世間がプリンスの死を悼んでいるけど、買ってしまった(亡くなる前に買ったけど、訃報の後に箱を開封)。 プリンスの訃報のおかげでしばらくテレビやソーシャルメディアでトランプを見なくてすむ!と喜んでいた人も多かった。前衛的なプリンスのパフォーマンスやラリー・キングとの 1999 年のインタビュー(プリンスがとてもスマートな受け答えをしている)を見てから、トランプを見たら、ますますプリンスが高貴に見えた。 それのせいでヒデキの時間も減ってしまったけど、届いたCDの中の洋楽カバー曲を聞いていて、ヒデキが歌うと何でも「歌謡曲」になってしまうことに気付いた。YMCA はビレッジピープルのバカっぽさがうまい具合に日本のお茶の間にぴったりのバカっぽさにうまく「翻訳」された稀なカバー曲だったのかもしれない。 ヒデキは何をやっても何を歌ってもヒデキということなのだけど、翻れば、それは1)ヒデキのスター性の証、2)不器用、3)歌謡曲化させることがヒデキのアート、のどれかだと思う。 プリンス訃報で気付いたことは、 ヒデキとプリンスとほぼ同世代。4つしか違わない。 どっちも奇抜なファッションをしていた(ラベンダー色のスーツに襟元がフリフリフリルのシャツとか) どっちもスタンドマイクのパフォーマンスが上手 ヒデキはアジア進出で大成功、プリンスはワールドツアー…… ヒデキはヒールのある靴を履く必要がないほど背が高い ヒデキもトシちゃんやマッチが出てきたときにシンボルになってしまえばよかったのに。 でも脳梗塞後は狙ってたわけじゃないと思うけど、ある意味シンボルにはなったよね。
Category: ヒデキ
寺内貫太郎一家
ヒデキの時間に「寺内貫太郎一家」を見ていて、やっと39話全部見終えた 。 私がヒデキファンになったのはごく最近のことだけど、実は長年の向田邦子ファン。「寺内貫太郎一家」は小説のほうで何度も繰り返し読んでいて、何度も同じところで泣いていた。 1974年に放映されたテレビドラマだからしょうがないけど、2016年の目線で見るととにかく男尊女卑で、寺内貫太郎にはありえないところ多すぎる。息子には大学浪人も許すのに、娘は大学も就職も許さない、とか。だから、ヒデキが演じる息子・周平の「ミニ貫太郎」ぶりにもありえないところがある。長男だから、父親の次に新聞を読むことができるとか。そういう時代だったということに尽きるけど。 男尊女卑でも、男のほうに人間的に大きな器があるから、最後には万事うまくまとまるというドラマではある。翻っていえば、男への期待が過剰であった時代でもあるね。一人で家族全員を養ってるから(それに職人さんも抱えてるし)大変よね。 そんでまあ、ヒデキだけども。 「寺内貫太郎一家」のヒデキは、後々の本人の言葉を考えてみると、かなり「素」のヒデキだったのではないかと思う。素直というか単純でストレートな役柄はヒデキそのもの。 74年といえば、ヒデキは売れっ子中の売れっ子だったので、ドラマでは大学浪人中のヒデキは、忙しくなると「受験合宿」という名目でしばらくドラマに姿を現さない。6週間ぐらい出てこないときがあって、そのときはさすがにいろんな苦策で逃げ切っているのが面白かった。有名な骨折は「寺内貫太郎一家2」で起きたらしいから、映画の撮影でもしてたのかな。 しかし、である。その「受験合宿」から帰ってきたヒデキが、ファンとしては本当にご無沙汰なシーンなのに、家族との夕食の席に着くなり「ブリブリブリ」とまさかのオナラを連発! ということをやらされていた。スーパーアイドルがですよ!? 百恵ちゃんが、いえ、三浦友和が「赤いシリーズ」で屁をこいたことがありまして? しかもですね、そのとき、おばあさん役の樹木希林に「このニオイは、お豆だね。お前、合宿で豆ばっかり食ってたのかい?」と言われていた。それに対して、ヒデキは「違うよ、合宿って先輩がいるだろ、気ィつかちゃってさぁ。オナラもできなかったんだよ」と答えた。 その他にも、番組中、ヒデキは樹木希林に「お前、キンタマちゃんとついてるのかい?」と何度も股間を触られている。樹木希林にせがまれてジュリーのモノマネをしているシーンもあった。 当時の超売れっ子アイドルは「うんこなんかしません」という虚像を売っていたと聞いていたのに…… ますますヒデキファンになっちゃったわん。 寺内家の朝の食事シーンで「オレは梅干も海苔も大好きだぜ」とヒデキが声を張り上げて飯を食っていた。その一言が心に響いた。
LOLA レコード鑑賞
