Twin Peaks

日曜日にやっと待ちに待ったツイン・ピークスの新シーズンが放映され、CRAVE TV で PART 4 まで見た。 放映前夜にはミッドナイトショーで昔のツイン・ピークスの映画も見に行った。どうやら仮装して行けば景品がもらえたらしい。私も丸太の切れ端を抱くぐらいの仮装ならできたのに。原題は「Twin Peaks: Fire Walk with me」だけど、邦題では「ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間」というのだね。映画館に来ていたのは真夜中のショーというのもあって、若い子ばっかり! そして満席だった。 新シーズンは現代の話になっているため、随分と洗練されているというか、そのせいでつまらなく感じるところも個人的にはある。でもまたツイン・ピークスが始まった! という感動が今のところ先走っている。 デイビット・リンチ本人が言っているけど、ローラ・パーマーを殺した犯人を明かしてしまうと、その時点から全然面白くなくなってしまう話。だからもうシーズン2のときから面白さはなくなっているんだけど、今度はこれから面白くなるのかな。ちょっと期待。 ニューヨーク・タイムズに、出演している俳優の中でシナリオを全部読ませてもらったのはカイル・マクラクランだけで、他の人たちは自分のセリフのあるところしか読ませてもらっていない、と書いてあった。作っている方の人も謎めいていて、面白い。 写真は映画館で撮った。すごく楽しかった。 http://www.imdb.com/title/tt0105665/

The Art Life

あと一週間もすると新しい「ツイン・ピークス」が放映される。俳優たちはもうすっかり年取ってるけど、とても楽しみにしているからデイビッド・リンチのドキュメンタリーを見に行った。 http://www.imdb.com/title/tt1691152/ いやぁ、デイビッド・リンチってボーダーラインだよな。天才的な狂気に溢れているという意味で。それは別にこのドキュメンタリーを見なくてもわかるとは思うけど。ずーっと昔、カイル・マクラクランと二人でツイン・ピークスの製作についてインタビューされているのをどこかで見たことがあるが、そのときも「子供のような素直さと狂気が一緒に存在している人だ」と思った。 デイビッド・リンチが絵をひたすら描いていて、ものすごく少ない語彙でゆっくりとオレ語りしているので、眠たくはなる。最近の映画なので、老いてもなおフサフサの、あの不思議な髪型にも目が行く。あの髪型は一体どうなっているのか。自然なのかスタイリングされているのか。 話はずれるけど、カイル・マクラクランが演じたエージェント・クーパーがツイン・ピークスの中で言った「You know, this is a damn good cup of coffee」というセリフが有名になり、カイル・マクラクラン=コーヒーの図式が人々の頭の中に刷り込まれ、今でもそのセリフを言えば世間は喜ぶ。それは「ヒデキ、感激!」でヒデキ=カレーが刷り込まれたのと同じ。 これはしばらく前に友達にもらったもの。このカードを見たら、私にプレゼントせずにはいられなかったらしい。うれしい!

カラヤン帝国の興亡史

「史上最高の指揮者の栄光と挫折」という副題が付いているけど、背表紙の『カラヤン帝国の興亡史』の主題だけが見えていた積ん読状態が長く続いた。そのうち「カラヤン帝国とは一体どこだろう、旧ソ連内にあったのだろうか?」などと首をかしげるほど忘れていた。 内容は国盗り物語ふうで面白かった! 威嚇、牽制、報復といった権謀が散りばめられていて、人の性格やその人の打った手があるときは功を奏しても、時を置いて別の局面では裏目に出たりする。読んでいるうち、権力を持つ人達の粘着性に若干疲れてはくるが。御用聞きのような、カラヤン絶賛の視点では書かれていないのがとてもいい。政治力に長け、ビジネスマンのような一面もあるカラヤンに人間らしさを感じた。 読みながら Google Play Music でカラヤンのアルバムを色々拾って聞くのも楽しかった。ソ連で演奏しライブ収録されたシャスタコービッチの交響曲10番で、最後に観客がどわ~!っと喜んでいるのが聞こえるアルバムがよかった。 著者の中川右介さんはアイドルのことを書いた本も出していて、最近知り合いがこの人の書いた「山口百恵」の本を絶賛していたので、それも読んでみたい。芸能事務所の勢力図的なことが書かれているのかもしれない。ヒデキ研究に間接的に役立つかも(時代が重なっているから)。

Moonlight, Weirdos, etc.

