていた。 デジタルの世界から遠く離れ、完全手作業の世界にただただ浸る。 隣にも部屋が続いている ミニチュアの編み物とメガネ ミニチュアの中のミニチュア 展示しきれない数のミニチュアルームがあるので、時々展示を入れ替えるらしい。今はちょっとクリスマスっぽいものがいくつかある。興奮して2時間以上かけて見た。かなり人気のある展示らしく、人は多い。でも、私たちほど興奮しながら長い間見ていた人はいなかった。 ミニチュアルームの図録はミュージアムショップに売っているが、限りなく本物に忠実に作られたものを接写で撮影してある図録は、残念ながらミニチュアに見えず、ただの部屋に見えた。いつか買うかもしれないけど、今回はパス。 2日目は一人で、再びミニチュアルームへ。本当に細かいので、何度見ても飽きない。ちなみに、ミニチュアルームに訪問する人は圧倒的に女と子供が多い。同伴の男の人もたまに見かけるけど、ミニチュアだとウンチクをたれる人も少なく、「ちっちゃーい!」「こまかーい!」と感動のボキャブラリーは非常に限られており、心おだやかに鑑賞できる。 誰がこれを作っているのかを見たい人はこちらをどうぞ。 http://www.cbsnews.com/common/video/cbsnews_video.swf もしシカゴに生まれ育っていたら、この人に弟子入りするか、ミニチュアルームの掃除係になっていたにちがいないとすら思った。 意外にも心を奪われたのは、ガラス製のペーパーウェイトの展示だった。これも両日ともじっくり見たね。

Posted in

NEWARK

アメリカはニュージャージー州ニューアークへ行ってきた。チケットを買ったものの、骨折したり新しい仕事が入ってきたりして行くのが危ぶまれた。結局、忙しくてホテルでずっと仕事していただけ。 ついでにマンハッタンに遊びに行きやすそうな場所を選んでホテルをとったら、まあ、ホテル周辺が大変に荒んでおりました。ニューアークのダウンタウンには大企業の本社が結構あって昼間はそれなりなのに(それでも荒んではいる)、夜暗くなってからは、特にホテル最寄の交差点がとても荒れておりました。久々に怖い!と思った。しかも猫模様の服を着ていたので、道でたむろしているクレイジーな人たちに「にゃーにゃー」と言われたし。 ニューアークのダウンタウンに泊まった、と友達に話すと、みんなに「ええー!」と驚かれた。 最後の夜、一度だけマンハッタンに繰り出したのはよかったのですが、ニューアークに戻ってきたのは午前2時近く。駅からホテルまで歩いて10分の距離だったけど、絶対に生きて帰りたい!とタクシーに乗ることに。 運転席と客席を区切る窓がスーっと開き、 「10ドルだからな」 とドスの効いた声で、強面の黒人のおじさんに言われ、「ふぁ…ふぁいん」と酔いが一気に覚めた。ふっかけられたのはわかっていても、抵抗も拒否も(外がもっと怖かったから)できなかった。おじさんはメーターのスイッチはもちろん入れなかった。財布を覗いたら、ちょうど10ドル現金がある!!これで20ドル札しかなかったら絶対お釣りなんてもらえない! 私は一体何をしにニューアークに行ったのだろうか。

