冬のマトリョーシカ

モントリオールに行ったので、友人に教えてもらったロシア書籍、工芸品、おみやげ、玩具が売られているよろず屋のような店に足を運んだ。店の前に立ったときは失望感が過ぎったが、勇気を振り絞るように店内に入れば、白髪の短い髪にピンクのハイライトを入れているデブっとしたロシア人のおばさんが、いい塩梅に接客してくれて、よいショッピング体験ができた。 私にとっては見飽きてしまった感じのマトリョーシカが並んでいるものの(私が見飽きただけで、それなりに可愛いものが置いてある)、目を凝らすとドキっとするのがいるいる!それに非常に絵がうまい人が描いたマトリョーシカもあって見ごたえがある。 初夏だというのに、「冬」をモチーフにしたマトリョーシカを買ってしまった。同じ作者が、春、夏、秋、冬の四季をテーマに同じ大きさのマトリョーシカを作っていて、できることなら全部欲しかった。「冬」のマトリョーシカは赤い手袋をしていて、寒そうにプラトークを巻いた襟元を愛らしく抑えているところが愛らしい。顔もしっかり巻いているため、楕円に描かれている。 顔立ちはブルーの瞳に長いまつげ、そして上向きな鼻、ピンクの唇に頬紅が、水森亜土のイラストを彷彿とさせる。アドちゃんのことなどすっかり忘れていた。 「春」も「夏」も「秋」もみんな本体の大きさや形は一緒なのに、「冬」だけはかなりの厚着をしていることがちゃんと描かれていて、ステキ!と迷わず選んだ。私の場合、買うときはかなり即決型なのだけど、その後で「どうやって、どのタイミングで家人に見せようかなぁ」ということに細心の注意を払う。 あと、私はマトリョーシカ派生グッズは買わないのだけど、なんたって小さな姪っ子がいるので、マトリョーシカ塗り絵を買ってしまった。まだ8ヶ月なので、これを渡すのは数年先になると思うけど、とりあえず買い置き。 コレクタブル仲間たちと、自分の死後、集めたものをどう処分するかという話になり、まあ私の場合、棺桶を入れ子タイプにしてもらい、何層にもなった棺桶の一番最後に私が入っているという具合にしてもらい、秦の始皇帝の兵馬俑のように、集めたマトリョーシカとともに埋葬なり、火葬なりしてもらえたらいいかもしれない、ということになったのでここに書き記しておこう。入れ子タイプの棺桶は高そうなので、遺灰を一番気に入っているマトリョーシカに入れてもらうってのでもいいな。マトリョーシカ熱が続いていれば、の話。 これとか、まさに兵馬俑。

KOKESHI EXPO@西荻窪

こっそりと東京に行ってきた。 到着日の夜から予定が入っていて、その日は疲れのあまり、コンビニのアイス(ソフトクリーム型)を食べながら、ベッドで横たわりながらテレビを見ていたら、知らぬ間に寝入ってしまった。午前五時頃、甘いバニラの香りに包まれて目を覚ますと、右手にはコーン、枕の横にはミルクの海。約五時間経過していたというのに、アイスクリームは半分も溶けておらず、ティッシュで「巻き」の部分を掴んでゴミ箱にポイ。…大丈夫なのかな、あのアイス。寝ぼけまなこでなければ写真を撮ったのになァ。 これはコンビニのアイスじゃないけど コケシはどうも最近流行っているらしく、西荻窪で開かれていたKOKESHI EXPOをチェック。そもそも私はマトリョーシカ コレクターであって、コケシ コレクターではない。しかし実はコケシのほうが面白いというか、コケシについて騒いでいる日本人が少なからずいて、その人たちのおかげで盛り上がっていることを楽しんでいる。ロシア人やウクライナ人ももっとマトリョーシカで盛り上がってくれればいいのにな。 KOKESHI EXPOは一部しか見てないけど、本体を東北の職人に用意してもらい、若い絵描きたちがそれに絵を付けたものを展示販売するイベントに行った。案の定、手ぶらでは帰れなかった(実際は手ぶらで帰るはめにはなったのだが)。それぞれの本職の色が出ているコケシが一堂に集まる中、私が飛びついたのは、銅版画作家のコケシ。銅版画の細い線が遊びのコケシに品格を与えているように見えたけど、そもそもコケシに品格を問うべきかどうかはわからない。「会期中は持って帰れません」とのことで、再会はいつのことやら。写真もない。この人の絵のものだけど。 こけしを見に来ている人々を観察していると、ファッションが似ているうえに、本人たちの髪型がコケシっぽい。まあ私も例外ではないのだが... 姪っ子に『こけしのゆめ』という絵本を買った。彼女もまた乳児でありながら既にコケシ化している。 日を変えて、古道具屋さんをひやかしに行くと、そこには数々の古いコケシが。ペコちゃんのコケシ、スキーこけし、クロンボこけし(クロンボと言ってはいけないけど、この場合そう呼ぶしかない。イメージ的にはダッコちゃんのこけし版かな)、などなどいろんなジャンルに分かれているではないか。「ウチはスキーこけし専門なんですけどね」という店の人の発言に奥深さを感じてしまう。 私はコケシを見に東京まで行ったのではない。あくまで仕事の合間の話。