『Moonlight』 劇場で見ようと思っていたところ見逃し、iTuneレンタルで見た。字幕なしだと「ストリートの会話」がほとんどわからなかった。iTuneにしといてよかった。字幕付きで見たから。 少年時代は流し見ていたけど、大人になってからは引き込まれたね。そして思いの外静かで、無駄に暴力的なシーンもなかったのもほっとした(精神的な暴力は満載だけれども)。 http://www.imdb.com/title/tt4975722 『Weirdos』 子供が大人になっていく話というくくりで、しかも性的志向の自覚の芽生えという点も『Moonlight』と似ているけど、まったくノリが違うカナダ映画も少し前に見た。環境が違うとこうも違うのか! というほどのんびりしている。時代はベトナム戦争が終わった後。ノバスコシアの牧歌的なところが非常によかった。『ハウス・オブ・カード』でジャッキー・シャープ役だった人がお母さん役。カナダ人女優だと初めて知った。 http://www.imdb.com/title/tt5058014/ 『LION』 非常に細かいところまでじーっと何回も繰り返し見てしまった。 http://www.imdb.com/title/tt3741834/ 『Logan』 ヒュー・ジャックマンが見たかったのだけど、X-MENに関する知識が乏しすぎて、周囲のファンたちの盛り上がりについていけなかった。ミュータントたちが国境を越え、カナダに潜伏してるのだな、と思うと若干楽しさが増したけど、基本長ったらしくて、終わったときにほっとした。 http://www.imdb.com/title/tt3315342/

The Skin I Live in & Your Name.

しばらく前のことだけど、『君の名は。(Your Name.)』がトロントでも劇場公開されたので、夜遅くに見に行った。平日の夜遅い時間のわりには客がまあまあいて、9割はアジア系。私ももちろんその9割に入ってる。思ったよりもずっと良かった。ほんのちょっぴりカズオ・イシグロ的で(ちょっとだけ!)、好きな話だった。でも、これを見る前に大好きなペドロ・アルモドバルの映画特集が別の映画館で上映されていて、まだ見ていなかった『The Skin I live in(私が、生きる肌)』を見に行った。 http://www.imdb.com/title/tt1189073/ どっちも奇怪な話ではあるけれど、どっちが好きか、という好き嫌いの話で言うと、『The Skin I live in』のほうが断然好き。何かを救いたいという感動的な話より、人間の欲望が渦巻いているほうが好みなのだった。感動して涙を流したのは『君の名は。』のほうなんだけど。 それに、やっぱりなんつーのかしら、和か洋か、アニメか実写か、という根本的な好みの問題はあると思う。後ね、若くはないし、美魔女みたいに痛々しく頑張ってはいないのに、妖艶で素敵なファッションの女性が出てくるってのも重要。私もそういう女性を参考にしたいわけですよ。 『君の名は。』とか『私が、生きる肌』とか、句読点や読点がタイトルにあるのは何でなのかしら?後者なんて『この肌で生きる私』ではだめなのかしら。

