商品のキャンセル

最近特に(私のクリック履歴のせいもあると思うけど)、FBが広告だらけ。で、私の興味をそそるような、今欲しいと思っていた商品が「セール」になっていた。いつもの私なら、まずはアマゾンで同じものが売っていないかと確認するのに、その日はFBのデジタル通貨リブラがニュースになっていたので、軽い気持ちでポチってみた(別に高額商品じゃないし)。 その後、またまた同じ商品が「セール」でFBに広告が出ていた。今回は、相当数の人が「商品がなかなか届かない」とか「詐欺」とか文句を書き込んでいた。確かに「?」と思うようなところ(私が注文した商品を売ってなさそうな店)から注文確認メールが来ていた。で、やっぱり注文をキャンセルしようと、ペイパルで苦情ケースを開いた。 ペイパルは別に詐欺行為は認められなかったと判断。でも、商品を売っている相手が私のキャンセルを認めて、返金してくれた。キャンセルの要請をしてから、ものの3分ですべてが解決。決済をペイパルにしておいてよかった。こういうやりとりがすべてオンラインでできてしまう。これがカナダの銀行発行のカードなら、手続きが面倒く、「もういいや」と泣き寝入りしていたかもしれない。 後から調べたら、結局同じ商品がアマゾンでもっと安く売られていた。セールでも何でもなかった。ひょっとしてアマゾンからの転売で稼ごうとしていた? 私のキャンセルをセラーが速攻で認めたので、真相はわからない。 デジタル通貨とかそういう問題じゃなくて、FBには信用がない。唯一信用できるところは、良識的な人たちがコメントを書き入れてくれるところかも。

麻雀放浪記2020

トロントでやっている映画祭で北米初公開の『麻雀放浪記2020』を見てきた。斎藤工も来たから、彼のファン(つまり日本人の女の子たち)も大勢来ていた。まあ、私は別に斎藤工狙いで行ったわけではなく、別のつながりから足を運んだので、そっちのほうの目線で感想を書いてみる。 先日、山ちゃんと蒼井優の結婚の速報が流れたとき、ネットフリックスでテラスハウスを見ている海外視聴者は多いので、山ちゃんの認知度は高かった。で、斎藤工って海外 (のSNS)でどれくらいの認知度なんだろう、とふと思った。まぁ、私の言う「海外」とは「北米」に限定されるが。 せっかくの北米初公開でも彼のような人気者が来ると、日本人ばっかりが見に来る。それはそれで大事なことだけど、水前寺清子が来たって同じことになるので、せっかくの映画の「北米での受け」はわからなくなってしまう。 で、本題。 「おなら」の受け止められ方は、日本とはすごく違う。自然現象だから仕方ないよね、というのが一般認識で、おならで笑いを取るのは比較的低い確率じゃないかと思う。Lost in Translationの典型だと思う。個人差もあるかもしれない。で、私は「おなら」の意味がよくわからず、気が削がれてしまった。 次はタイムスリップ。いつかは元の時空間に戻るのだろうと予想はついていた。話が進み、戻る手段も見えてきた。タイムスリップや天国から降りてくる「降臨型」のお話は、必ず元の場所に戻っていく。そうとわかっていても、もしかしたら戻らない、戻れないんじゃないか、とドキドキするのがお決まりだし、そうドキドキしたい。坊や哲が本物の勝負師なら、AIともっと本気で勝負してほしかった。ましてや昔の人なのだから、AIが何なのか、現代人より知識が乏しいはず。将棋の羽生さんだって、AIと勝負したいと言っているのだから、坊や哲がAIの凄さに気づいたら、現代にとどまり勝負し続けたかったんじゃないのか。そこからAIを愛してしまう可能性も広がる。そしたら、ジャンパイを握りしめた腕を振り上げ、勝負したくても100%で勝負出来ず、腕を振り下ろせなくなる(つまり現代にずるずるといてしまう)可能性もあったと思う。そのほうが納得できた。でも私は麻雀の知識がゼロなので、なんか間違ったことを感じてしまったのかもしれない。