非白人系マトリョーシカ

週末久しぶりに現実世界でアンティーキング。仮想の世界ではよくやっているけど。とりたててマトリョーシカを探しに行ったわけではない。ところが偶然にも、アフリカだとか、ポリネシアの島の人々をモチーフにしたようなマトリョーシカを見つけた。気色悪さでは上位につけてるのではないかと思う。気色悪さと、手を前にきちんと揃えている行儀のよさがうまい具合に融合しており、私が買わなければ誰が買う?という責任感に駆られ引き取ってきた。アンティーキング後半戦で意識が朦朧としてきた最中の動き、と言っても差し支えない。 オッサンとオバサンの大きさにギャップがあるので、間に何か重ねられていたのではないかと思うが、想像がつかない。二人とも霊媒師のような雰囲気を醸し出しており、「家族」ではないと思うし。何かのキャラクターだろうか... 外側のおじさんは髪型から察するにアフリカ人ではなさそう。アジアの血が混じってる。アメリカ大陸の原住民ふう。オッサンの耳が髪の毛に紛れているが、目立たなくても耳が描き入れられているのも興味深い。 内側に入っているオバサンはアフロヘア。アフロの筆致は普通のロシアのマトリョーシカにもある。絵柄的にもアフロヘアはマトリョーシカ映えすることに気付かされる一品だった。ぽってりとした官能的な唇もマトリョーシカ向き。 緑色のお召し物の模様がとても気持ち悪い。しかし、おじさんのほうのドットは結構きれいなので、こういうエキゾチックなロウケツ染めふうの模様もマトリョーシカの絵柄として料理しがいのあるものかもしれない(私は作らないけどね)。 確定申告の頃になると、突如プリンターのトナーが切れたり、洗濯機が壊れて買い換えるなどの事故が起きて、イライラが10倍増しになるのはなぜだろう。そんな中の癒しとしてのアンティーキングだった。

INDIGO KOKESHI

マトリョーシカ情報よりコケシ情報が多いのは、どうも東北復興支援が絡んでいるからのようである。「どれに行こうかな」と悩んでいる間に出遅れてしまう。さすが東京。 原宿といえばビームス、ビームスといえばおしゃれ。そんなおしゃれさんのギャラリーでコケシが販売されるという。完全に出遅れたが行ってみた。ビームスとのコラボであるインディゴコケシはイベント初日2時間以内で完売したとのこと。これも錬金術のひとつであるなと感心。ピカソの彫刻のように見えなくもない「創作コケシ」がステキだ。が、もちろん高すぎ。買ったところでどうやってカナダに運ぶかという問題もある(買わないが)。 ところでこのビームスのfennicaには民芸品が置いてあった。いつもこうなのか。出西窯の食器が都会的な演出で並んでいた。 さてさて、こんなところまで来たからには、ステキな洋服の試着を断行。さすが素材にもデザインにも手抜かりがない。しかし、気に入ったものはみな(私の体に)入らない。ロンドン&東京の外食続きの生活で着実に太ったことはわかっていたが、ここまでとは。 「いかがですか?」 「入らないんです」 「え?どのあたりがですか?」 嗚呼、ファッションが私から逃げていく。 どれもこれも入らなくてショゲていたら、店員さんがコケシの展示会の小冊子を呉れた。お気遣いありがとう。