ヒデキがフランス語で「傷だらけのローラ」を歌っているレコードをカナダのモントリオールで見つけ、トロントに送ってもらい、そのレコードを機内持ち込みでサンフランシスコに持ってきて、レコードプレーヤーを持っている友人の家に押しかけ、ようやく聴くことができた。 レコードをどうやって聴くんだっけ?とみんなで首をかしげながら、6歳児の助け(?)もあって、やっと聴けた! ドーナツ型のシングルレコードなので、トロントのレコード屋でアダプターを1個買ってそれも持って行ったけど、結局友達の家にもあった。 手間ヒマかけて、ようやくレコード鑑賞にこぎつけて、私はすごく感動していたけど、周囲は笑い転げていた。 そもそもヒデキはレコードの時代の人なんだもん。 「今回はなんでサンフランシスコに来てるの?」と人に聞かれるたびに、「レコード鑑賞……」と言ってみたい衝動に駆られた。レコード鑑賞は目的ではないけど、あくまでもついでだけど、目玉ではあった。 今、アーバンアウトフィッターで可愛いトランク型のプレーヤーがいっぱい売っているし、もちろん専門店にもあるから、買うかどうか検討中。 全然かっこよくないアダプターを買ってしまった。これしかなかった。10個パックの単価は安いのに、1個だけ買うのは高い。
ちぎれた愛と Dancing in the Dark
すごいことに気づいてしまった。 ヒデキの「ちぎれた愛」のこの映像にちらっと出てくる桜田淳子に笑ってしまったけど、 こっちのブルース・スプリングスティーンの「Dancing in the Dark」にちらっと出てくるコートニー・コックスの登場の仕方に、そっくり!!! ヒデキの映像のほうが10年ぐらい古いんだけど。 2016年に生きているということを忘れそう…
LOLA IN FRENCH (SINGLE RECORD)
ヒデキの時間にいろんなことを調べていくうちに、ヒデキは1975年に「傷だらけのローラ」を欧米のフランス語圏でシングルリリースしていることが判明(日本では74年)。カナダもケベック地方などはフランス語圏だからリリースされていた。そしてそのカナダ版をネットで購入。もちろんモントリオールからの発送。 A面がフランス語の「傷だらけのローラ」 B面が日本語の「傷だらけのローラ」 お得感はナイね。ジャケットもなかったし。 うちにはレコードプレーヤーがないから、今はただシングルレコードを見つめているだけだけど、ユーチューブで調べたら、このレコードをアップしてる人がいた!!フランス語がわかる人に聞いてもらったら、どことなくケベックっぽい訛りだとのこと。私は仏語わからないけど。「語りの部分」もちゃんとフランス語。ヒデキはフランス語でもヒデキっぽかった。カンゲキ! レコードプレーヤー持っている人がいたら連絡ください。お邪魔させてもらってよいでしょうか。 レコードを見つめていて気付いたこと。 アーティスト名は「HIDEKI」だけ。まるで「マドンナ」みたい!曲名も「LOLA」だけ。 レコード自体はトロントのDon Miillsで作られたらしい。そのときの音楽プロデューサー(?Realization とフランス語で書いてある)がセリーヌ・ディオンの亡夫、レネ・アンジェリル。 確かに、レネ・アンジェリルはセリーヌ・ディオンに出会う前から音楽プロデューサーをしていた。でもなぜヒデキと繋がっているのだろう。 日本のプロデューサーはロビー和田。昭和の歌謡界の大物プロデューサーで、去年逮捕されてる。 ウィキペディアには1975年にリリースされたときカナダでヒットチャート2位、と書いてあったけど、その頃からカナダに住んでいる日本人に何人か聞いてみると「聞いたことない、覚えてない、知らない」というような返事だった。眉唾ではあるね。 あと、ヒデキはデビューした頃から本当はロックのバンドマンになりたかったらしい。だからコンサートなどでは70年代から洋楽のカバーを歌っていて「第一人者」なのだとか。ヒデキの洋楽カバーが特に好きというファンもいるらしく、それだけを集めたLPがあるらしい。LP… いよいよレコードプレーヤーを買う日が来るのだろうか。
ヒデキのうた(ヤングマンについて)
