The Seventh Seal & Desperately Seeking Susan

The Seventh Seal TIFFで今イングマール・ベルイマン特集をやっているので見に行った。邦題は「第七の封印」 小難しそう......と思っていたら、やっぱり信仰とか神の存在を考える話だった。加えて、ややこしいことをしゃべっている字幕が白黒画面に出てくるので疲れてしまった。観ている最中に、実は昔に観たことがあると気付いた。当時もあんまりピンとこなかったか、寝たのだと思う。 眼の前の座席に、精神錯乱気味のおじさんがいて、映画が始まると「ヒューヒュー!」と騒ぎ、何も起きていないシーンで「ぎゃはは」と笑ったりしていた。そして話が佳境に入る頃にはグースカピースカ寝息がうるさい。 「お前が死神とチェスしろ!」 と後ろからおじさんの動向を見守るのにも忙しかった。 Desperately Seeking Susan 邦題は「マドンナのスーザンを探して」 1985年の映画!! マ、マドンナが若い。荒唐無稽なストーリーが今見ると面白い。セリフも80年代っぽいし、ニューヨークの街並みも、ファッションも、何がかっこいいとかの概念も、今とは全然違う。別のドキュメンタリーで見た「三つ子の兄弟」もちらっと出ていた。あの三つ子たちも80年代のシンボルなのだろうか?ドキュメンタリーの中にもあの3人が経営するニューヨークのレストランに日本人観光客が大挙して押し寄せているシーンがあった。https://youtu.be/uM5TQ4f7ycw 何より、この映画のタイトルにもなっている「個人広告」が懐かしい。私が渡米したときはまだ健在だった。インターネットでつながってないからすれ違ってドタバタ劇になるんだな。 若い子たちも結構見に来ていて、ゲラゲラ笑っていたけど、何が面白かったのか聞いてみたかった。 この後飲みに行ったお店では、お年頃の若い男女がカウンターに女は女同士、男は男同士が向かい合う形で座っていて、何やら互いにスマホで愛欲にまみれた(?)メッセージを送り合い、男がショットをごちそうしたりしている。ほう、今はそうなのか。

ア・マ・ゾ・ン

先日トロントの地下鉄に乗っていて、無料WIFIにアクセスしようとしたら、バッファリング中に「アマゾンウェブサービスにアクセス中」みたいなメッセージが表示された。 まあ! TTCもアマゾンを使っている! と改めて驚いた。ネットフリックスもストリーミング配信にはアマゾンのクラウドを使っているし、アンチアマゾンの人には辛い世の中だわ、と思った。 どうやら(はっきりはしていないけど)アマゾンのHQ2はトロントには来ないようで、ほっとした。いくらアマゾンヘビーユーザーの私でも、あんな会社が来たら、町の不動産や物価が跳ね上がり、暮らしにくくなってしまう。 私はシリコンバレーのハイテク企業(といっても偏りはあるが)の噂話が大好きで、いつもそんなブログやニュースを見ている。今一番好き(?)なのは、AMDのCEOのリサ・スー。実物を見たことはないけど、普通のおばちゃん感が満載で、土井たか子を彷彿とさせる。今日は、アマゾンのクラウドにチップを売ることが決まったので、ニュース露出度が高く、とても嬉しい。 https://www.cnbc.com/2018/11/06/amd-rises-after-announcing-new-business-from-amazons-cloud-unit.html

A Star Is Born

ちょっと前に見に行った。今もっとも気に入っている VIP 席のある映画館へ行った。全席が飛行機のビジネスクラスみたいなラウンジチェア。 ガガのファンではないのであっちはどうでもいいんだけど(リリー・ジェイムズにしてほしかった)、ブラッドリー・クーパーが好きなので見に行った。まさに実生活の彼そのものみたいなストーリー。 私にはまったく響かないストーリーだったけど、ガガが本物の歌手なので、クーパーも本当に歌っている。むしろそこがミソだった。 映画のプロモーションでフランスのテレビにクーパーが出演している映像を見たら、なんとフランス語がペラペラだった。アメリカ訛りも少しはあるんだろうし、わからない単語が出てきても、それをホストに聞きながら、実に上手くしゃべっていた。私がフランス人だったら、惚れ直していただろう。いかにもアメリカ人っぽいハリウッド俳優が来日して、日本のテレビに出て日本語でべらべらしゃべる姿を想像してもらいたい。 映画自体より、映画の中の他のことに注目しているのは私だけではないようで、「A Star Is Born」の役中のクーパーの髪型にする方法が GQ に出ていた。わたしにひげさえあれば、できそうな髪型だ。 https://www.gq.com/story/bradley-cooper-a-star-is-born-hair

Persepolis

仕事のほうのサイトに書いたけど、こっちにも貼っておこう。 https://kyokonitta.com/2018/10/30/persepolis/ ブッククラブは女ばっかりの集まりなんだけど、なんか男を入れていない理由が最近わかってきた気がする。基本女同士のおしゃべりのようなノリで、自分語りは基本なしで、大事なことを話し合いたいのだと思うし、他のメンバーは20代から30代だから、男の人が入ってくるとちょっと出会い系っぽくなる可能性もあるし、男の人が入ってくると、お題に選ぶ本に女子が好む本を選べなくなるからだと思う。