コケーシカ&ハウス オブ フレーバーズ

ついに鎌倉のコケーシカへ。 マトリョーシカ図鑑を購入して以来、いつかは訪ねてみようと心に決めていたマトリョーシカとコケシの店。品数が多いというよりは、和露融合のオリジナル商品や、鎌倉限定品があることがウリ。マトリョーシカの品数なら、代官山の某店のほうが断然多い。以前もここに行こうとしたけど、家人に「一人で行って」と言われた。気持ちはわかる。独りまたは同じ感動をわかちあえる人と行くべき場所。 その前に… おいしいもの好きの友達とハウス オブ フレーバーズへ。こんな遠いところまでケーキを食べにきたのだからと、チーズケーキとチョコレートケーキと2個食べてしまった。超高級なので「どれぐらいおいしかった?」と聞かれても困るけど、「そっちはチーズケーキ、んじゃ私はマトリョーシカ」という交換条件で期待をせずに行ったのと、カフェの建物が美しかったとか、お皿がディオールだったとか、人生一度はそういうものも食べてみたいとか、近所にあるみのもんたの家を見たとか、全部ひっくるめてのことなので、うまく答えられない。ホール1万円のケーキを買っても100均のお皿に乗せてしまうと、やはり味は落ちてしまうんではないかと思ったりする。 そんな体験をした後の「コケーシカ」 マトリョーシカもコケシも盛りだくさん。マトコケなる和露折衷アイテムもある。染色した麦わらを使って模様をつけているマトリョーシカもある。派生グッズも多く、見ているだけで楽しい。散々悩んだ挙句、やはり入れ子のコケシにした。先日、神保町で買ったものとは作者も産地も木も違う。大きい外側のコケシと中に入っているものの表情がまったく違うのが面白い。よく眉間にしわを寄せている姪っ子に似ているということで、このコケシを買った。 これがウワサの!と逸る気持ちで写真を撮ったが、これは見本のプラスチックのケーキ こっちが本物 チョコレートケーキ、ブランデーの味が効いている。さすがに2個はキツイ

スバラシイコケシ

今日はステキなコケシを見つけてしまった。大きさのわりには高額だったので悩んだものの、結局「コレクターなんだからそれぐらい買え」という友人の鶴の一声に、「そうだよな、コレクターが買わずして誰が買う?」みたいな責任感に駆られて買った。マトリョーシカとこけしの展示販売会で。マトリョーシカのルーツは日本の郷土玩具といわれているから、マトリョーシカ収集家はコケシにも手を染めることが多いようである。 このチビコケシのクレヨンしんちゃん風の子の見上げている感じがいい! あまりの精巧な職人技とお茶目な演出に「スゲバラシイ!」と叫んでしまう。これを「スバラシイコケシ」と呼ぼう。 さっそく友人たちに見せびらかす。その後、いつものバーに立ち寄り、ママさんや常連客にも見せた。バーでは「ふうん」とか、「小さいのに結構いい値段するね」とか、まあ街場の常識的な反応であった。変人扱いされなかっただけ愛に満ち溢れたバーだと言ってもいいかも。 スバラシイコケシは、中に入っている小さなコケシたちがエノキの頭ぐらいのサイズなのに、細かい縞模様や紅花模様が描かれている。一般的にマトリョーシカの一番内側に入っているチビマトリョーシカが見るも無残な大雑把さで仕上げられているのとは大違い。日本の職人技だ。 ま、ここでこの作者のことだとかを書いてみたい気もするけど、実は私は薀蓄が苦手。薀蓄はコレクターの「発見の喜び」を無惨に打ち砕いてしまう。そういう目録的な情報を「ディープな会話」などと言われてしまうと、身も蓋もない。たとえば骨董品を集めているときに、「それはXX作なので、お値打ちです」と言われたら、購買意欲が私の場合は萎えてしまう。 旅先&出先でみかけたものを「発見」し、さらにアンテナを張っていると自分が最初に買ったものよりも「もっと面白いものがある」ということをどんどん知る喜び、所有してみてはじめて身をもって知る「適正価格」という経済&金銭感覚(要はバクチ的な感覚)を心ゆくまで堪能したい。「また買ってきた」とディスる家人への対策についてあれこれと考えるめぐらせる「共同生活の綱渡り」もスリル。

マトリョータンからこけしへ

マトリョータンの中に入っていてカラカラと音を立てるものは種だろうと思っていたけど、「瓢箪から駒」かもしれない。ガンガンに振ってみたけど出てこない。 …などと思っていたら、財布の中に小さな独楽を入れていたことを思い出した。「コマ違い」だけど、これならマトリョータンの中に入る。 親孝行のため会津若松のほうまで遊びに行っていたので、こけしを探してみた。郷土玩具つながりということで。私はよく人にこけしに似ていると言われる。会津若松にはこけしは少なく、少し離れた土湯というところが有名。そこまでは日程の都合で行けなかった。 あった… 私が会津に行っている間、仙台に出張していた教授が、おみやげに「だるまみくじ」を買ってきてくれた。青葉城址の浦安宮のものなんだけど、このだるまの中に入っていたおみくじの内容があまりよくなくて、これは買った人の運なのか、もらった人の運なのか。姫だるまの顔色は血色がなく土色。おみくじが飛び出すという点ではマトリョーシカっぽいな。

