蒼い空へ

届いた日に一気読み。 ファンが号泣したとか言っているのをSNSで見ていたので、覚悟はしていたけど、予想を遥かに超えた内容だった。世間に公表していたよりもずっと満身創痍だったことが明かされている。 同じような病気を抱えた人、あるいはそれを支える家族のために書かれているだけあって、ところどころ西城秀樹の主治医(慶応病院)が病気の説明をしている。 奥さんの献身もさることながら、何より私の胸を打ったのは、西城秀樹の3人の子どもたちの反応。父親の闘病生活が3人にどんな影響を及ぼしたかは、それぞれに違う。元気だった頃の父親の思い出、大切にしていたい父親像、父親との距離、家族の中での立ち位置など、三者三様のはずだから当然なのかもしれないけど、父親存命中に、自分を抑えてお父さんの病状を直視できた子もいれば、そうはできずにいた子もいて、読んでいて涙が出た。 「西城秀樹」のイメージを保つために、今までは言えなかったことが多くあり、そのせいで世間では憶測も飛んでいたが、意地悪な文言もあった。きっとこの本は、そんな誹謗中傷をはねのけるように、この3人の子どもたちのためにも書いたんじゃないか。芸能界で長年活躍したスターの奥さんとして、とても聡明な人なのだなと思った。 まあ、西城秀樹を知っていることが大前提の本ではあるね。 余談:最初は電子書籍版を注文していたところ、電子書籍のほうには未公開写真が入っていないと「ケチ」がついていることが発覚し、キャンセルして紙書籍を買った。

山口百恵 赤と青とイミテイション・ゴールドと

知人がいいと言っていたので読んだ。中川右介の本は、カラヤンのことを書いた『カラヤン帝国興亡史』を読んだけど、同じようなノリで百恵ちゃんのことがびっちり書いてあった。 これは山口百恵の芸能生活の話だけれど、当時の芸能界の攻防がすごい。芸能事務所やテレビ局が布石を打ち合っているので、作詞家や作曲家の隆盛もよくわかる。そんな環境ではパフォーマーは翻弄されやすい。ヒデキも背景にちらっと出てくる。著者の中川右介に西城秀樹のこういう評論を書いてほしい。ヒデキは亡くなるまで何年もの間障害者だった。でも、かつてのスターを、運動神経抜群だった人が歩行困難になったことをいじるような意地悪な報道が多くてうんざりだった。亡くなってから、そういうのが消えた。だから、ちゃんとしたプロの評論が読みたい。もうあるのかな? でもなんとなく、もうこの一冊であの頃の芸能界が語り尽くされている気がしないでもない。 ちなみに私は『蒼い時』を何度か読んでいる。私の中で「できることなら、あんなふうにクールでいたい」と見本にしていた女性は、山口百恵、阿木燿子、安井かずみだった。どれにも全然近くないし、全然クールになれないし、ただの憧れでしかないけど。

THE 45 (HIDEKIAN)

海外にいる西城秀樹ファンのことをHIDEKIAN(ひできあん)というらしい。新種の餡の名前じゃないよ。 私も海外に出てから(今年の初めからだけど)ヒデキ研究を始めたので、HIDEKIAN。FBを見てると、やっぱりアジア人が多そうだけど、たまに日系アメリカ人っぽい人もいる。あくまでも名前で判断しているだけだが。 で、HIDEKIANたちが、西城秀樹の芸能生活45周年コンサートに「行った!」とコンサートグッズの写真をアップしたり、写真集をアップしているのをみて、私もつられて、写真集かってしもた。まあ、あちこちで見たようなものだけど、微妙に違うものもあるらしい。これは武藤義さんという写真家の写真集。 お宝度が高い一枚 そもそも私はヒデキのファンではない。向田邦子の寺内貫太郎の小説を何度も読んでいて、むしろ「周平」ファンだった。周平は「西城秀樹似の長男」という設定だったのを、本人が演じていた。そしたら、この写真集のエッセイに、還暦コンサートには「寺内貫太郎一家」のキャストが応援に来ていた、と書いてある!(加藤治子以外ね。もう死んでるから) ヒデキ研究中に、樹木希林と浅田美代子が西城秀樹のバリの別荘にヒデキなしで泊まりに行った、と言っていた。「別荘貸して!」と二人が言うと、ヒデキは「僕は残念ながら一緒に行けないんだけど」と言った。なのに樹木希林は「アンタは来なくていい!」と言ったらしい。家族的な会話だ。