堀文子

徹子の部屋ウォッチャーなので、あの部屋の後ろに掛かっている「アフガンの王女」はいつも見ている。あれを描いた堀文子が今年春亡くなったので、彼女の本(あるいは彼女についての本)をいろいろと読んでみたら、とても面白かった。黒柳徹子同様、山の手の言葉を駆使し、育ちのよさのオーラを放っているが、芯が強くてとても面白い。日本が嫌で飛び出したくせに、海外生活をきっかけに日本の良さに立ち返っているところも共感できる。 この間読んだ「香華」の表紙も堀文子だった。 堀文子は、なんでもかんでも「かわいい」の一言で済ます、語彙の少なさに怒っていた。今、NHK World に「KAWAII International」という身も蓋もない番組があることを、彼女が知ったら、悶絶死したに違いない。もう亡くなってるけど。 彼女の「群れない、慣れない、頼らない」は、群れると必ず飛び出てしまう私のような人にとっては力強い言葉。できれば彼女のように暮らしてみたいけど、「頼らない」の部分が結構難しい。

Raptors

普段 NBA など追っていないのに、逆に興味がないふりができないほど、トロントでは NBA ファイナルが盛り上がっていた。結局ファイナルの3試合をパブで見た。 普段見ていないので、動体視力がついていっていない。リプレイなのにまた点が入った!と手を叩いてしまう。で、結局パブで人間ウォッチしてしまう。 ゲーム1のときは、「食い逃げ」を目撃してしまった。横のテーブルにいた人たちが、試合が終わるやいなやサササッと出ていった。びっくりした。私はどちらかというと、このようなとんでもなく忙しく人が働いている日にはチップを多めに置いてくるタイプなので、ショックだった。 ゲーム2は、別のパブで見た。給仕している人に前回目撃した食い逃げの件を話したら、その店でも同じことが起きたらしく、「ゲーム1で学んだよ」と言っていた。なので、第4ピリオドが始まったとたん、お会計が回ってきた。 ゲーム1と2では、薄められたビールを飲まされたので、ゲーム6ではワインをボトルで注文。私も知恵をつけた。 NBA に一度も興味を持ったことがなかった白黒映画の仲間も、さすがに今回は見たらしく、「バスケって面白いのね」と齢70歳で気づいたらしい。そんな彼女から、 「敵と味方でユニフォームの色が違うのね。ラプターズは白いのね。色で覚えたわ」 などと NBA 初体験の感想を述べられてしまった。「ホーム試合と敵地に行ってるときとユニフォームの色は違うんだよ」と言ったら混乱していた。ラプターズを応援しているけど、カリーが好みの顔らしい。 「アイラブカリー」 と急にメッセージを送ってくるので、カレーでも食べているのだろうかと返事に困る。 そして、ゲーム6の直前に、 「私の予想、27-44でラプターズの勝ち」 と、謎のスコア予想が送られてきた。 しかし、スポーツで街全体が盛り上がるときっていうのは、普段興味を示していない人にもポジティブな影響を与えるものなのだなと感心した。

No Way Out

ケビン・コスナーが出てるやつじゃなくて、シドニー・ポワチエのほう。話も全然違う。なんたって1950年の映画だし、「病院唯一の黒人の医者」が主人公(ポワチエ)なので、差別発言が満載。 いやはや、もうちょっと単純な話なのかと思いきや、深かった。差別されるほうも理不尽なことばかり起きるからそうなんだけど、差別するほうも、誰にも愛されなくて、希望もなくて、社会的弱者を盲目的に毛嫌いし、自暴自棄になるから「No Way Out」 ポワチエに「(死なせてやるものか)生きろ」と言われるところが、厳しい。このセリフの直訳は「生きろ」だけど、励ますために言ったわけじゃない。最近、自殺とか道連れとかよくニュースで聞くから、なおのこと深読みしちゃったわ…… 白黒映画じゃめったに黒人俳優にお目にかかれない。白黒映画を見るって「白人っぽい趣味」なんだなと思った。 ちなみに、ケビン・コスナーの『No Way Out』も好き。80年代っぽいから。 映画の後に、骨折中の女(私)、高齢者(女)、車椅子(男)三人で、アイスクリームを食べに行った。私以外の二人が「恋人が欲しい」と言い出し、どうやったら出会えるか、どうやったら同居を避けつつ(今更誰かと一緒に暮らすのは嫌とのこと)、長年寄り添える恋人と出会えるか、という話題に及んだ。一般目線で言うと立場的に不利だし、過去に痛手を負ったことも少なからずあるので、「自分からアタックすることなく」というのが大前提らしい。そこで、「恋人募集中オーラ」を最大限に出す方法はないか(ムンムンさせるのではなく、爽やかに)、策士のように頭を寄せ合って話したけど、別に妙案は浮かばなかった。