Posted in

お一人様のアイスランド その4

アイスランドには人間よりも羊のほうがうんと多いらしい。人間が33万人で、羊が80万匹。ほかの家畜もいるのに、羊だけが好き勝手にいろんなところに放牧されていて、山の中や道路脇、ホテルの窓の下などなど、自由にいろんなところを歩いていた。 野生化しているのかな?とはじめは思っていたら、みんな農家の人が飼っているという。春先から夏の間中放たれているため、どんどんと遠いところに行ってしまう。でも耳にタグが付いていて、秋に一斉に一箇所に追い立てられ(ほぼ国民総出のような行事らしい)、そこでタグで仕分けされて、飼い主のもとに返される。アイスランド語でその行事を「smölun」(スモールン)いうらしい。 つまり、私がアイスランドを訪ねた夏の終わりは、羊たちは草を食いつくして丸々と太り、毛刈りもされずにもっともワイルドに成り果てていた時期だった。たまに道路脇にいたのを見かけては、近寄って写真を撮ったりしていたが、あまり近寄らせてはくれなかった。野性を取り戻しつつあるからか(?)、若干賢そうに見えた。 誰だろう? 三つ巴 きったねーな、オマエ 自然にブークレ どこかに向かって走っている 嵐の中、谷で待機中 これがあのロピの毛糸になるのかと、羊にばっかりカメラを向けていたが、馬も実は愛おしかった。私が見たウマたちは、サラブレッドなどの貴公子ではなく、短足でタテガミがぼうぼうだったが、牧場で楽しそうにウマ同士が戯れて駆けっこしていたり、嵐の中、何頭かが肩寄せあってじっと雨風に耐えている姿など、風さえなければカメラに収めたかった。 最終日に毛糸屋を2軒回って、ロピをいくつか購入。このスカーフのキットはアイスランドの苔の平原を思わせる色だったので、つい買ってしまった。全部草木染め。 最近知ったけど、カナダにアイスランド人が19世紀に移住してきてできたコミュニティがある。マニトバ州のGimliがそうで「ニューアイスランド」と呼ばれているのだと!! ところで、アイスランドの国旗は、スカンジナビアの国と同じタイプの十字のデザインで、やっぱりスカンジナビアの文化圏にあるんだなと思わせるね。ノルウェーとは赤と青が逆になっているだけだね。

Posted in

お一人様のアイスランド その3

昨夜、アイスランドで新たな間欠泉を発見する夢を見た。間欠泉はまだ苔や溶岩に埋もれているのだが、私が写真を撮ると、その場所が白い蛍光色で浮き上がり、それを世間に忠告すると、間欠泉が吹き上がるという壮大な夢だった。 ゴールデンサークルと呼ばれるところにある有名な間欠泉を見に行ったが、数分おきに吹き上がり、見事にボァー!っと吹き上がるときと、不完全燃焼のときがある。予測がつかないし、唐突にやってくるので、毎回驚いてしまい、スマホでちゃんとした写真が撮れるまで、何度も自分の指、足、前の人の頭などを撮ってしまった。 ゴールデンサークルには6500年前にできた小さなカルデラ湖もあり15分もあればゆっくりを周囲を歩ける。ここの溶岩は赤く、武田百合子が『富士日記』で夫婦で赤い溶岩を拾い集めていたのを思い出し、私も拾って帰ろうかと思ったが、昔、霊感の強い人が「溶岩の穴の中には霊が入っているから、持って帰ってきてはいけない」と忠告していたのも思い出し、やめた。 グトルフォスの滝にも行った。壮大だった。周囲には何もない。きっと大昔はナイアガラの滝だってこんなかんじだったのかもしれない。グトルフォスの滝にも発電所を作る予定はあったが、反対にあって今のところない。 アイスランドに行くなら是非にとたくさんの人からお勧めされたブルーラグーン。しかし9月上旬は北米からの観光客でいっぱいで、芋洗い。まずは女子ロッカーが激戦区。 そんな中、プラスチックカップになみなみと注がれたワイン、ビール、そしてスムージーを飲みながら、たくさんの人がお湯に浸かっている。巨大な温泉だもの、あっちこっちでみんなドリンクをお湯の中にこぼしているに違いない。 この日も嵐のような天気。しかしドライブするのもたいへんだし、お湯に浸かって雨に濡れるのもよろしいではないか。でも一人で一時間以上も浸かっているのは疲れたな。ブルーラグーンを何周も回った。温泉は国際色豊かで、イスラム教徒の女の子はお湯の中でも頭にスカーフ、全身を隠す服(水着?)を着ていた。そして、ここでも防水の袋にスマホに自撮り棒が!あの棒、キライ。むしろ、あの棒をあらゆるところに持ち込んでずっと自撮りしている棒の持ち主が苦手。 http://www.bluelagoon.com/ 今ブルーラグーンは拡張工事中。来年に終わるらしい。芋洗い問題は解決されるのか。でも、一日65ユーロはいくらなんでも高い(バスローブ貸出してくれるけど)。レイキャビックに市民が利用する温水プールがいくつかあるらしく、そこには子供用の滑り台なんかもあって安いらしいし、家族で行くならそっちかもね。 宿泊先のホテルには、ブルーじゃないけど露天風呂もサウナもついていて、実はそっちのほうがずっとよかった。10人ぐらい入れるような大きさで、景色が眺められて、夜の11時まで入れるし、客室数が少ないから独占できたこともあった。ほかの客がいれば、客同士で話したりしたし、退屈しなかった。写真撮らなかったからリンクを貼っておこう。 http://ioniceland.is/spa/ ホテルのごはんもおいしかった。バターがとてもおいしくて、ほめちぎっていたら、食事のときに「ほら、バターですよ!」と強調しながら出してくれるようになった。魚の干物もあって、おしゃれそうにポテトチップス状になっていたけど、味は干物。これもバターと一緒に出てきた。

