日本の参院選が近づいているから思い出した。 私の実家では、大人が食卓で政治や経済について話すのが普通だった。選挙が近づくと、家族として誰に投票するのか話し合っていた。と言っても、祖父、父、母の三人だけだけど。 で、なんとなく母親が本当に家族会議で話し合った通りに票を投じているかどうかは謎だった。というのも、祖父が「ワシに言わせると…」と口癖のように言うので、母は、後でこっそり、「アンタの話なんか聞いてへんわ!」とつぶやいていたからである。誰に投票するかは最終的には自分で決めることだし。祖父はとうにいなくなり、父と母は今でも二人で新聞を広げて、世の中のことを話し合っている(けなし合っている)。 ちなみに、祖父は家の中では「ワシ」、外では「僕」と使い分けていた。 男性は、何かにつけ女性に説明したがる傾向にある。そういう行為を英語では、man + explain で mansplain と言う。どれくらい市民権を得ているスラングかはわからない。女の人は影で使っているけど、面と向かって男の人に言わないから(言うと喧嘩になる)。
Author: Kyoko Nitta
Lost Highway & Blue Velvet
今月はデイビッド・リンチの映画が新しいフォーマットになっていろいろと上映されているので、忙しくなる前にと思って、1日に2本見た。Lost Highway を見ただけで疲れたので、帰ろうかと思ったけど踏ん張った。映像のほうはどこが違うのかよくわからなかったけど、音がすごかった。ツインピークス・ザ・リターンを見て、リンチファンが若い層にも広がったのか、若い人でいっぱいだった。一緒に見に行った友達が「デイビッド・リンチを見に来る人は、おしゃれが多いね」と劇場内を見回して言っていたが、確かにそうだった。 Lost Highway はオープニングが素敵。 映画の帰り、あるビルの階段に物乞いをしている女の人が座っていた(『メアリー・ポピンズ』のあのワンシーン、まさにあんな感じで座っていた)。私は通り過ぎようとした。が、友達は「貧しくて困っている女性は助けなくっちゃ!」と言い張り、立ち止まって小銭をじゃらじゃらと取り出し始め、私も出さざるを得なくなった。二人で小銭を出し合っているうち、細かい小銭をたくさん渡すか、1ドル2ドルの小銭で渡したほうがいいかよくわからなくなり、相談しあった結果、混ぜこぜにして渡した。私が渡したわけでなくて、友達が渡しに行き、何やら話しかけて物乞の女性の肩をポンポンと叩いていた。そんな友達をすごいと思ってしまった。私には、小銭は出せるけど、肩は叩けないから。
On the Basis of Sex & After Life
On the Basis of Sex ルース・ベイダー・ギンズバーグの若い頃のお話。ドキュメンタリーの「RBG」を見たので話は知ってる。ドキュメンタリーのほうが面白いかも。 それより、この映画の撮影場所が私の大好きな「マッドメン」と重なっていると思う! そっちに気が取られてしまった。ACLUのオフィスも、ルース・ベイダー・ギンズバーグが住んでたニューヨークの高級アパートも、マッドメンと一緒だと思う! アーミー・ハマーの野菜を手早くぶった切る姿にちょっと感動。 After Life ネットフリックスで最近一番気に入ったドラマ。リッキー・ジャーヴェイスを見直した。一話30分のドラマは展開が早くていいねぇ。シーズン1は6話。シーズン2が来年リリースされるらしいけど、それはちょっと往生際が悪い気がする。 イーサン・ホークとジュリー・デルピーのあの三部作がぶっ通しで上映されていた。誘われたけど行かなかったのは、ビフォア・ミッドナイトを割と最近見たから。あの3部作は3つとも「夏」だけど、夏ってこう、恋がどっちに転ぶかわからない季節なんだね、と思った。
Toni Morrison: The Pieces I Am