Grey Gardens

ドリュー・バリモアのほうじゃなくて、それの元になっているドキュメンタリーを見に行った。ジャクリーン・ケネデイのおばさんといとこが超富裕層エリアで超貧乏暮らしをしている映画。もちろん元々は富裕層の母娘なのだけど、わけあってド貧民に転落し、ラクーンやネズミや猫に囲まれて住んでいるのに、ジャッキーみたいな話し方をしている。ジャッキーにもあんまり自慢できない親族がいたのだね。 ここまで落ちてしまうと、ふたりともホームレス並みに突き抜けている。むしろ、あの屋敷に住む人や動物には魔法がかかっていて、魔法を解いてくれる人が現れさえすれば、母娘はお姫様に、そして動物は使用人に戻るかも、と思わせてくれて楽しかった。 一緒に行った映画仲間(杖仲間だったが、彼女は卒業)と、老後あのような貧困に陥ったら、猫を何匹まで飼うか、と話し込んでしまった。私の場合、すごく愛情込めるなら2,3匹が精一杯で、それ以上になると一部の猫に対して贔屓感情が生まれそう。 映画仲間は絵を描く人なので(趣味ではなく職業が画家)、この映画に何やらインスパイアされたらしく、翌朝「今日は絵を描いてるわよ!!!」と張り切った様子のメッセージが送られてきた。私は、まったくインスパイアされていない。

「このままだと、日本に未来はないよね。」

ホイホイ気軽に外出できないので、アマゾンでポチポチポチポチ、指先が私の購買意欲を抑えきれなくなっている。 ひろゆきの言動には少なからず興味を持っているのでブログは読んでいるけど、初めて彼の本を買った。「ものすごい高名な識者」が世界を俯瞰して書いた本より、彼ぐらいの存在の人がやってくれたほうが読みやすい。ブログと同じトーンで書いてあるし。「高名な識者」だとそれだけで発言が担保されがちだけど、ひろゆきぐらいの存在だとファン以外の人にはどう受け止められるのかな? 内容の大半は、海外メディアを普段から追っている人だとか、孫正義の発言やらソフトバンクの海外の動きを見ている人には、びっくりするようなことは書いてない。「キモくて金のないおっさん問題」について言及してるとこが一番面白かった。 最近仕事で読んだ本には、アメリカ以外の国で起業した人々が市場の大きなアメリカを狙って進出すると、既に成熟しているアメリカ企業に阻止されるが、中国をはじめ、アジア圏の大企業と組むことで対抗する様子が書かれていた。その事例は、一歩間違えれば「キモくて金のないおっさん」になっていた人の成功例で、その人にとって幸運だったのは「英語も流暢」だったことだと私は思ってしまった。 ほしよりこの本、面白かった。最初このタイトルを見て色めきたってしまった。何のことかというと、20年ぐらい前に「Sam & Ham」という短い話を英語で書いていたから。タイトルだけがニアミスで中身は全然違った。

凹んだことが解決した

凹んだ諸々の件が解決した。 1) ダイニングチェアを4脚買い、そのうちの1つに座ったら、座板からねじが突き出てきて、ただでさえ負傷している右足の太もも直撃。座板は一応クッション性があるので、ねじが突き出ている状態を写真に撮るのに一苦労した。でも、写真で動かぬ証拠を突き付けたので、家具屋さんは無料で直してくれた。直すのに1か月ぐらいかかったけど(合成皮革の張替えに時間がかかったのだろう)。カナダ的な悠久の時間が流れている家具屋さんだが、結果的は非常に親切だった。 2) インスタカートでペリエが買えなかった理由がなんとなく掴めた。ロブロウズではペリエが6本で1パック、みたいなパック詰めで売られており、バラ売りはわずか。そうとは気づかず、4本とか5本で注文していた。 キッチンの床に置いてある空きボトル(空きビンも含め)の数の多さに突然罪悪感を覚え、ソーダメーカーを遂に購入。したがって、ペリエをめぐり、インスタカートと戦う必要がなくなった。既にソーダメーカーを持っている友達に聞くと、「エコとかじゃなくて、ボトルを家に運んでくるのが重いから」という理由で購入した人がほとんどだった。 3) 入院していたリハビリ病院がなかなか私を「外来」のリハビリ患者として受け入れてくれなかったので(予約しようとするとたらい回しになった)、ホームドクターにそのことを話し、「私に任せて」とドクターから病院に直接連絡してもらった。そしたら、病院から「明日にでも来て」みたいな勢いで電話がかかってきて予約がやっと取れた。これがホームドクター制というものなのか。ホームドクターにはさらに、介護用品や薬など、OHIP適用外のものを別の保険で申請するため、一筆書いてもらった。ダメ元で「掃除が不便になったので、ルンバ買ったんですけど、それはダメ?」と聞いたら、ダメと言われた。 4) 一番安いルンバを買ったので、家の間取りを学習しない。馬鹿みたいにあちこちにぶつかりながら、グルグル掃除している。まるで、目先のことに囚われ、手際よく仕事ができないが、最終的にはいい結果が出せる人みたい(職場にもそういう人はいそう)。必然、見ているとイライラするので、外出時にルンバを出動させることが多くなる。先日、窓の修繕に来たおじさんの足をルンバは見つけて、その足を掃除していた。おじさんは「俺の足は汚い」と言っていたので、ルンバは賢い。

