カナダに再入国して以来、14日間の自己隔離生活をしていたが、その間にオンタリオ州で緊急事態宣言が出たので、隔離生活は続いている。私は元々インドア派な上、在宅勤務なので、あまり苦痛は感じない。社交的な遊びに関しても、映画仲間からはメールで「おすすめの映画」が送られてくるし、ブッククラブからは「Zoomで読書会」のお知らせがあったし、句会もバーチャルにやることになった。日本帰国中、いろんな布を買ってきたので、映画やドラマを見つつ、いろんなものを作っている。一番の大作は「ローブ」。しかも贅沢にネルのリバティプリントで作った。買った型紙の見本がリバティで作られていたというのもあるけど、理由はほかにもある。去年入院したとき、以前リバティで作ったすっぽりかぶれるワンピースをパジャマ代わりに着ていたら、人に「カワイイね」と褒められた。サイズがうまく合わず、ワンピースとしては失敗だったけど、パジャマとしては優秀。パジャマ一つで気分が上がるものだ。今は寝るときに楽しい気分になりたいので、パジャマはなるべくかわいくしている。その延長で、このローブを作りたかったというわけ。ちなみに、5歳の姪っ子も、お気に入りのキャラクターのパジャマをどんなにぴちぴちになっても、寝るときはそれを着ている。ノリとしては同じ。このキモノ風のローブを作るには、まず、裁断したり、待ち針つけたりするのに、長ーい布を広げるスペースがいる。なのでまずは床掃除から始まった。そして手でまつり縫いもしなければならなかったので、「くけ」も使った。「くけ、ご無沙汰!」と言いながらソーイングボックスから取り出したほど、久しぶりに使った(20年ぶりぐらい?)。このローブはパターンに問題があって、わきの下がきつく仕上がってしまう。PurlSohoのウェブサイトにその解決方法が載っていたけど、あとの祭りだ。まあ、気が向いたら、直すことにしよう。
Author: Kyoko Nitta
日本滞在(仕事模索編)
日本へ向かう機内で、村岡恵理の『アンのゆりかご』を読んでいたら、本の中で、村岡花子は自分が翻訳したいものを積極的に選んでいた。大御所だ。私は同じ職業に就いているが、真逆の環境にいる……私は「何を翻訳したいか」は選べない。エージェントに「あの人にはこれをやってもらおう」と選んでもらっている。私の場合、本が「駒」なのではなく、私が「駒」なのだ。この業界には翻訳したいと思う本を持ち込める企画もあるが、持ち込んだことはない。私はまだ和訳されていない英語書籍を読んでレポートを書く仕事もしているが、「これはすごい!」と思ったものが必ずしも和訳されて日本の市場に出ているわけではないところを見ると、世間が求めるもの(ヒットするもの)を見極める才能が私にはないのかも。ま、私などにはわかりえない事情があるのだろう。ま、できれば一回くらい文芸をやってみたいし、あと、なんかこう、翻訳がらみで少し違うこともやってみたい…… スマートで感性が高そうな若い世代の同業者に声をかけてみたり。いつもお世話になっているところへ、ぼんやりとした意欲をぶつけにいってみたり。こんなことを模索するのは、個人事業主ならではの醍醐味というか、いちばん楽しい部分だな。
日本滞在(飲み屋編)
A bar deep in Shinbashi 1)とある雑居ビルにあった、結果的には複雑な思いをしたバー友だちに連れてってもらった。お通しがちょっと珍しかったので、感動の味でもないのに、「わあ、珍しい! お酒に合うわ!」などと社交辞令で褒めたのが悪かった。このバーテンは「物販もやりたいんですよね、物販も」(お通しに出したものを物販したい)と長々と話しはじめた。我々は客であるからして、「このお味どうでしょう?」とか「これ売れますかね?」など、やんわりとフィードバックを求めてほしかったのだが、夢語りを聞かされたうえ、さらに食事まで食べさせられ、ちょっと居心地の悪い思いをした。あの押しの強さは、世の中に数多く存在する「俺の」系のビジネスを目指しているのかもしれない。2)食事がおいしいと評判の高飛車な居酒屋これも友だちに連れてってもらった。人気があり、ルールをいろいろと科してくるので予約を入れるのが困難だったとのこと。久々の再会を喜んでいるのっけから、「終わりの時間は変わりませんからね」といきなり釘を刺された。人気店なので、2時間しか居られないという制約があるのだそうな。結局、コロナ騒ぎであとの客が来ず、長居はできた。食事はおいしかったけど高飛車だったので、飲み直したい気分に……3)高飛車な居酒屋からの居心地のいいバー先ほどの居酒屋とはうってかわって、ゆっくりできてざっくばらんな店へGO。マスターもざっくばらん。アレ? 私の目の前に、マトリョーシカのようなものがふたつ並んでいるではないか。「あ! こんなところにマトリョーシカがある!」と思わず叫んでしまった。「それはマトリョーシカではない」と周囲の人々に言われたが、どっから見てもそれにしか見えない。「じゃあ、マラカスかな?」