マトリョータン

なんか可愛いマトリョーシカないかなとネットで探していたところ、見つけたのがこれ。 千成ひょうたん+マトリョーシカだから、マトリョータン ネーミングにビビっときたってのもあるけど、絵がうまい。作者に連絡を取ると、「ひょうたんの収穫状況によるので気長にお待ちください」とのこと。待つことしばし。 どうやらひょうたんが収穫され、準備は着々と進んでいるところを見計らい、ひょうたんのとんがりを生かした頭部のアレンジや好みをさっくりとお願いし、後はおまかせ。 届いたマトリョータンは思ったより小ぶりで軽量。種が入っているのか振るとカラカラと音がするのもヨシ。あたりまえだけど、中にさらに人形が入っている、なんてことはない。 千成ひょうたんには台座が必要なので、台座付き。日本ならではのマトリョーシカ。いえ、マトリョータン。 イチゴ姫は頭部が鉢かつぎ姫のように見えなくもないのがこれまた和風。キリっとした目元もヘアバランスも素敵なおしゃれ上手さん。 青いニット帽は私のアイデア。目が青い。4本針で編んでるところがニット帽のマトリョータンらしい。

ミュンヘンのマトリョーシカ

パリで質の高いマトリョーシカに出会った後に、ミュンヘンで見つけたマトリョーシカを見ると「絵の巧さ」の違いが歴然としているのを感じるけど、バカっぽいところが愛おしいミュンヘンのマトリョーシカについても書き残しておこう。 質が高いとか低いとかというのは、見比べてみて初めて実感できる。それは値段にも反映されているけど、質が高いからといって、可愛い、自分のものにしたい、欲しい、という所有欲には直結しない。それを持っていると和むとか癒されるとか、幸福を感じるなんてことも大切。あくまで私にとっての話だが。 ヘンに「ブランド」とか「老舗」とか「皇室御用達」とかいうものがないのがマトリョーシカのよいところ。マトリョーシカの相場を吊り上げている人も存在してなさそうだし。作るほうもなんとなく「兼業」でやっている人が多そうなところも、「小銭が稼げて暇つぶしができれば御の字」的な人が多勢を占めていそうなのもいい。大体私は「無欲で芸術に取り組む」なんてことは信じていない。ただ作ったものが思わぬところで、人の心に響き、役に立つ、というのは信じている。 話はもとに戻り、そういう目では「できそこない」に見えなくもない、たとえばこの熊のマトリョーシカ。 「目」の入れ方が雑なため「アホ顔」になっているところがむしろ可愛い。とってつけたような口元の赤い点も、それ、要らんやろう、と思うばかりか、これを2個にしてほっぺにくっつければ「くまモン」になる(なってほしくはないが)。最後の一番小さい子は雪の妖精なのだろうけど、「熊の中に入っている」ところがきゅんとくる。最後が小熊だったら買わなかったと思う。 追記:これは「三匹の熊」という民話のマトリョーシカではないかと、情報が寄せられたので「そうかもしれない!そうだ!」ということで、雪の妖精というのは取り消しします。 こちらのイチゴ姫のほうも、質という点では、顔、イチゴ、水玉、どれをとってもいまひとつだし、一番小さい子にいたっては水子のよう。チリチリの髪の毛だし、だたの白黒で、赤すら入れてもらっていない。それが斬新だったりする。ひょっとして老眼のおばあちゃんが震える手で頑張って絵付けしたのではないか、などと勝手に想像するのも楽しい。 ああ、フランスで質の高いマトリョーシカを見て買って満足はしたものの、私のマトリョーシカの森に入れるとなると、浮いてしまうのではないかと心配だ。平和な森に、階級が生まれて均衡が崩れてしまうかもしれない。