Posted in

お一人様のアイスランド その2

アイスランドの天候は怖いようなことを書いたけど、それは滞在中の天気がたまたま悪かっただけ。おかげで、駐車するときは向い風を受ける状態で停めれば、ドアが引きちぎれない、という知恵をつけた。 雨の日も神秘的。アイスランドの風景は、カリフォルニアやアリゾナの砂漠を水浸しにしたようだと思ったね。あの荒涼とした感じが。タンブルウィードの代わりに苔。砂じゃなくて火山灰と溶岩。突然現れる川。木が生えてないからどこまでも見渡せる。 ホテルの近くの川(お湯が流れている) ホテルの後ろの景色 私が訪れた日まではオーロラもよく見えるほど空が澄んでいて天気がよかったらしい。ホテルで出会ったアメリカ人たちが「これ以上はないってぐらいのオーロラだったわよ!」と大喜びしていた。しかし、私が滞在していた間は毎日雨雲、最後の2日間は嵐のようだった。温泉に浸かっていても、雨風がガンガンに降り注いでいた。どうせ濡れているからいいんだけど。 アイスランドに行く前に、「The Little Book of the Icelanders」という本を人に薦められて読んだ。読んでおいてよかった。アイスランド人の性向や文化が書いてあり、著者が外国生活の長かったアイスランド人なので、祖国を愛しながらも、その文化のよしあしを外からの目線で解説できるのだ。そこんとこがミソの本かもしれない。 この本によれば、独立精神の強いアイスランド人はコミットメントが苦手らしく、「まず子供ができてしまう」→「同棲してみる」→「うまくいけば結婚してみる」というパターンが多いらしい。そういうカップルの間で生まれた子は、家族親戚の大人、地域の大人に面倒を見てもらいながら、親以外の大人も見て育つことが多いとか、そういう地域社会の中だと大人と子供の線引きが曖昧だということが書いてあった。人口が少ないのに厳しい環境で生きているから、見ず知らずの人との間でも相互扶助が浸透しているとか、フェイスブックの浸透率が95%で、国民がいろんなことをフェイスブックで語り合っているとか。最後は、アイスランドでの人の死に対する考え方、その悼み方、葬り方についてで、ちょっとホロリと泣けてしまったりする。ほかには、アルコール好き(ゆえにアル中問題)、外国メディアに自国がどう報道されているか気になって仕方がないところ、名字の問題、言語の問題、電話帳の問題など、面白いことがいろいろ書いてあった。 実際、私が滞在していた間、「アイスランドにもっとシリア難民を受け入れよう!」とフェイスブック上で騒いでいた。ほかのヨーロッパ諸国ではシリア難民の受け入れは深刻だというのに…実はこの本には、アイスランド人はアイスランドの不文律を理解できない、あるいは理解していても実践できない人に対して、非常に不寛容である、ということも書いてあった(どこかの国に似ているね)。大丈夫なんだろうか。 ほかのニュースとしては、アイスランドのサッカーチームがEURO2016の予選突破を果たしたため、大統領が「この日は好きなだけ飲んで騒いでもよろしい」と宣言したにもかかわらず、警察が午前一時を過ぎても営業していたバーを取り締まったとか、金融立国だったけれど、2008年にそれが崩壊してしまったので、今度はデータセンターで国を立て直そうとしているとか。比較的のんびりしたニュース。 ドライブ中何度か給油したけれど、カード読み取り画面がアイスランド語表示だけのところがあった。いくらアルファベット文字表記でも、想像を膨らませれば理解できるような言語ではなかったので、適当にボタンをポチポチ押しまくっていたところ、背後からニット帽を被ったおっさんが「May I help you?」と話しかけてきた。これがアメリカなら、両手を挙げて命乞いをする状況かもしれないと思い、ドッキリしてしまった。助けてもらったけど。アイスランド人はほとんど皆英語が話せる。デンマーク語もできるらしく、毛糸屋さんで、「この毛糸はアイスランド産?」と聞くと、「ううん。それはデンシュケの」と英語を話しつつもデンマークところをデンシュケと言ってしまう人もいた。 ヒッチハイカーにも声を掛けられた。若い男女二人組み。ヒッチハイカーが多いとは聞いていたけど、私は女一人で大型4WDを運転していたのだからカモであったに違いない。行き先など告げてきたけど、大丈夫そうな子達に見えたけど、何かあったら2対1で、どう考えても不利だから、「やっぱり無理、ゴメン」とお断り。 お酒を飲むのは必ずホテルに着いてから。すごく眺めのいいバーが館内にあって、ガラスの向こうに延々と続く苔の平原に日が暮れていくのを見る。日が暮れると真っ暗闇になる。ここのホテルで働く女の子たちはこの真っ暗闇を運転して家に帰る。心配して「大丈夫なの?」と聞くと、「冬の間は一日中太陽は出ないし」、「時々雪の中を立ち往生するけどレスキュー隊が来てくれる」という。彼女たちは「慣れている」のだった。 ホテルの隣にある地熱発電所 ハイキング トレイル。私には無理 朝のシングヴァトラヴァトン湖 嗚呼、まだまだアイスランドについて書ききれない。続きは明日。

