自分が書いたストーリーの「出だし」の15ページを提出したのが先週。今週はそれの批評。講師とほかの生徒から授業中に意見をもらったけど、プリントに書き込まれたコメントももらった。「この単語の選択はちょっと違和感ある」とか、「これって陳腐じゃない?」とか、「もっとここは膨らませて」「削って」なんてのは、同じ土俵に立っていると認めてくれているわけだから、うれしかった。英語の間違いの指摘ばっかりのコメントだったら落胆してたと思うし、逆に「英語ちゃんと書けてるね」みたいなコメントをもらっても全然うれしくなかったと思う(クリエイティブ・ライティングのクラスだからね)。あと、みんな同じところで引っかかったようで、それも面白かった。その箇所は誰が読んでも「?」と混乱を招くみたい。書き直そう。 最後に総評を細かく書いてくれた人がほとんどで、面白かったとか、もっと読みたいとか、やる気が出る言葉が書いてあった。お世辞だったとしてもうれしい。私の書いたものに限らず、クラスメート14人中、11人はものすごく熱心に他の人が書いたものを読んでいて、フィードバックをたくさんする。ダメ出しもするけど、それは口頭で授業中にみんなのいるところでやっている。そういうやり方はとても健全でフェアなように思う。 第二言語で小説を書くのは感慨深いものがあるけど、ある程度の書く能力を身につければ、後はアイデア次第だなと思った。 別の学校で、プロのライターとペアになって勉強するシステムになっているクリエイティブ・ライティングのクラスを取った人が、「相手との力関係でコテンパンにされて、めげた」と言っていた。私は絶対にそんなところはイヤだ!! もうすぐクラスはもうすぐ終了。楽しいことはすぐ終わってしまう! また時間があるときに取ろうっと。 全然関係ないけど、トランプの国内問題と外交問題に対する「糾弾」のトーンがあまりにも違いすぎてガクッとひっくり返った(私が)のと(北朝鮮に対しては雄弁すぎ)、ツイッター弁慶なところが露呈した週末だった。
Author: Kyoko Nitta
Matryoshka from Harbin
中国は黒竜江省ハルビンのおみやげマトリョーシカ。 ロシアにとても近い(北朝鮮にも近い)ので、マトリョーシカを売っている店がたくさんあるらしい。 最初箱を開けた時、もっと普通のものが出てくると思っていた。おみやげ感の高いデザインがコレクターの心をくすぐる。顔はシールを貼り付けているんだと思うけど、いつもの丸い顔でない上に、帽子をかぶっている。斬新。でもバッチリメーク、長いまつげ、濃いめの頬紅、ぷっくりしたピンクの唇という、マトリョーシカの基本は踏襲している。前面は斬新だけど、後面は割りと伝統的な仕上がりになっている。 お腹のところに書かれている絵の中の人々がとてもアジアちっくな顔をしている。国境付近の香りをプンプン放っているマトリョーシカである。 ハルビンのホテルでは、ブルベリージュースが毎日出てきたそうだ。ブルーベリーがよく採れるのか、ブルーベリー味のグミもおみやげにもらった。とてもおいしかった。 ハルビンに私も行ってみたい。
DUNKIRK
予告編を見て「嫌だ!こんな悲惨な映画は!」と思っていたところ、周囲のカナダ人たちから「めちゃくちゃよかった」と聞き、おそるおそる、しかもIMAXで観た。 孤高のヒーローも、祖国で待つ恋人も、軍隊のいじめも、男の友情もなーんにもなくて、ドイツ軍の圧倒的な強さ(まだ戦争中盤だから)に、ただひたすらイギリス兵がダンケルクの浜辺で無駄死にしていく。本当に丸腰の撤退シーンだけの映画。 武力行使とか簡単に考えてしまう人もいるとは思うけど、とりあえず犬死ってこういうことだし、戦争ってほんとうにバカバカしいってっことで。 ハリー・スタイルズも出てるけど、「わ! ハリーだ!」と喜んでいる暇もなかった。 余計なサイドストーリーがないから、伝えたいことが迫力とともによく伝わってきて、とてもいい映画だった。悲惨であることには変わりないけどね。 http://www.imdb.com/title/tt5013056/
AROUND THE NECK