パリのマトリョーシカ

フランス語が堪能な友人がパリに来ている時期を狙ってパリで合流。ユーロスターでフランス入り。十年ぶりのパリだけど、古い町並みは変わらないのに店が変わっていたりして、少し驚いた。いろいろと古い想い出も蘇った… 足場のよさげなサンジェルマン地区からパリのいろんなところを散歩。友人の案内あり単独の時間もありの二泊三日の滞在のお目当てはマトリョーシカ。友人に教えてもらった専門店がパリ市内に二店舗。土産物のレベルを大きく超えた質の高いマトリョーシカにお目にかかることはあまりない。楽しみにして店に足を運んだ。 まずサンジェルマン店をチェック。店内に入るや浮き足立ち、怪しい人だと思われないように「マトリョーシカを集めているので、ものすごく時間をかけて見ますから、気にしないでください」と先に断る。気に入ったものをテーブルの上に次々に乗せて、人形を開いていく。店に置いてあるものはこれまでに見たことのないようなものばかり!人形に描かれた精緻な絵や技術を手にとってシゲシゲと堪能なんて幸せ! 次にマレ店。こちらの店舗は若干狭いけれど、置いてあるマトリョーシカの数と質は変わらないと思う。置いてあるものも少し違う。こちらの店員は接客業向きの人で、私が気に入ったものをどんどんとテーブルに載せ展開させていると、「どうぞ座って!」とか「入荷したてのがあるから持って来るわね」とか奥からどんどんと出してくる。そんなわけで私は店の真ん中にどーんと腰をおろしてマトリョーシカを展開させて並べたりしていた。 マレ店の店員さんは、私の好みでないためにこれまで見向きもしなかったものでも「この絵柄はね…」とデザインの背景や意味を教えてくれる。「こんな店で働きたい!毎日マトリョーシカに囲まれてるなんて幸せ!」と言うと、「いえ別に。マトリョーシカは一つも持っていませんし」と冷めた返事が。ここで私は思った。もし私がこの店の店員ならマトリョーシカについて熱く語れて、優秀な営業成績を残せるのではないかと… でも給料はみなマトリョーシカに散財してしまうな。 新しく学んだこと(1) 箱根からロシアに伝わって出来たマトリョーシカは、最初は卵型であったらしい。箱根のロクロ細工の田中さんも卵型のものを彫っているのでそれは納得。それが時を経て人間っぽくくびれた形になって、そのうちふっくらとしたオデブさんも出来てきたとのこと。これがその卵型マトリョーシカ。 新しく学んだこと(2) 精緻なタッチの絵が描かれた高級マトリョーシカは大人が集める工芸品で、安くて可愛いものは子供用。子供用だからこそ、寓話を話して聞かせたり数を数えるのに使ったり、マトリョーシカに書かれている絵を見せて「これは誰?これは何?」と話しかけるのだそう。その説明にも納得。 新しく学んだこと(3) 絵柄については店の人に聞くべき。私好みのものはなかったが、火の鳥を描いたマトリョーシカがとても多い。それがマトリョーシカの女の子のスカーフやドレスの模様になって紛れ込んでいることもある。火の鳥はロシア民話によく出てくる。たとえば、これは私の好みじゃなかったけど、ブルーのマトリョーシカというのが珍しいので質問してみたら、火の鳥をモチーフにしたロシアの青と白の陶器をもとにしたデザインなのだそう。 マレ店では一人しかいない店員さんと楽しいひと時を過ごした(2時間はいたけど誰もほとんど客が入ってこなかった)。この二店舗で合わせて四つ買った。 そもそも私はマトリョーシカを開いたときの「驚き」が大好きなので集めている。これは可愛さに驚いた。 バブーシュカを巻いたふくよかなお姉さんの中からは、イチゴとキノコが! 牛の胴には、眼鏡を掛けたおばあさん、おばあさんの中に犬が! しかし今回は一番外側の人にも驚かされた。パン職人一家。外側のお父さんはケーキとドーナツ型のクッキーを手にしているが、クッキーが飛び出している!「枠」から飛び出す手法というのは日本の版画にもあるけど、まさにそれ!お母さんはイースターエッグ、息子はミルク、娘もミルク、末の子はミルクカップを持っている。 そして、今回私としては贅沢をしてしまった一品。お店の人いわく、初期のマトリョーシカの顔はさっぱりしていて、その原点に戻ろうとしての作品らしい。元祖は箱根だからなのかしら、コケシっぽい和な雰囲気が。バブーシュカも巻いておらず、なんとなく小花が散らしてあるだけ。そして、マトリョーシカの金色の部分はシールであることが多いのに、これはちゃんと金色の絵の具で描いてあるからピカピカしてない。グロスっぽいニスも塗ってない。お腹に描いてある絵がロシアの伝統的建物だけどそれが細かい!! 最後にマレ店で散々遊んだ挙句、お別れしてドアを閉めようとしたら、「あの、コレ!おみやげにもってって!」と手渡されたのがこれ。コロッケの「ちあきなおみ」ふうな上目遣いがヨロシイ。 これもみな友人のおかげ!サンキュっ!