Posted in

お一人様のアイスランド

休暇でロンドンとアイスランドへ。ロンドンについては後回しで、まずはアイスランド。 ロンドンからもトロントからもアイスランドへは遠くない。直行便でロンドンからだと3時間、トロントからなら5時間。アイスランドというと極寒の地というイメージだけど、実はカナダよりも暖かい。アイスランド航空の客室乗務員に「トロントの冬って寒いわよね」と言われた。アイスランドの冬は零下5度ぐらいにしかならないのだそうだ。これはメキシコからの暖流のせい。ま、火山はあるし、温泉も湧いているし、捕鯨するからEUに入れないし、2008年の金融危機の後カナダドルの採用を検討したこともある国だし、興味は尽きないね。 今回、アイスランドへは一人で行ったのだけど、いろんな人に驚かれた。というのも、大自然に囲まれているので、その自然が猛威を振るったときに「大丈夫?」と心配されたのだった。実際、レイキャビックのレンタカーのカウンターで、地元の人、ほかの観光客、いろんな人に驚かれた。男の人には「REALLY?」、女の人には「AWESOME!!」と。ちなみに、大自然といっても、悪天候になったときや車が故障したときが問題で、自然の中をハイキングしたところで、熊などの大きな動物はいないのだった。せいぜいキツネ、羊、馬、牛。 レンタカーのカウンターでは、もちろんアイスランドの天候事情を聞かされて、突風と、火山灰嵐と、路肩がないことを聞かされた。 この国の国民総人口は32万人ちょっとで、道がついているところが少ない。だから道を運転している限りは迷いようがない。その代わり、道に路肩やガードレール、車線もないところが多い。道からはみ出すと車体が横転しそう。それに加え、風を遮る木々も建物もなく、大型の四輪駆動車で走っていても、突風が吹き荒れるとハンドルを両手で握り締めていないと恐ろしい。この突風は、車を停めて写真を撮るときにも恐ろしい。迂闊にドアを手から離すと、車のドアが引きちぎれんばかりに開いてしまう。ドアが壊れることもあるし、隣に停まっている車にゴツンとドアが当たってしまうので、恐ろしい。おまけに、私の滞在中は天候が荒れて、風が横殴りだったし。 あとは、火山灰の嵐。2010年の噴火の名残で突発的に起きるらしく、運転中にこの嵐に巻き込まれたら、「絶対に停まらずにひたすらまっすぐ走れ。Uターンもしてはいけない」と言われた。灰が車体に積もると車がダメージを受けるので停まってはいけないというのだが、Uターンしてしまうと、車の両面がダメージを受けることになるので、まっすぐ走れ、という指示なのだった…宿泊先のホテルでほかの観光客と話していたら、彼女たちはハイキング中にこの嵐に巻き込まれて、「真っ暗で何も見えなくなったし、すごく汚れた」と話していた。わりとよく起きるものなのかもしれない。 ちなみに、アイスランドのレンタカーは値段の差が激しい。安いところは空港から離れているところにカウンターがあるから安いのだと思う(もちろん送迎してくれる)。安いところで借りて、ちゃんと保険は入ったほうがいいと思う。あとはGPSナビは必需品。でも私の借りたものは、アイスランド語の綴りでないと入力できない。だからアイスランド語の地図も買った。たとえば「Blue Lagoon」と英語で入力しても検索してくれないけど、アイスランド語の綴りで入力すると大丈夫。でもねー、突風の吹き荒れる中、片手運転で入力しちゃダメ。道のど真ん中に停めるぐらいのことしても平気だから。 今回は3泊4日の滞在で、レイキャビックから一時間ほど僻地に行った、地熱発電所以外には何も周囲にない僻地に宿泊した。冬は閉鎖されるという、すれ違う車がほとんどないのに、羊とはよく出会う道路を走り抜けると、ホテルがある。地熱発電所があるぐらいなので、その周辺に流れる小川はみな川湯。湯煙がもうもうと出ていた。早朝に目を覚ませば、窓の下にはキツネや羊がいたし。 車の運転も、山の中の崖っぷちを運転しているとき、はじめは怖かったけど、ほかの車がないもんだから、ゆっくり運転して景色を楽しんだ。滞在中したことの7割はドライブだったもんな。アイスランドラジオという唯一の英語ラジオを聴きながら。 2週間ぐらい時間をかければ、アイスランド島を一周ドライブできるらしい。いつかそれをやってみたいなと思う。 続きはまた明日。