ヒデキ@青春とアイドル脱皮期

日本に帰ったときに、西城秀樹のアイドル時代の本を買った。まあ、内容は……ヒデキが理想の愛とか女性について語っていたり、雨の日に青年の憂いを吐露したり、架空の恋人への思いを綴ったりしている。それは、あくまでもアイドルとしての「虚構の世界」で、はっきりと虚構とわかるけど、当時のティーンエージャーの性欲や独占欲をうまく突いている。インスタグラムの時代にはありえないね。インスタの虚構はせいぜい写真の加工程度だから。 こっちの表紙はいいんだけど...... こっちはひどい......この頃、10代ですよ 最近、ヒデキ20代後半あるいは30歳あたりのトーク番組で、「アイドルからの脱皮」について、芸能界で息長く活動していく道を模索しているインタービューをいくつか聞いた。「アイドル脱皮問題」も芸能界としては前例が少なかった頃の初代アイドル世代なのだな、と思った。 その頃の西城秀樹が徹子の部屋に出ているのを最近見た。ある意味お宝映像で、ヒデキは和装なのだが、帯を忘れたので、仮紐で結んであるだけで、黒柳徹子と話している間じゅう、腕を組んで帯を隠していた。 西城秀樹のトークを聞いていると、ひねりのない、けっこうまっすぐな性格なんだろうなと思う。毒舌は彼にはありえない。言ってはいけないことは絶対言わないし、かわすのが上手。しかし、同時期に活躍し、友人でもある野口五郎は、ヒデキのことを「間のとりかたが悪い」と言っているし、ヒデキも野口五郎に「俺は、何をやっても西城秀樹になってしまうんだよ」と言ったらしい。ヒデキ研究には、野口五郎の証言は脇固めとして重要である。

ヒデキの英語の発音

仕事が後半に差し掛かって遂に病んできたのか、脳梗塞前の西城秀樹がAIについてトーク番組で話している夢を見た(今人工知能の仕事をしている)。それを聞いて「そうそう。そういうのはヒデキの歌の随所に現れているよね」と西城秀樹研究に勤しむ私は頷いていた。「起きてメモらなきゃ!」と思いつつまた寝てしまった。 夢うつつの世界にいるときにいつもびっくりするようなことがひらめいたりするので、枕元にペンとメモ帳を置いていたのに、いつの頃からか、メモを失くすという理由でスマホでメモをとるようになりペンもメモ帳もなかった。こういうときスマホは威力を発揮しない。 ヒデキが何を言っていたのかはもう覚えていない。でも脳の話だった。しかしAIについて西城秀樹の明察を夢の中で聞けてよかった。 ヒデキのカバー曲ばかりを集めたCDを聴いていて思ったけど、若い頃は英語の発音があんまりよくないね。例を挙げると「Feeling」の発音が「Filling」の発音になっている。「フィリング? 虫歯の話?」と突っ込みたくなる。後になると格段にうまくなっている。 練習の成果なのかなと思っていたけど、ちゃんとした(英語の)ボイストレーナーというのが昔はあまりいなかったのかもしれないという意見を聞いてちょっと納得。前にも書いたけど「傷だらけのローラ」のフランス語版はやっぱりフランス系カナダ人からフランス語の指導を受けたらしく、ケベック訛りで「ローラ」を歌っている。ほかにも中国語で何かを歌ってるのも聞いたことがあるけど、そっちはしっくりしててよかった(中国語わからないけど) そもそも外国語でわざわざ歌って洋楽を日本に紹介するというスタンスが今はあまりないよね。 よくさー、明治時代の日本の洋風建築が和洋折衷で不思議な感じに仕上がってるよね。東京駅とか。昭和の歌謡曲もそういうかんじがする。