ずっと前に人にあげるために編んだ。どちらも簡単なのに満足度の高い編図。どっちもラベリーの無料編図。 青緑の三角ストールは前にも同じものを編んでいる。 青いほうは、ろくろに向かって作業する時間が長い人へのプレゼントなので、スポッと被れるカウル。細いレースヤーンで編んだから軽い。1玉で編めるのも毛糸在庫処理プロジェクトにいいよな。
兼高かおると日本の真珠
兼高かおるの本を読んでいたら、取材旅行のおみやげには日本のトランジスタラジオと真珠のネックレスを持参していった、と書いてあった。当時の為替レートが1ドル360円、お金の持ち出しが1日17ドルだった頃の話。 兼高さんのように純粋なお土産として海外に持ち出されたわけではない真珠を私も持っている。何かの用でニューヨークに来た日本人が、真珠をたくさん持ってきていた。このお金の持ち出し制限のせいで手持ちが少なく、「買ってほしい」と言われた日系人女性が、3粒だけ、同情して買ってあげ、それが指輪に生まれ変わった。1950年代の話。 1994年、私はその女性のところに遊びに行き、「あなたにあげる」と言われてもらってきてしまった。本当にもらっていいのかどうかわからなかったから、その人が亡くなったときに、その人の娘に聞いてみた。そしたら「それは本当にあなたにあげちゃったんだから、持っていていいんじゃない?」という返事。 ボリュームのある指輪なのでつけたりはしないけど、この真珠のいきさつはとても大好き。指輪の台から真珠を外して、自分の身につけられるようにしようとしたこともあるけど、そんなことしなくてよかった! よく見ると1粒だけ小さい。今は、この真珠の産地が知りたいと思っているけど、そんなことできるのかな。
Wonder Woman
流行っているし、続編ができるニュースも出ていたので、どんなもんかな?と見に行った。前日に女友達が「強い女が市民権を得るのは歓迎なんだけど、やっぱりきれいにしてる子じゃないとダメなのよ。筋肉も単にモリモリしてるんじゃだめで、きれいにつけてないとダメなんだわ」とワイングラス片手にディスっていた。でも、ワンダーウーマン役のガル・ガルドットは撮影中妊娠してたので、本物のワンダーウーマンなのかも。 http://www.imdb.com/title/tt0451279/ ただ男女逆転させただけの印象もあったし、「女=愛=平和」の図式で、わりと平ったい話になっていた。ただ、ボケたお供を連れて歩きドタバタしているところが、「桃太郎風」でクスっと面白かった。というか、まさに桃太郎。生まれたのは桃からじゃなくて、土塊からだけど。でも概ね退屈で、ハリポタのロンのお父さん役が最後にたくさん出てきて「ハリポタ感」が出たところで持ち直した。 どうも、007風に毎回恋のお相手が変わるようなので、「次のボンドガールは誰?」ってのがニュースになるように、「ワンダーウーマンの次のお相手は?」もニュースになってくれたら面白いかも。ならば、ワンダーウーマンがかなりの熟女になるまでシリーズを続けて、「熟女と若い男のからみ」も見せてくれるといいな。
The Technological Singularity
折角読んだからブログっておこう。 この本は訳書も出ているけど、どうやら訳がよくないらしい。でも、原書がそもそもドライなので、訳もドライ、という批判なのかもしれない。英語は読みにくくはないし、内容もいい。 https://mitpress.mit.edu/books/technological-singularity 著者はインペリアルカレッジの教授だけど、オックスフォード大学のCSERという、技術発展のせいで人類が存在の危機に直面するんじゃないか、というようなことを研究するところのアドバイザーなので、この本もAI入門書だけど、かなりのページを割いてAIの技術開発における倫理を問うている。入門書といっても、今学生でこれからなんかホットな分野で研究してみたいな、ぐらいの人をターゲットにしていると思う。 2045年問題については、早すぎる、タイミングの予測自体は重要ではないけど、どんな条件が揃うと起きるのかは理解しておいたほうがいい、いずれは起きるだろうから、という立場を取っている。