Posted in

沖縄 – ひめゆりの塔

小学校の頃ひめゆり学徒隊についての本を読んだ。何度も読んだので、冒頭で、著者の男性が12月の那覇空港に降り立ち、冬でも暖かいからコートを脱ぎながら、学徒隊の生き残りである女性に迎えられるシーンを覚えている。これで読書感想文も書いたからわりと鮮明にいろんなことを記憶している。そういう刷り込みがあって、是非ひめゆりの塔を見てみたい、本で読んだガマ(洞窟)は想像どおりなのかしら、などと今回沖縄旅行の目玉になっていった。 那覇のホテルからタクシーで糸満市に向かう。道すがら、那覇空港横にある自衛隊の基地を通り過ぎる。「不発弾処理」と書かれたジープを見かけたので、運転手に尋ねると、不発弾は沖縄にはまだ多く残っていて、発見したら警察に連絡し、警察から自衛隊に要請を出して、不発弾処理班が出動するのだという。新聞に「半径何メートル以内にいる人は、何月何日に避難」という告知が出るという。緊急の場合は、サイレンを鳴らして現場に駆けつけることもあるとのこと。 運転手に「ひめゆりの塔にある資料館に行きたいのか、その先の平和記念公園に行きたいのか、両方なのか」と聞かれオタオタ。スマホで調べる。「とりあえずひめゆりで」、「ひめゆりそばでも食べてから見るといいよ。学徒隊の生存者の方たちも、そろそろお迎えが来る頃だからね、証言活動は今はビデオだよ」と教えてもらう。 塔はもっと山奥にあるのかと思っていたら違った。外科壕跡の前は献花でいっぱい。中を覗き込むのは憚れるような気がしたけどちらっと見た。結構深い。壕というより洞窟。この壕にいたほとんどの人がこの中で亡くなっている。 資料館の入り口にはクイズが。「4月1日にアメリカ軍が上陸した島の名前は」。答えは沖縄本島。偶然だけど、私たちが資料館を訪ねたのはその4月1日。 展示は沖縄戦の経緯が時系列で説明されているのと、大戦が始まるまでの沖縄の文化背景(日本本土の教育を標準日本語で受けたり、沖縄の方言や文化が排除されていった様子など)や、非戦闘員である若年の沖縄県民がどのように動員されていったかが説明されている。教員になるはずだった女学生に看護訓練が付焼刃的に施されたこともわかる。生存者の証言ビデオは、アメリカ軍が撮影した当時の戦地の映像とともに見ることができる。証言者の話しぶりから優秀な人たちだということがわかる。証言も映像も実に痛々しい。「すごい!すごい!」と本物の人間が殺されているのをむしろ面白がっている感じで見ている大人もいて、70年の長さを感じた。そういうのってお茶の間ではアリなのかもしれないけど、資料館では慎んでほしいな。 手記の形での証言コーナーもあり、いくつか英訳もされている。十代の女の子たちが、米軍に占拠されている丘のガマ(洞窟)の中で解散を命じられた絶望が綴られている。70年前の3月23日に動員され、その約三ヵ月後の6月18日に解散を命じられ、その解散後、見放された形で、ひめゆり学徒隊のほとんどが亡くなってしまう。解散まではそれほど死者は出ていなかった。 資料館は小さいながらも見ごたえがある。やっぱり最後に行き着くのは、市民(非戦闘員)の犠牲を避けるための交渉がもっと早い段階で行われるべきだったのに、そうならなかったのはなぜだろうという疑問。沖縄戦では沖縄県民の4人に1人が亡くなっていて、沖縄の建物の8割が破壊された。 まあ、楽しいバケーション中に立ち寄る場所であるかどうかは難しいとこだけど、行ってみてよかったな。春休みだったからファミリーで訪ねてきた人もたくさんいた。 スマホで地図検索すると、ガマを追われた人々が逃げたという海岸に歩いて行けそう(この海岸は血の海だったらしいが)。というわけで、資料館から歩いて海岸へ。とても長閑なところだけど、あちこちに各県からの沖縄戦戦没者を弔う碑が建てられているので、このあたりが戦闘地だったということがわかる。近くにある平和創造の森公園の中にも東京都関係者の戦没者を弔った東京之塔がある。サトウキビ畑もある。海にはサーファーがいっぱい! 沖縄本島の南端だし、この日は天気が良かったので夕日がきれい!平和創造の森公園は戦火で草木がなくなってしまったところを植樹して緑化しているのでとてもきれい。 帰りのタクシーの運転手に那覇新都心の近くにあるホテルの名前を告げると「ああ、あそこは昔からあるホテル。3回ぐらい名前変わってるけど」と豆知識を教わった。新都心は米軍住宅地跡地を再開発したところということも知った。道理で街がなんか新しい。 …とこれを書いていたら、天皇陛下と皇后陛下がパラオのペリリュー島に慰霊の訪問をしていた。70周年だしね。 生存者にお迎えがきて語り部がいなくなり、天皇陛下にだってお迎えがいずれ来るのだから、戦争の振り返り方も変わっていくだろうな。そういう意味でも70周年は大切かもな。