フランダースの犬

これもブッククラブで人からもらった。村岡花子訳だったとは気づかなかった。動物好きなのでアニメ版で見て最終回で泣いたりはしたが、大人になってみると「なりふりかまわずワンワン泣く」のはストレス解消にもなる、と冷めた目でアニメ版を見ている。「見てる」って評価してるって意味よ。もう長いことアニメ版なんて見たことないから。 表紙絵がかわいい 『フランダースの犬』は本のほうは、意外にもパトラッシュが老獪で、イメージ的にそんなに可愛くはない。あとは、村社会で強いられる同調性のために、あるいは縁故主義のために、へこへこしている人々には顔が与えられていないというか、薄い存在として書かれているのが空恐ろしい。底辺の一番底辺にシワ寄せがどっと押し寄せていたり、あるいは風車小屋を所有するアロアのお父さんが理不尽な有力者として描かれているけど、その中間にいる人達の無視が怖いよー!! 同じ本に収録されている『ニュールンベルクのストーブ』のほうが奇妙で面白い。貧乏で子だくさんな家にある古めかしいストーブの話なもんだから。 原作者はイギリス人だったんだね。なんか、てっきりオランダとかベルギーとかそっちのほうの人だと思いこんでいた。確かに元が英語じゃないと村岡花子訳にならないよね。

変愛小説と、岸本佐知子のエッセイ本

今年に入ってから、岸本佐知子のエッセイと翻訳本を貪ってみた。エッセイは同業種の匂いがムンムンしている。翻訳する人の中には、きちんと朝早起きして規則正しく仕事するタイプと、夜と昼が逆転しているタイプとに分かれていると思うけど、きっと岸本さんも夜型(とエッセイに書いてあったけど、なにせ情報は古い)。私も夜型。真夜中のキィーンという音や、トラックか何かがすごく遠くで走っているように聞こえる音などを聞いていると、仕事がはかどる。 『変愛小説』は私好みの「何かがプツっと切れてしまった人たち」の真面目な愛の話。「お母さん攻略法」とか「リアル・ドール」が秀逸だった。ほぼ全編好きだったけど。 途中、「ん? これは岸本さんっぽくない文章だわ?」と思って表紙を見返すと「編訳」となっていた。そうか、そうなのか、と妙に納得。独り勝手に納得しているだけだけど。 生きている間に、もし文芸翻訳することがあったら、絶対にこういう奇妙な短編がやってみたい。 またまた忙しくって家に篭って仕事していたら、いつの間にか北国の長い冬が終わり、春になっていた。レンギョウを筆頭にいろいろな花の咲く木とか球根とか植えてあるが、それがみんな芽吹いていた。二度咲きする小さいライラックの木を見つけて植えてある。二度咲くから「ブーメラン」という名前がついている。「ブーメラン」といえば、ヒデキ。たしか、今頃が誕生日。

シンキング・マシン 人工知能の脅威ーコンピュータに「心」が宿るとき。

手前味噌で失礼します。 しばらく前に翻訳した本が出版されたので、それの宣伝です。 すごくどうでもいいことですが、この仕事を頂いたときに、姪っ子の結婚式に出席したのですが、その子の名前をローマ字で書くと「AI」になるんですね。やー、驚いた。 で、肝心の本はこちらから試し読みができます。 http://www.mdn.co.jp/di/book/3216203004/ 世の中にはAI関連書籍がたくさんありますが、この本のいいところは、著者自身が技術者ではなく若いジャーナリストである、ということかもしれません。こんなことを私が言うのもなんですが、もしも著者が定年間近の人だとですね、今後どうすればいいの? という不安は「他人事」になってしまうのではないでしょうか。たとえばビルゲイツは警鐘を鳴らせても「もうそのころ僕はいないし」と思っているかもしれないし、ひょっとして密かに自分の脳を永久保存する手配をしているかもしれないですが、そんな高みからアドバイスをもらっても、私たちには関係なくない? なのです。そういう意味で、この著者はデジタルネイティブ世代に近いからいいんじゃないかな、と(はっきりした年齢は知らないけど)。 この本は「AI、AIって騒がれてるから……」と、なんとなくAIニュースを日々クリックしている、別にSFファンでもない、私のような人にAIにまつわることをいろんな角度から考えさせてくれる一冊です。一応、その技術についての大雑把な説明や、学問としての歴史など背景として知っておいたほうがいいことも書かれていますが、3章目あたりからこの本の良さが出てきます。どのAI本もまずは歴史の説明から入っているので繰り返しになるから、既に基礎知識のある人はすっとばしてもいいかもしれません。 読んでいると腹立たしくなることもあるし、将来的にありえそうな哲学的な問題も出てきます。だからこの本を読むときは、グループとかブッククラブみたいなところで読んで、人と話をしたほうがよりいいんじゃないかと思います。 「またAIか…」とお腹がいっぱいになっている人は、訳者あとがきをまず読んでもらうと、「あら?そうなの?」と少し興味を持ってもらえるかも知れません。 この訳書の紹介ということで、ニューズウィークにも記事を書きました。こちらも読んでみてください。 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/03/ai-11.php AIにどう立ち向かうか? 翻訳もAIに奪われそうです。人間による翻訳は「えー!それって誤訳じゃない?」とネットで囁かれ、翻訳者が叩かれたりするのが普通です。しかし、そこには「訳者の人格が叩かれたりする」人間ドラマとか、ワイドショー的な価値があります。でも機械による翻訳だと、そういう価値はぐっと下がるか無きに等しくなるのです。AIが翻訳した本はそんなに売れないけど、村上春樹が翻訳した本はもっと売れるはずです。 世の人々が見たがっているもの、特にドロドロしてるものは、人間がやらないと面白くないんじゃないでしょうか。たとえ囲碁の対局がコンピューター同士になろうとも、ゴシップ的にはそのソフトの開発者のバトルになる、と私は思うのです。だってAI同士の対決なんて、はっきりいって全然面白くもなんともないですよね。