超長いドキュメンタリーだけど、すごく面白かったし、笑えるところもある。『Sula』と『Jazz』しか読んだことないけど、別に彼女の作品を全然読んだことがなくても面白いと思う。トニ・モリスン自身がしゃべりが上手だし見てて楽しい。作家になる前は編集者だったとは知らなかった。シングルマザーで子育てしながら小説書いたスーパー女性作家。見に来てる人も圧倒的に女性が多い。積読本が増えそう。 他人の書いた文章を手直しするときのコツを教えてもらった気がする。心にメモメモ。
火花
『火花』をやっと読んだ。関西圏で育った私には、関西の言葉で会話するときの、どことなくねっとりした感じ、心の垣根が低くなる感じがわかる。実は、読むまでは期待していなかった。まどろっこしい言い回しがいっぱいなのに、すいすい読んでしまったし、共感できた。 やりたいことがあって、それで食べていきたいのに、芽が出ない、なんてことはよくある話。結局、人並みの暮らしを選ぶまでに様々な感情が入り乱れるわけだけど、又吉はそれを書き残した。「又吉にしか書けない話」とよく耳にするけど、本当にそうだと思ったし、自分がどっぷり浸かっている世界を小説にするのは、精神的になかなか難しいことだと思う。 同じ文藝春秋に、今くるよが書いた「いくよちゃん追悼文」が掲載されている。そっちは中学生が書いたみたいな文章で、彼女の素直な気持ちがドバーっと溢れ出ていて、涙腺が緩んだ。 又吉には又吉の、くるよにはくるよの文体がある。ふたりとも世間に人となりがある程度知れているから、それぞれの独特の「声」が字面から伝わってくる。
まだリハビリ中
転倒事件から3カ月。今は普通の杖をついている。なくても短い距離なら歩けるけど。理学療法士に「ひょこひょこ歩きをすると、脳がその歩き方を覚えてしまうから、ちゃんとした歩行に戻るまで杖をついてね」と言われた。 この間、歩行訓練中に、「はい、右見て!」と突然言われ、右を見ようとするとよろめいた。「左見て!」と言われてもよろめく。要は、私の脳は歩くのに必死で、マルチタスクができないらしい。既にリハビリは4週目。あと3週間ある。多分、それで卒業できるはず。 救急病院では恐ろしい目にあったけど、長い間アメリカにいたせいで、つくづくカナダの医療費の「低さ」に驚かされてしまった。今回の医療費も自己負担額がゼロだった。入院代もリハビリ代もゼロ。杖などの介護グッズは後で保険会社から返金される。カナダは所得に応じて税金として医療にお金を払っているので「無料」ではないのだけど(確定申告書に自分が OHIP に払っている金額が出ている)。病院帰りにウーバーの運転手とこの話をしていたら、「アメリカと比べて喜んでいてはダメだ! もっとカナダが見習うべき国はほかにある!」とたしなめられ、運転手はドイツを褒めていた。私はドイツに住んだことがないのでわからないけど。 この間も、アメリカの糖尿病患者たちがキャラバンを組んで、カナダに渡り、アメリカでは400ドルする薬がカナダでは30ドルで買えると、涙ぐんで爆買いしているニュースを見てしまった。 話は変わり、6月末にヒュー・ジャックマンのショーを見に行った。彼のことを「ヒュー様」と崇める友人から、ショー前日に「松葉杖でヒュー様の気を引くように」と指示が届いた。ナイスガイで知られる彼のことだし、さもありなん、と思い、その気満々で会場に乗り込んだ。 なんと! ヒュー・ジャックマンは本当に杖に反応したのだった。でも、私のではない。私のと同じような杖をスワロフスキークリスタル風のピカピカステッカーでデコったおばさんがいて、ヒュー・ジャックマンは、そのおばさんをぎゅっと抱きしめて踊り、彼女の名前を10回くらい連呼していた。惜しい!! 杖は傘と同じで失くしやすいから地味な色じゃないほうがいいよ、と杖の先輩のアドバイスに従って、ピンクにした。
Audition
三池崇史のこの映画の20周年記念ということで、画像フォーマットも新しくなって、トロントで上映されていた。誘っても誰も一緒に見てくれなかった。 さすがに初公開から20年も経っているので「わかって」見に来ている人が多く、途中退場する人は少なかった。「ギャー、ウァー、ギャハハ!」と反応している人が多かったような気がするが、気持ち悪いと感じた人は声を出すどころではなかったのかも。後で、多くの人が「ナンダこの映画は!」と楽しそうに語り合っていた。一緒にエレベーターに乗ったハゲのカナダ人のおっさんが、15年前にも見た、と嬉しそうに仲間と喋っていた。1人で観に行ったので、仲間に入って話したかった。 椎名英姫の役が六条御息所みたいで超怖いが、取りつく相手が「男」ってところが現代風。あと、スマホはちっとも怖くないけど、黒電話ってめちゃくちゃ怖い。 話はずれるけど、最近オーディションに落ちた。