Posted in

沖縄 – 那覇と阿嘉島

忘れる前に沖縄の旅について書いておこう。 そもそも、沖縄を旅するカナダ人のドキュメンタリーを見た教授が沖縄に行きたいと言い出した。帰りの予定を変更して沖縄で遊ぶ時間を作ろう!なんかわからないけど那覇行きの飛行機を押さえよう! 那覇直行便を押さえた後に、石垣島とか宮古島へ直接行けば?とか離島がオススメ、ということを人から聞く。ナニ?レンタカーがないと不便?二人とも国際免許の用意がない。下調べ不十分なまま、現地入りしてからのスマホ頼りで行った沖縄であったが、結果はナイス。 まずホテルのサービス満点。平素ビジネスホテルご愛用なのでサービスに期待していなかったからかも。「なんか沖縄料理のいい店ないかなぁ、島唄のいい店ないかなぁ」とつぶやけば、ササっと調べて予約までしてくれる。英語も上手。おかげで、こんなにうまいフーチャンプルー食べたことない!というフーチャンプルーを食べたし、ネーネーズの島唄も聴いた。 グルクンの唐揚 このホテルで配られる朝刊は「沖縄タイムス」。菅官房長官と沖縄県知事の会談前とあって、記事はどれもこれも読みごたえあり。読者からの声もたくさん載せていて、基地問題への関心度の高さとか、真剣さが伝わってくる。基地問題については本土の新聞記事と沖縄タイムスを読み比べたほうがいいということに気づいた。 偶然入ったバーでは、「那覇を是非満喫して好きになってもらいたいから」とお店の人やお客さんから、いろんな情報を教えてもらう。その中から慶良間諸島の阿嘉島へ。この島は自然がまだまだ残っていて、小さな民宿しかないようなところ。フェリーを降りて、レンタサイクルして、島のあちこちを自転車で回った。少しは泳いだけど風がきつく、ほとんどビーチでごろ寝。阿嘉島と周辺の島を結ぶ橋の上からは海亀やサメなどが泳いでいるのが見え、サイクリング中には慶良間鹿とも遭遇した。この鹿は泳いで島を渡ることができるらしい。私が見たときは陸を歩いていたが。絶滅危惧種であるからこの遭遇はとてもラッキー。 フェリーに乗っている間、前夜に聴いた島唄を思い出す。沖縄本島の小さな村から内地へ出稼ぎに行くのだけど、船は那覇からしか出ない。両親は貧しく那覇まで子供を見送ることはできない。そこで、親は丘に上がって火を焚き、那覇を出航した船から子供が見えるよう、煙を空高く舞い上げる。子供の乗った船からの煙、そして丘からの煙で、親子の別れ、親子の絆を確かめ合う、という歌詞。唄を聴いただけでもジーンとくるのに、景色を見ながら唄を思い出すと泣けてくる。 泡盛専門の飲み屋では、ご主人と客からいろんなことを教わった。泡盛の中にも木樽に寝かせるものがあり、そういうものはスコッチウィスキーに近いような香りと味がする。あと、泡盛には本来は徳利は使わず、「からから」という御屠蘇の酒器のような陶製のものを使って杯に注ぐ。この語源は、一杯分程度しか泡盛が入っていないからすぐ「から」になるからだとか、中にビー玉のようなものが入っているものがあり、それが「カラカラ」と音を立てるからだとか、色々と謂れがあるらしい。注ぎ口が欠けやすいため「からから」は今はあまり使われず、内地の影響もあって、徳利型のものを使うことがほとんどらしい。