TJWK6周年

東日本大震災後6年が経ちました。すっかり報告が遅くなりましたが、今年も地味にTJWKのモチーフ編みをしました。年末に報告しましたが、2016年度はCAD$285分を年末に、震災孤児の支援のため、あしなが育英会に寄付しました。 今年は3月11日にやるのは無理だったので、16日に集まりました。渡瀬恒彦の訃報についてしゃべっている合間に「追悼式見た?」とかそういう話をして、6年の月日を感じました。日本のTJWKはそれぞれもっとトロントより規模の大きなイベントをしていましたけど。 「自然災害」というより「原発事故」として振り返ってしまうことが最近多いけれど、発電所が常時稼動できる発電方法で、原発に変わるものって何?ってことになると、一体何がいいのかこの頃よくわからなくなってきました。 オンタリオ州の住民は「電気代が高い!」と不満を爆発させていて、州知事の支持率が過去最低となりニュースになっていました(電気代だけが理由じゃないと思うけど)。電気代の請求書をよく見たら、送電料金が半分を占めていました。私は家で、夜、人が寝静まった時間帯に働いているので、「オフピーク時」の使用量がいちばん高かったです。しかも、家の中で手編みのセーターと靴下を着用しているので、暖房の温度設定も低め。 別の人が家で編んできてくれたモチーフに私が編み足してクッションカバーにするつもりです。 ほぼ毎月集まっているので、いつでも気軽に遊びに来てください。モチーフは編みたいときはいつでも編めるようになっています。また、キットを購入してくださった方で、やっぱり編み方がわからない、というときもお手伝いいたします。

円卓とペンギン・ハイウェイ

手芸部&ブッククラブでみんなが「放出しても構わない本」がぐるぐると回っている。それはそれで大変に面白く、放出するときの本の感想を聞くのも面白い。買わせよう、読ませよう、のセールスピッチとは全然違って、「もういらないけどさ、でも」の「でも」の先にあるものが面白かったりする。 この間から子供が主役のストーリーを読むことが多い。この2冊はピンとこないところが多かった。くるところもあった。もっと荒唐無稽であってほしいようであったり、そんなに想像上のものがあれこれ登場してくるとついていけない、と思ったり。そもそも子供の頃に戻ってどうするのだろう、という気持ちが私の中にある。 「円卓」の手芸部の話はとても共感できた。 「ペンギン・ハイウェイ」はどことなく村上春樹ワールドをなぞっているような、トトロをなぞっているような既視感があった。