そもそも、コンピューターは、ある能力においてはとっくに人間の能力を遥かに上回っている(計算能力とか記憶力)。だから、人間レベルの知能とか、人間らしい知能って、そもそも何なの? の議論にページを割いて、何をもってして人間を「超えた」といえるのかも、ポスト・ヒューマン的な話や、人間にもいろんなのがおるだろうが、というのも含め、丁寧に説明している。だからAIを擬人化して考えてしまうと、誤解を招くんじゃない? とも言っている。 シンギュラリティに到達するには、技術的なブレークスルーが複数起きないといけないし、どんな分野でブレークスルーが起きないと2045年はありえないのかも説明されている。その1つが半導体で、ものすごい計算能力を持った次世代チップのフレームワークがいつ普及するかだった。GPUを作っている企業が今ブイブイ言わせている理由も説明されている。「指数関数的な成長」は、今は馬鹿っぽいことにしか使われていない技術でも、うるさいファンのニーズに応えているうちに磨かれて、思わぬところでその技術を応用できるときがくる、のも含めてのことなのだね。 どの本もレイ・カーツワイルのシンギュラリティの予測に対して、筆者がどう思っているかが書かれている。カーツワイルのあの本を読まないと、他人の二番煎じ的な情報を読んでいるな、と思って英語の原書を買ってみたけど、分厚い上に、ちらっと見たら難解そうだった。ま、だから他の人がかいつまんで説明する本が売れるのかも。全然工学の知識がない、まったくの文系の私がAI本をあれこれ読んだ結果、思ったことだけど。 日本では、レイ・カーツワイルのあの本の「簡略版」が出ている。『シンギュラリティは近い』というタイトル。大元の分厚いほうは「ポストヒューマンのなんちゃらかんちゃら」というタイトル。簡略版を買って3分の1読んでみたけど、頭が痛くなった。 なぜにこんなにもAIの本を読んでいるのか。読む時間がない人のために、代読して要約しているのであった。。。たぶん、これからもAi読書の旅は続く。
Restless Creature
http://www.wendywhelan.org/projects/restless-creature/ ニューヨーク・シティ・バレエ団のプリマドンナを30年勤めたウェンディ・ウィーランの退団前の最後のダンスに至るまでのドキュメンタリー。肉体美と体力を競うバレエの世界で、バレリーナとしての区切りをどうやってつけるか真剣に考えて、痛々しい努力をしている(バレエ団から引退をほのめかされたり、ほされているのに、自分の最後を自分で作り出している)。全力を出し尽くすって、こういうことなんだな、と思わせる。こういうのって、日本のテレビ局が作るとお涙頂戴っぽい仕上がりになるのかもしれないけど、そうは作らないところが、ウェンディへのリスペクトって感じですごくよかったな。涙は別のとこで出てくるけどね。 ラジオで彼女のインタビューを聞いたのをきっかけに映画を見に行った。この間ニューヨークに行ったばっかりだし、なんか景色を見ているだけでも気分が盛り上がったし、自分と同年代の女性だから、気持ちがよくわかる気がした。若い子には「ババアの悪あがき」に見えると思う。 インタビューでもそうだったけど、ウェンディは踊っていないときは、ざっくばらんな感じで、心の中で思っていることをバンバンと話す、いかにもアメリカ人ぽっい人(まさにおばちゃん)。そんなに美人でもないけど、踊りだすと別人。舞台では豹変と言ってもいいくらい変身する。 思ったより人がたくさん見に来ていた。
ライティングのクラス