Memoirs of a Geisha
仕事用のサイトで書いたけど、ま、よかったら読んでみてください。 https://kyokonitta.com/2019/06/26/memoirs-of-a-geisha/ これを書くのに映画版を見たけど、違和感が満載で最後まで見られなかった。「置屋」のお母さんが桃井かおりだったので、彼女の英語が聞けます。
Rocketman
イギリスで70年代ぐらいにブレイクして、ゲイだと中々カミングアウトできなくて、マネージャーで苦労して、という流れが「ボヘミアン・ラプソディ」と同じ。エルトン・ジョンは今も生きてるし、映画の感じも違うけど。 エルトン・ジョンの若い頃のパフォーマンスをイギリスで生で見たことがある白黒映画の仲間が「今の子は、エルトン・ジョンっていったって、ライオン・キングぐらいしか知らないわよ!」と豪語していた。それを聞きながら、それすらも25年ぐらい前の話だとは面と向かって言えなかった。彼女的には「割と最近のこと」なんだと思うから。 エルトン・ジョン役の俳優のインタビューを聞いたら、とてもいい人そうだった。本当に歌がうまい。
ラベリの利用規約の変更
編み物の世界は平和で、森の動物やキノコやフルーツの類を模様編みにして遊んでいる長閑なイメージを持っている人は多いと思う。 でも、政治的な立ち位置を表明した作品を編むこともあるし、著作権に抵触するようなヤバそうなことをしてしまう人もいる。まあ、スキャンダルはそれなりにある。 ニッターたちの間で人気のSNS「Ravelry」が、白人至上主義者ニッターを締め出す行為に出た。「白人至上主義者」といっても要はトランプサポーターのこと。2020年の大統領選で再選を狙うトランプを応援しようと、何かの編み図(スカーフ? 帽子?)をラベリに載せていたのだが、今は一般にはアクセスできなくなっている。その編み図製作者は自分の編み図にアクセスできるけど、みんなと共有させてもらえないらしい。まさか、目だけが出せる真っ白なとんがり帽子ではなかったと思う。見てないから知らないけど。 私は、なんかこう、しゃらくさい気分にさせられたね。 トランプ2020の編み図ぐらいは別にいいんじゃないかと思うな。その編み図に触発されて、人種差別的なコメントが飛び交ったのかもしれないし、トランプ嫌いの人々がどうしても排除したかったのかもしれない。 ウィメンズ・マーチがあったとき、ピンクの猫帽子を編んで被ってマーチに参加というのが流行ったけど、あのときも、アメリカの「保守系」の毛糸屋さんが、猫帽子用のピンクの毛糸を売るのを拒否していた。まったく、どっちもどっちだわ。政治的な意見なんて、一部の人を除きコロコロ変わるからほっとけばいいのに。 そもそも編み物なので、トランプ2020のブツを編みたい!と意思表明したところで、実際に完成させるまでには時間がかかる(その前に脱落してしまう人も出てくる)。ましてや、そのブツを着用し、外出する(トランプのラリーに行くとか)までにはもっと時間が経過する。だから「こんなもの、本当に作りたいのかな」とか「こんなの来て外出する勇気ないな」とか心の中で逡巡する時間がたっぷりある。なんとなく、そういう時間はよい時間のような気がする。 むしろ、自分たちと意見が違うからと編み図を排除するラベリが怖い。世界中のニッターが参加できるプラットフォームを作っておいて、それはないだろう、と思う。もし、マーク・ザッカーバーグがトランプ嫌いで、そのサポーターを排除したら大事件になる。ラベリは過敏のような気がする。 まあ、私は表面的な事しか知らないから何が起きたのか知らずに勝手にこんなこと言っているわけだけど。