と言うと、「マラカスかもな。振ってみな!」と言われたので、振ってみたがカラカラ鳴らなかった。「ソルト&ペッパーかな?」などなど、いつまでたってもその正体がわからない私を気の毒に思ったのか、マスターが「それはテンガと言って、男性用の大人のおもちゃですよ」と教えてくれた。あー、いやだいやだ。触ったり、振り回してしまった。4)植毛手術や部分かつらで盛り上がる中年今回、私は部分かつらをオーダーメイドした。姉と一緒にちょっとどんなものがあるのかを下調べするだけ……のはずだったのだが、いつのまにか注文してしまっていた。「もう少し予算を上げると、オーダーメイドできますよ」の口車に乗ってしまったのだ。「ビリー・アイリッシュみたいな部分かつらも作れるの?」と尋ねると、奥から、いろんな色の人工毛が出てくる出てくる! 地毛に合わせた色が無数にあるのはもちろん、ハイライトを入れるためのピンク、ブルー、グリーン、パープルとすごい色数がある上に、つやあり/つや消しというチョイスも加わって、選択肢が一気に二倍。その上、形状記憶する毛も混ぜられるだの、頭皮の色も選べるだの…… もうこれは、聞きたいことや見せてほしいものが山のように出てきてしまった。結局、昼食をはさんでフォンテーヌに3時間以上居座った。感覚としては帽子をオーダーメイドするようなもの。ちなみに、ピンクのハイライト入りを注文。ああ、早く完成品を被りたい。この話をお酒の席で同年の人(男)に話すと、実は俺も…… と植毛技術について事細かに話してくれた。もうすぐ植毛手術を受けるらしい。年相応の話題ってもんがあるなと、ポジティブな気持ちになれた。
日本滞在(歌舞伎編)
Tamasaburo そもそも2月末に突如日本に行くことにしたのは、坂東玉三郎を見るためだった。二月大歌舞伎の千穐楽に間に合うように飛行機に乗り、昼と夜、合わせて8時間、歌舞伎を見た。13時間のフライトの後の8時間はキツイ。休憩時間は血流をよくするため、歌舞伎座内を歩き回った。昼もなかなかの座席だったが、夜の部は中央前から3列目。間近で玉三郎の「羽衣」の舞を見た(相手は勘九郎)。年は取っても美しい。大変貴重なものを見ている気がした。「羽衣」のようなお話は、男役さえぴちぴちに若ければ、女役は少々お年を召していても成り立つ。それはそれで妖艶だ。舞は言葉がわからなくても楽しめる。海外でも玉三郎の知名度が高いせいなのか、外国人観客多し。彼らの様子も気になり、ちらちらと見ていたが、やっぱり「舞」のない歌舞伎になると舟を漕いでいた。本当なら満席に近いはずなのに、コロナ騒ぎで半分くらいしか観客席は埋まっていない。おひとり様で見ていたので、隣のおひとり様に声をかけてみた。結果的に、話に花が咲き、最近読んだ玉三郎についての本に、「玉三郎はあまりにも若い役はもう似合わないから封印しているって書いてありました」と言うと、「ええー!? この間、白雪姫の役を演じてましたよ!」と…… ま、あの本は2010年刊行だからな。お隣さんは、「3月も日本にいるなら、明治座のXXXを是非見てほしい」とおすすめまでしてくれた。日本に住んでいるならこの人と観劇したい!とすら思った。おすすめ情報のお礼にと、三越デパートでもらったマスクを2枚差し出すと、「いいんですかっ!? マスクは今の日本では、貴重かつ希少なアイテムなんですよ!」と劇場に響き渡るような声で返事が返ってきたが、受け取ってもらえた。3月は明治座、あるいは京都の南座へと私の野心は膨らんだが、それはつかの間のこと。ありとあらゆる劇場が閉鎖になってしまった。しかし、二月歌舞伎の千穐楽に間に合っただけでもラッキーだった。観劇の後、ひとりで遅い夕飯を食べることになり、前から一度やってみたかった、「誰にも口を挟まれることなく、好きなだけ好きなようにお寿司を食べる」のをすしざんまいで決行。ま、あの価格帯ならできることだといえよう。少しお酒も飲んだし、おさしみも食べたが、一人で8000円分食べた。最後にすし職人に向かって「今日食べた中でベスト5を食べてからお勘定をする」と宣言すると、少し驚いたようだった(もちろん何も言わない)。あとで、友人たちにこの話をしたら、「すしざんまいでその金額とは、相当食ったんだろう」と驚かれたが、なかには、「いい話だ」と言ってくれる人もいた。
日本滞在(姪っ子成長編)