最近クリエイティブライティングの授業を取っている。自分の仕事の腕磨きでもあるし、趣味でもある。夜間の部なので昼間仕事をしているアマチュア(だけどめちゃくちゃ書いている人)かセミプロがほとんどで、みんなどこにそんな暇があるの? というぐらいに読書している。基本、全員ひとりでいるのが大好きな人たちなのだと思う(自分を含め)。でもひとりでいるのが好きな人同士でおしゃべりするのは大好きみたい(私も含め)。 自作の小説の出だしを15ページほど書いてきて、それをクラスのみんなに家で読んでもらい、翌週にコメントをもらうという恐ろしい流れになっている。一応、悪意のあるダメ出しはだめということになっているので、殆どの人が「ここの段落のここんとこは描写が生き生きしてて饒舌でいいわね! だけど…」と言いつつ、コメントする。最初のうちは、遠慮がちに外堀から攻めているけど、そのうち誰かが、グサっ! とやると、グサグサグサグサ! と連鎖反応的にみんなが攻め出す。集団心理とは恐ろしい。たまーに一踏み込み過ぎたコメントもある。基本、相手の創作意欲と損ねるのがダメなんだと思う。 でも根も葉もないことを言う人や、読んできてもいないのに偉そうなコメントする人はいない(っぽい)。正直な、ストレートな感想をぶつけるだけなんだけど、実はそういう直球コメントがありがたいけど一番怖い。怖いけど、そのためにみんな高い授業料を払っているので(みんな身銭を切っているから必死なの)、「ほ、ほかには? なんかありますか?」と自らズタズタにされに行く。。。「じゃあ、6ページ目なんだけどさ、ここ3段落、全部要らないんじゃない?」とか「この部分はすごくいいから絶対に削除しちゃだめ」とか、素人の書いたものをよく読み込んできている。 そしてそのさらに翌週に書き直してくる、という罰ゲームも待っている。 私の番はまだ(こわいよぉ)。 私も人の書いたものを読み込むのが大好きなうえ、容赦なくコメントするのも平気で(普段の仕事のおかげ)、どっちかというと「まず、言わしてもらうよ」と先陣を切っていく人の真後ろいるタイプだったりする。外堀から攻めるにしても、さくさくと攻めてあげないと、肝心なところへコメントする時間がなくなってしまう。 コメントへのコメントもある。「私はこう感じたから、つなぎをよくするといいかも」みたいなことを言ったとして、「え? 私/俺/僕はそう思わなかった」と半数以上の生徒から反論されることもある。 とても楽しい授業だ。メンツに左右されるのかもしれないけど。 過去にも、こういう授業は何回か取っている。オンラインのコースは他人が書いたものをちゃんと読んでコメントしてくれるクラスメートが少ない代わり、「やばい」内容の読みものを目にすることがある。ワークショップは、一日ぽっきりだから、「書きたい」と言うだけで「実は何も書いていない」人が割りといて、突っ込んだ話は出来ない。「筋力をつけたい」といいつつ実際に運動していない人と筋力トレーニングについて深く語ることができないのと同じで。
村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事
村上春樹が訳した本のカタログ。改めてその量のすごさにびっくり! これを読んでいるとき偶然にもレイモンド・カーヴァーの短編を再読中だった。彼のは全作品村上春樹が訳している。 なんか、いいなぁ。海外文学好きな人の興味を掻き立てるカタログ部分の端書きもいいけど、後半の翻訳してみたいことを締め切りなしに余暇で訳しているところが。そんなふうに翻訳の仕事ができる人はそうそういない。後半は柴田さんと対談で翻訳にまつわるいろんな面白い話がある。古典の新訳、重訳、古典の現代訳(日本文学でよくあるやつ、源氏物語とか)、森鴎外の翻訳、などなどとても面白かった。 そして、一般的な文芸翻訳のギャラのことをよく知っているようで、世界中の村上作品の翻訳者に何かの形でお金を還元したい、とも言っていた。ギャラについては私も思うところはある… 週末、ニューズウィークのある翻訳記事の悪意ある誤訳にちょっとイラっとした。翻訳学校に通ったり、どこかで翻訳のトレーニングを受けている人なら、ああいう翻訳記事を署名入りでは絶対に出さないと思うし、あんなことをしないように職業倫理も植え付けられているはずなので、きっとそういうトレーニングを受けていない人なんだわ、っと思った。うっかりとか調べきれなくて誤訳ってのは誰にでもある(村上&柴田さんもそう言っている)。でも「翻訳者がそこまで変える?」みたいなことになっている記事だった。