サービスしてくれたのか、たくさん飲んだのにウソみたいなお勘定だったから(間違ってないと言っていたし)、春休み中で店の片付けを手伝っている小学生の息子さんにでもと千円置いてきた。 首里城も見てきた。でも…外国人も日本人もみな騒がしくてゆっくりは見れなかった。春休みだからなのかな… もっとゆっくり見たかった。沖縄戦で建物の八割は破壊されてしまった沖縄だから、古いものを復元したい念願みたいなものがあるのかな。 唯一、羽田を発つ前から行くと決めていたのが糸満市にある「ひめゆりの塔」。タクシーで行ったけど、これについては書くと長くなるから、今日はここまで。

Posted in

島根の旅 – 松江

島根県立美術館へ伝統工芸展を見に行った。宍道湖の湖畔にあるこの美術館は夕陽スポットで有名らしい。しかしこの企画展を見終えたのは日没後。夕陽が美しかったかどうかは分からずじまい。 夕飯はトロントの友人に勧められ松江の「かねやす」という割烹で。新鮮な魚がとてもおいしい。FBでつぶやいたけどここの女将は90歳。一人でカウンターに座って御造りと日本酒を楽しむ私に「いくつ?26歳ぐらい?」「ダンナさんはいないの?」などと突っ込んだことを尋ねてくる。実年齢を答えると目を丸くして「若いね」と驚かれるので「そんなことはありませんよ。そちらはおいくつですか?60歳ぐらい?」とフッてみたら、「90よ!90!」と。これが女同士の社交辞令、会話のキャッチボールといおうか。来た球は返さなくちゃね。実は90歳ぐらいに見えたけど、動きがキビキビしていているのは体の可動域が広いからかも。 ここの店は家族で切り盛りしているらしく、その90歳の彼女の息子と思わしき人もカウンターにいる。年末とありこの一年を総括するテレビ番組で「東京五輪音頭」なるものが流れる。そんな曲は知らない私。息子さん(といってもこちらもおじいさん)が「東京五輪音頭、聞いたことないの?オレはこれを聞いて育ったよ」という。そして、店の割り箸の入っている袋をひっくり返して「この歌詞を書いた人は、ウチの歌も書いてくれたんだ」というではないか。 あら! この作詞者の宮田隆さんという人は、「かねやす」の常連客の一人で、島根県庁にお勤めだったらしい。どういうわけで「東京五輪音頭」の作詞に至ったのかは知らないけれど、文才溢れる飲兵衛であったらしく、ややけなされ気味に評されるのは、少なくともこの店の人には愛されていた証であろう。この「かねやすの歌」には宮田さんの店への愛が滲み出ているから、相思相愛。 東京での2020年オリンピックが決定した2013年の年末に、前回の東京オリンピックにゆかりのある場所に居合わせたことや、小さな発見がとても嬉しい。90歳のおばあちゃんとはある程度同じことの繰り返しではあったけどいろいろ話をして、「トロントの友達にコレ持っていってよ!ありがたいことだね!」とチョコレートを渡された。計算された「おもてなし」が多い中、掛け値なしのおもてなしに触れると心が温まる。時間がなくて松江はここしか行ってないけど、やっぱりこういう出会いが一番の旅の思い出ね。 これで島根の旅の思い出話はお終い。 東京五輪音頭の歌詞 東京五輪音頭(三波春夫版)