Dolls in Otsukaya wrapping paper 5歳児の姪っ子は、コロナウィルスのことを「コロコロウィルス」と言い、アナ雪2の主題歌のサビ「未知の旅へェ~」を「虹の谷へェ~」と歌う。平仮名とカタカナが読めるようになっていたので、毎日、「お手紙」を書いては私に呉れていた。時々返事を強要され、どんな文章を書こうかなと真っ白な画用紙を前に悩んでいると、「わたしはねぇ、『XXちゃんだいすき、おつかれ、ありがとう』ってだいたい書くことにしているよ!」と助言までしてくれた。毎日5歳児が大好きなユーチューブを見せられていたが、人気のものはよく考えて作られている。子どもがユーチューバーになりたがるのもうなずける。人形の洋服をそこらへんにある素材で作るという遊びもユーチューブで学んだらしい。幼稚園が休園になってからは、2度、公園に連れていった。ほかの子どもたちとどのように遊ぶのかよくわからなかったので、「ほかの子たちと遊んでおいで」と放牧してみた。姪っ子はめぼしい子たちに「あ~そ~ぼ!」と、誰かが反応してくれるまで何度も声をかけていた。粘っていると、お姉ちゃんあるいはお兄ちゃんキャラの子どもが反応してくれるらしい。その強靭な精神力に感心。そうこうするうちに、どこかの小学生低学年の女の子が私のところにやってきて、「XXちゃん(姪っ子のこと)のお母さんに似ているけど、ひょっとしておばあちゃん?」と言ってきた。毛染めや化粧でどんなにごまかそうとしても、小学生は見抜いているのだ。「おばあちゃんじゃないよ。お・ば・さん! わかった!?」と真実を伝えると、「ええ~!?」と女児は去っていった。
Portrait of a Lady on Fire
寝たとはいえ、奇跡的に私はこの映画のタイトルにもなっている「女が燃えているシーン」は見届けていた。
玉三郎と三島由紀夫
六代目歌右衛門と坂東玉三郎の対立関係が主軸になっているけど、このふたりは世代が違うので、背景の情報量が多い。
アムダールの法則
仕事で「アムダールの法則」を学んだ。と言っても、この法則に基づいて計算ができるようになったわけではない。理解するのにすごく時間がかかったので、書き残しておこう。
Midsommer
前から見たかった。しかし心理的に怖そうな映画だったのでひるんでいたら、案の定、不気味な映画だった。不気味ながらもぐいぐいと引き込まれてしまった。
鍵
Treasure Chest ある日彼からメッセージが届いた。「Z」 たった一文字。だたそれだけだった。どういう意味だろう。「X」でもなければ「L」でもなくて「Z」…… すぐに返事をしてこじらせるよりは、彼が帰ってきたときに聞いたほうがいい。そう思って不安な気持ちを抑えた。 長い間待って、やっと彼が帰宅した。彼はあのメッセージにはまったく触れずに自室に下がった。彼の部屋には大きなつづらのようなものがあり、鍵がかかっている。そのとき私は、暗い閃きを感じた。ひょっとしたら、あの中に何かヒントがあるかもしれない、と思った。今彼は自室で、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、深い溜め息をつきながら、あのつづらを開けているに違いない。いや、もしかすると、毎晩私が寝たのを確認してから、そっと起き上がり、何か私には見せたくないものをそこにしまい込んでいるのかもしれない。暗がりの中で、月明かりだけを頼りに。 あのつづらはいつからあの部屋にあるのだろう。気がついたときにはもう置いてあった。あれを開ける鍵はどこにあるのだろう。夕食を温め直す私の手に力が入った。 翌朝、彼を仕事に送り出し、独りになった私は、鍵のありかを考えた。常識が「開けてはいけないよ」と囁いている。でもこれくらいのルールは破ってもいいような気がしてならない。すると常識は、「知ってしまった秘密を、知らなかったことにはできませんよ」と、畳み掛けるように、語気を強めてきた。でも、鍵を探すぐらいはいいじゃないか。見つからないかもしれないし、見つけたところで、思いとどまって、実際にはあのつづらを開けないかもしれない。それに…… あの中には、私にとって大切なものは入っていない可能性もある。なーんだ、こんなものを大事にしまってたのか、と結果的に笑って終わる可能性もある。常識は、もはやこれ以上何も言うことはないと、腕組みをしているだけだ。 鍵を隠すとしたら、どの辺に隠すだろう。ひょっとしたら彼は持ち歩いているのかもしれない。なぜわざわざ持ち歩くのだろう。きっと私に探し当てられては困るからに違いない。とすると、あの中に入っているものは、やはり…… まさか……? そっと彼の部屋に忍び込んだ。常識は「知ってしまった秘密を知らなかったことにはできないんですよ!」と、最後に叫びに近い声を上げた。そんなことを言われても、私には「知らなかったことにできない状態」を想像できない。知らなかったことにできない状態…… 知らなかったことにできない状態…… そうだ、やっぱり彼に聞いてみよう。あの「Z」にはどんな意味が込められているのかを。携帯電話を取り出し、おそるおそる文字を入力した。「昨日のあのメッセージ、あれは何だったの?」 携帯の画面は怖いくらいに静かだった。 しばらくすると、返事が来た。「ああ、あれのことかな? 別の人にメッセージを送ろうとしたら、間違えて君に送っちゃったんだよ」 別の人?…… それはやっぱりあのつづらの中にあるものと関係しているのではないだろうか。頭の中でありとあらゆる警告アラートが鳴りだした。常識が何かを叫んでいるけれど、その声はかき消されて聞こえない。私は指で額の脂汗を拭った。