ローラの絶叫

久々にヒデキ。 今一番気に入っているのがライブ収録の「傷だらけのローラ」70年代半ばの絶頂期に歌っていたものけど、曲の最後はひたすら「ローラ! ローラ! ローラァァァ!」と1分近く絶叫している。 あまりに連呼しすぎて、途中で雷音がゴロゴロゴローっと入ってくる。本当に。たぶん会場ではイナズマが走っていたにちがいない。 その演出に毎回私はゲラゲラと笑っているけど、最後に曲が終わっていくときの演奏が「昭和な歌謡曲」になっている。「ローラ!」の絶叫とはぜんぜんあってない、と2016年の私は思う。 帰国中に音楽に詳しいヒデキファンから、ヒデキは洋楽を一生懸命取り入れようとしていたけど、当時は洋楽についての情報がなさすぎていかんせん…… という話も聞き、なるほどー!と頷いた。 先週亡くなった中村紘子も、日本にいるときは天才少女と騒がれていたのに、ジュリアードに留学した時に「はい、最初からやり直しましょうね」と先生に告げられ、ガタガタと自信喪失して、半年ぐらい鍵盤に触れなかったと自伝に書いていた。これもクラッシック音楽の情報が当時の日本では少なすぎたせいで、本人がそう書いている。それを乗り越えた彼女はすごい。 話はずれるけど、帰省中、チーズケーキで有名な某ホテルにお茶しにいき、チーズケーキではなくメロンケーキを注文(特別メニューだったから) 写真で見ると、フツーのケーキにしかみえない。「特別」というからには何か特別なものがあるのだろうかと思い 「このメロン、夕張メロンですか?」 と聞いてみた。すると、 「これはふつうのメロンです。夕張メロンはオレンジ色なんです」 と言われた。夕張メロンを見たことがない貧乏人の刻印を押された気がしたね。同席していた家族にも 「それはふつうの安いメロンやな! 夕張メロンはオレンジ色やな」 とダメだしされた(まったくのリピートで)。しつこいようだけど、一応「特別メニュー」だったんだよ。 ほろ苦いメロンの思い出...

ヒデキとルネシマール

ルネシマールって誰ですか。 ケベック州出身の歌手で、まだ子供の頃に東京音楽祭に出て、西城秀樹の歌い方に感銘を受けたらしい。とある人のブログで知った。このルネ少年が西城秀樹のキズだらけのローラをフランス語版にしたいと言ったことがきっかけで、あのレコードが出たらしい。 詳しくはこちら http://green.ap.teacup.com/rene_simard/364.html 西城秀樹がデビューから独立するまで所属していた芸能事務所の社長がなくなったので、久しぶりにテレビに出ているのを見た。紅白歌合戦初出場の時に、「怪傑ゾロの格好」で仮面を被って出ることにしたヒデキに「初出場なのに仮面をかぶるとは何事か」とその社長に叱られたらしい。ま、すべてユーチューブ情報だけどね。

ありのままにXありのままに

この古本をネットで買って読んでいたら、すごく面白そうなことが書いてあるページが破れてなくなっていた。一応、店に知らせると交換品を送ってくれた。海外に送ってもらうのは申し訳ないと思い、破れたページをスキャンしてPDFで送ってくれればいいと私は言ったのだが。店としてはそういうわけにはいかないのかもしれないけど、これで赤字になったんじゃないかしら。「わざわざありがとうございました」と返事を送ったら「了解しました」と返ってきた。もしかするとAIかもしれない。 破れていたページはとても面白かった。 そんなわけで「ありのままに」が2冊に増えた。 この本について西城秀樹本人が話しているの聞いた。派手なアクションの男らしい「西城秀樹」を作ってきたけれど、あれはもうないんだ、と思わなければ前に進めなかった、だから「西城秀樹」というのはどういうものだったかを書いたと言っていた。 私としては、今の西城秀樹の生き方が勇気があってすごいと思う。この間も、脳梗塞を患ってリハビリ中の人が履きやすくて、見た目にもおしゃれな靴をどこかのスニーカーのメーカーとコラボして出していた(長嶋茂雄も同じことをしていたような気がするけど)。 話がずれるけど、仕事でプロフィールを書けと言われたので、輝かしい経歴もないし、学歴も書きたくないし、趣味をいろいろ書いて出した。その中に「西城秀樹研究」と入れておいた。そしたら「趣味を厳選してもらえますか」と言われたので削除した。