Posted in

島根の旅 – 出雲神社

「島根に行く」と言うと「出雲大社に行くの?」と必ず聞かれる。しかも2013年は60年に一度の遷宮で屋根が葺き替えられた。伊勢神宮の20年に一度の遷宮と重なった稀な年だった。三重生まれの私は「遷宮の年にお伊勢さんに行くと人混みがすごいから」などと言って参拝を避けるけど、ここに20年と60年の差があるね。あと20年ぐらいは軽く生きるだろうという楽観が… たぶん私が出雲大社の次の遷宮を見るのは空から。 一畑電車に乗って出雲市駅から大社に向かう。どこか別の鉄道会社からの中古車両を走らせていて「こういう車両に昔乗ったことがあるな」という懐かしさを感じ、思い出に浸る。縁結びだとかパワスポ巡りに黄色い声をあげている女子たちとはもうこの時点で「旅情」が違うのである。 ひとたび出雲情報を集め出すと「縁結び」という言葉がやたらと飛び交いちょっとうんざりする。霊験あらたかな場所を否定しているわけではないけど、パワスポに関しても、2つの遷宮が重なった2013年に向け、メディア、旅行、土産物業界が時間をかけて流行らせてきたのではないかなどと疑ってしまう。そんな私に、出雲大社について本を読んだことのある義理弟が「お姉さん、今から本を読んで勉強したのでは寝台列車に乗り遅れますから」ということでササっと教えくれた。島根の方にも神話を深く知ると島根の旅がより一層楽しくなりますよ、とも言われていたのだった… 私の行った12月中旬は大晦日と元旦を控えていた時期で人は少なかったのかもしれない。それでも人は多かった。自分とは違うノリのものや人に気圧されて盛り上がらなかった。地元の人に尋ねると「遷宮じゃないときのほうが参道も落ち着いていて地味ですよ」という。きっとそういう頃のほうが好きだと思う。早々に参拝を済ませ、誰もいない宝物館のようなところを見学して終わり。 結ぶ縁が多い... しかし出雲市駅付近の寂れたシャッター街に喜び3往復。60年に1度の遷宮の年でもあのシャッター街に活気が戻ってこなかったのだなと残念に思ったりしていた。伊勢だったら「(伊勢神宮の)おかげ」と言われる経済効果がやたらと目につくのにな。これも20年と60年周期の違いなのかしら。いや、ただそういう効果は松江に流れているだけなのかしらん。しかし、もし旅の同伴者がいたらこんなシャッター街をうろつくことはできなかったはず。独り旅でよかったわん。 歩き疲れて入った店が島根の人がやっている沖縄料理レストラン。メニューをよく見ず「お一人様歓迎」の貼紙だけを見て入っておきながら、「ここ島根の料理を出す店じゃないんですか?」と驚いた。若いときに島根から外に出たくて南下し、沖縄に惚れてしまったのがきっかけでこういう店をやっているが、最近島根もいいなと思うようになってきて地元の料理や酒も出しているという。なんとこの店でスペインで勇気がなくて手を出さなかった「カメノテ」の酒蒸しをいただいた!見た目が調理後もグロテスクであるが、中身はピンク。そして厳つい殻を割って苦労して食べる割には身が小さい。みんなで分け合いながら食べたい一品だが、なんたってお一人様。これを全部一人で食べた。しかしカメノテの出汁は非常に美味しい。島根では漁師や海で遊ぶ子供がこれをおやつとして食べたりしていた(いる?)らしい。 あとは松江のことだけだな。

Posted in