大地の子1&2

ドラマ版を見てから本を読み始めた。 ドラマの影響で、脳内で顔が上川達也だったり仲代達也だったりするが。 今「中国残留孤児」と言われてもピンと来ないほど、時間は流れている。藤原正彦だって、あのお母さんの体力が尽きてしまっていたら、逃げ遅れ、中国残留孤児になっていたかもしれない。それに、藤原家はソ連との国境ギリギリの開拓団村にいたわけではないので、幸運にも日本に戻れたのかもしれない。 ドラマとの一番の違いは、グロいことも本には容赦なく書いてあることかな。戦争(中国の内戦も含めて)の凄惨さ、文化大革命の愚弄さ、日本人孤児へのいじめや虐待のしつこさもそうだけど、中国の政争と、日本の経済界の力関係の描写もすごく緻密。だから全体的にグロい。当時の日中鉄鋼業界の裏話も、技術用語がいっぱいで読んでるうちにめまいがしそうだった。面白いけど。 日本鉄鋼業界のドン「稲村」の世代の日本人は、中国に対して申し訳ないという気持ちがあるって、この本に書いてある。山崎豊子自身も『大地の子』の執筆作業は日本人として贖罪の気持ちに突き動かされて書いたと言っていた。そういうことを今改めて考えてみると、戦後ものすごく時間が流れたと思うなぁ。中国はGDPではとっくに日本を追い抜いているし、アメリカを抜く日も来そうだし。 この本の国共内戦を書いた部分に盗作疑惑があったとネットで読んだので、「ここら辺のことかしら?」と読むのもちょっと楽しかった。ちょうど、百田尚樹のウィキペディアからのコピペ疑惑が騒がれていたし。ところでウィキからのコピペは盗作にはならないの?(素朴な疑問) 『大地の子』はあと3と4が残ってる。長い。 電子書籍の表紙は素敵じゃない...

instacart その4

インスタカートのようなサービスはやっぱりビジネスとして生き残れないのではないかと思う。というのも、アマゾンとは違って、店に欲しいものがあるかどうかは「ショッパー」さんが行ってみないことにはわからない仕組みだから。欲しい商品が届くとは限らない商売が長続きするとは思えない。前もって前日に注文してもペリエは来ないのだ! 自分の足で買い物に行けば、「ペリエじゃなくてプライベートブランドでいいか」と納得して買うけど、ショッパーさんにお金を払って買ってきてもらう場合、「なんでペリエが店頭にないのか」と不審に思ってしまう。 今日、私はインスタカートに「ペリエ」で宣戦布告した。昨日も今日も、届いた食料品の中には、頼んでおいたペリエはなかった。「店頭になかった」が理由。ショッパーさんが行った店は「ロブロウズ」なので、ペリエは絶対にあると思う。ロブロウズ系の店では、そんなにペリエ不足なのだろうか。 ただ今日は、ペリエの代わりに、プライベートブランドのスパークリングウォーターが届けられただけましだ。ショッパーさんがひょっとして気を利かして「こっちのが断然安いですよ」とペリエがなかったことにしてしまったのだろうか。あるいは、インスタカートはロブロウズ系の店で占められているので、プライベートブランドを優先するような「仕掛け」になっているのだろうか。真相は闇に葬られている。 実は、近所のスーパーには「ペリエ」専門の棚があり、腐るほどペリエがある。今は歩行困難なため、それを買って持って帰る自信がないため、入手していない。 インスタカートのヘビーユーザーなので、前にも配達に来たショッパーさんが今日も来た。怪我中だと知っているので、買い物袋をちゃんと冷蔵庫の前まで運び込んでくれるという親切な人だった。 いつの日か、ペリエがインスタカートで入手できるまでこのサービスを使い続けてみよう。そして、ペリエが届いた暁には、このサービスを使うのをやめ、別のサービスに鞍替えしたい。