ヒデキの曲を年代順に何度も繰り返し聴いていると、「ヤングマン」でヒデキは一度完結しているな、と思う。あの曲までは、君の唇は俺が奪い、君のためなら俺は戦う、抱いてやるー!と歌ったり叫んだりして、ファンの女の子たちと一緒に成長していく。でも「ヤングマン」でお年寄りから子供まで巻き込んじゃって、バーモントカレーのCMのヒデキと、それまで歌っているときのヒデキのイメージのギャップが、あの曲でなくなってしまった。 それまでのヒデキの歌は、デビューしたての2曲までは、可もなく不可もなくというところから始まって、「チャンスは一度」で「アーアー」と歌い始めてから「男の性」に目覚めた感じで、グイグイくる歌詞にファンは身悶えしていたと思う(私は今身悶えしている)。 実際、うちでは、ヒデキがセクシーに歌っていると、「こんなものを見てはいけない」とチャンネルを親に変えられたものだが、「ヤングマン」ではそういうことは起きなかった。 で、「ヤングマン」以降、どうしたら元のヒデキに戻れるのか、戻るべきなのか、という逡巡が感じられるような氣がする。だから、その次の曲が「ホップステップジャンプ」という前曲の二番煎じになってしまったんじゃないだろうか。実に悩ましい選択だ。 で、それ以降、80年代は有名な作詞家作曲家がヒデキの曲を作っているけど、海外モノのカバー曲もあったりするし、90年代に至っては70年代に築き上げた「ヒデキ」へのオマージュを自分が歌ってしまっている…….。 にわかファンだし(ファンでもないんだけど)、コンサートとかに足を運んだこともないし、あくまでベスト盤CDだけで、そう思っただけなので、間違ってるかもしれないけどね。 最近、ヒデキの時間に、教授も積極的に参加するようになり、寝る前に1日のいろんな出来事を話す時間に、ヒデキの曲を聴いている。レパートリーを増やして!とリクエストがあり、何がいいの?と聞いたら、ミスチルとユーミンだと。ミスチルは、東工大の近くに住んでいた時に、金曜日の夜になると「名もなき詩」の歌を大声て1人で歌う男子学生がいて、その声が聞こえてくるのでこっちも覚えてしまい、好きになったらしい(ミスチルが)。 今思い出した! 昔、ヤングマンの元曲のことについてブログっていた。Village People の歌詞について。 http://yaplog.jp/bunnybon/archive/205
ヒデキのうた
毎日のヒデキの時間にヒデキの音楽を聴いているうちに気づいた。 ヒデキは恋とか愛とか青春だけを歌っているだけではない。セックスもかなりあけっぴろげに歌っている。ただ、とても明るい仕上がりに聞こえるので、そんなにすごそうに聞こえない。 「セクシーロックンローラー」という曲がそう。 もう曲名が70年代ね。 こんなことを目の前でコンサート会場で熱気に包まれて歌われたら、ヒデキと一体化するのは間違いない。 すごいのが「アアア アアア アアア アアア」というところが、ヒデキと女の声のコーラスが互いに呼応しているところで、実に生々しいのに、軽い。 「この歌は生々しいよ!」と、 歌詞を通訳しながら教授に聞かせたら、「ジャスティン・ビーバーみたい」と言われて(多分、「ホールドタイト」のことを言っていると思う)、ムッとした。
西城秀樹
燃える愛で、心を溶かし、悲しみを焼き尽くし、唇を奪い、火花を散らし、アアー血を流し、若いうちはやりたいことをやる西城秀樹に目覚めた。 ヒデキは70年代が一番いいね。80年代に近づくと、カバー曲など歌いだす。こっぱずかしいほどの70年代の歌詞を絶唱&絶叫してるのを聞くとストレス解消になる。歌詞には安井かずみのものも多い。 ヒデキが絶叫してるのは「傷だらけのローラ」が有名だけど、他にも色々とある。それを聞くと、そーね、例えてみるなら、壁ドンされて黄色い声を上げるのに近いような興奮が得られる、私の場合。歌詞は明るいものばかりじゃないけど、ヒデキが歌うとポジティブになる。 ビジュアルだってすごい。どこまで開脚するの?!というぐらいに開脚して歌う(70年代の話)。ファッションもすごい。最近、私はヒデキファッションを参考にして、素肌にサテンのネクタイして出かける。 ヒデキは男っぽい歌ばっかり歌ってるわけじゃない。「女唄」というのか、「オレ」じゃなくて「あたし」になってる歌も何曲かある。コーラスが面白い唄もある。いやぁ、ヒデキファンにとっては「そんなこと今頃言うな!」みたいな発見だけど。 はじめはユーチューブで満足していたけど、ゴールデンCD買ってみた。デビューから70年代の曲が一番たくさん収録されてそうなのを選んで。CD 買うのを悩んでいたら、周囲の人に「死んだら値段がつり上がっちゃうどころか、手に入らなくならなくなるから!!!」と忠告されて、即購入。高倉健ファンからの経験に基づいたアドバイスだったからね。 ウチはお姉ちゃんがリアルタイムで70年代のヒデキのファンだった。そんな姉に一応「CD持ってる?」と聞いてみたら「持ってない」と一言。今は嵐で頭がいっぱいなのかも。 みうらじゅんがヒデキに焼肉を奢ってもらって喜んでた話をどこかで読んだことがあるけど、私も奢られたい。昔ヒデキの妹募集してたよな?あれ、もうやらないのかな? 脳梗塞後のヒデキを見るのは辛いな。って70年代のヒデキしか見てないけど!