ありのままに

「アナと雪の女王」の話じゃないですよ。ヒデキのこと。CDプレーヤーが壊れたので、本を読んでみた。スーパーアイドル時代の本が読みたかったけど、なかなか海外発送してくれるとこが見つからないので、2回目の脳梗塞後に書かれた本を読んでみた。 東京新聞での連載はこれを元にしてる感じだな。 前半が脳梗塞の話。後半はヒデキの軌跡。一番私の興味をひくはずのページが4ページほど破かれていた! 古本だからしょうがないけど、悔しい!! 脳梗塞後、ヒデキは地獄を見た思いをしたわけだけど、そこは家族に救われているので、特に彼の奥さんへの感謝が綴られている。ヒデキの命を救った人といっても過言ではないから当然。が、逆に、それだけ親身に世話をしてくれる人が身近にいないと、リハビリも、その後の生活も乗り越えられないのではないかと思ってしまう。期待をして本を買ったわけではないが、結果的にはとてもいい本だった。 驚いたのは、事務所から独立してから、人にお金を騙しとられたりしながら、自分で経営について勉強をしていったくだり。だから、そこらへんの中小企業の経営者には負けないよ、と言っている。 脳梗塞後のインタビューを散々見たけど、病気のことを中途半端にしか聞かないし、お涙頂戴に仕立ててしまうものが圧倒的に多くて気の毒。 昨日、イギリスからハリー王子が「インビクタス・ゲーム」の宣伝のためトロントに来ていた。来年トロントはこのインビクタス・ゲームの開催地なので(今年はフロリダのオーランド)。手足を失った傷痍軍人たちが再び活躍できて輝ける場所を提供したい、とハリー王子が提唱して始まったスポーツの祭典なんだけど、ヒデキだって「ありのまま」の姿でそういう活動をしているんだから、もっとそういうところを日本のメディアはポジティブに紹介してあげたらいいのに。

Que je t’aime

新しく届いたヒデキのCDセットの1枚はカバー曲集。その中で、これはヒデキにぴったり、だと思ったのは、ジョニー・アリディの「とどかぬ愛」。元曲もとっても懐メロだけど。二人はちょっと似ている。 CDに収録されているのはライブ録音。当時のヒデキファンがキャーキャー叫んでいるのが聞こえる。おそらく失神寸前の状態で。 このカバー曲を聞いて気付いたことが。 ヒデキは身悶えしながら「なぜに届かぬこの気持ち、この愛がっ!」と歌っているが、ファンにはヒデキの気持ちは十分すぎるほど届いている。なのに「届かない!」と歌い続けるヒデキに向かい、ファンは「わかってる!わかってる!あたしにはちゃんと届いている!」と叫び返すような構図。 既に知っていることを人に教えられるときの苛立ち。わかりきっていることを説教されるときの反抗心。二者の間に「絶壁」のような隔たりがあればあるほど、「そんなこと言われなくてもわかってる!」と、苛立ちも反抗心も巨大化する。それと同じで、ヒデキの場合も、「なんで俺の愛が届かない!」とヒデキが歌うと、ファンの「女としての切なさ」は筆舌に尽くしがたいほど、膨らんでいく。 ところで、この曲の前奏や間奏のパラパラパラパラと聞こえる音は、木枯らしに吹かれる、あるいは激しい雨に打たれるヒデキを彷彿させる。そんなヒデキが、愛が届かないと嘆き叫ぶんだから!絵柄的にはもう これはもう、ヒデキのデキ(出来)レース… 別にこの曲だけじゃなくて、ヒデキの70年代の激しい曲はみんなそんな感じ。ヒデキが大人に成長していくと、そういうのは失われていく。日本がバブル期に突入していくというのもあるし、ヒデキのファンが結婚していく時期でもあったのかも。 元曲のほう