コンビニ人間

トロントに村田沙耶香が来ていて、「何がまともか」についてのトークを聞きに行った。主に『コンビニ人間』について語っていたけど、本人が海外の読者は「コンビニ」という空間にものすごく興味を示し、日本国内の反応とは違うと言っていた。 イベント会場から出てくるときに、初老のカナダ人が「日本の小説は尖ってない」と言っているのが聞こえた。その根拠を知りたかったけどそれ以上は聞こえなかった。根拠はないのかもしれない。 ちょうど、ブッククラブの来年の読書リストを作る時期で、各メンバーから推薦書を募っているし、「ページ数は少なめ希望」なので、これだ!!!と思って、英語版を探したら、トロント公立図書館には30冊あるのに「待ち」が165件。イベントのパワー恐るべし。まあ、だから新しめの話題本はブッククラブには難しいのかも。買うとなると一冊25ドルぐらいするし。 先月のお題は『ペルセポリス』だったけど、こちらは図書館に20冊あって全部貸し出し中だった。ブッククラブは大体20人ぐらい参加するので、「あいつらめ!」と思っていたら、サンフランシスコの古本屋で安く買えたからよかった。 『コンビニ人間』は日本語版を借りて読んだけど、短いからあっと言う間に読めてしまった。読みながら白黒映画のメンバーを思い出してしまった。ま、そういう私も主人公みたいに同調圧力をかけられて「変わり者」呼ばわりされることが若い頃は多かった。「変わり者」というよりは「個人プレー型」なのだと思うが。

3年ぶりのサンフランシスコ

短い期間だったけど3年ぶりにサンフランシスコに行ってきた。向こうの友達とは互いのSNSやブログを読み合っているので、久しぶりの気がしないし、すぐに本題に入って話せるのがいい。 この時期の北カリフォルニアの空は真っ青で、きらきら太陽の日差しを感じながら「私はなぜトロントにいるのだろう」と思ってしまう。そんな極楽のような気候の中で暮せば自殺は考えないのでは? と思う人もいるかもしれないが、美しすぎる自然を目の前にすると、自分の人生がちっぽけに思え、それはそれで人生を精算したくなる衝動に駆られる。 スクエアはスクエアと名乗りすらしない サンフランシスコのど真ん中だと、シェアライドもアプリを開くと車のアイコンが団子状態で表示され、グニュグニュしていた。ロボットバリスタのいるところでコーヒーを飲もうと思ったが、バカバカしくなりやめた。おしゃれ感満載な人間が抹茶ドリンクを作っている店も、ロボットバリスタとおなじぐらい不思議な光景で、長居をしているうちに紙ストローの先っちょがドロドロになった。 突然出回り始めた紙ストロー。海を汚染しているプラスチックを気にするなら、ストローなどまさに大海に水一滴。むしろドリンクを注ぐプラスチックのカップとかペットボトルだと思うけれど、「これならあきらめてもいい」順でいくとストローなんだろうと、フラプチーノを飲みながら思った。そして、インスタ映えを考えると、透明のプラスチックのカップが消えることはないな、と思った。 サンフランシスコ市内はホームレスが増えていて、シビックセンターの駅周辺がヤバイ!と聞いていた。「とにかく人々の行く方向についていけば問題ない」とアドバイスされたが、通勤ラッシュ外の時間帯だったので、ホームに降り立つ人の数も少なく、みんなそれぞれあらゆる方向に散っていく。慌てて、お勤め人ふうの人の後にぴったりくっついて改札を抜けて地上に上がると、私が前回来たときよりもきれいになっていた。どうも市の努力の賜物らしい。 ミッション地区の路面 10月17日未明、トロントの空港で入国審査の画面をピッピと押していると、17日からカナダで合法化された大麻についてどーのこーの尋ねてくる画面が出てきた。 まあ早い! カナダはアメリカの大麻が合法化されていない州からの観光客を思い切り当てにしている。

Maudie

カナダのノヴァスコーシャに住んでいたアウトサイダー・アーティスト、モード・ルイスのお話。 「アウトサイダー・アーティスト」を知らなかったが、友達に話を聞いてから、シカゴでもヘンリー・ダーガーの部屋に行ったし、プリンスエドワードカウンティでも、偶然立ち寄ったギャラリーにモード・ルイスの絵が結構置いてあった。 実に素朴、ヘタウマな感じで、おばあちゃんが描きそうな絵に見える。小さな小屋に住んでいたときに描いた、はがきサイズの小さな絵が多かった。 それで、イーサン・ホーク(モードの夫)とサリー・ホーキンス(モード)が演じている映画を今ごろ見た。日本でも『しあわせの絵の具』とかいうラブリーなタイトルで上映されたのだね。サリー・ホーキンスは障害者の役が上手。 最近、ホーキング博士の最初の奥さんが2人の結婚生活を映画化したものが「原作から離れすぎ」と反論しているニュースを読んだ。でも、実物よりかっこいい俳優が配役された時点で、話の受け止め方が全然違ってくる。それでも「違うって言わなかったら、違うって思っている事実がないように思われるから」とりあえず文句を言うのだと思う。 モード・ルイスのこの映画もそんなかんじ。彼女の夫は、「ハイジのおんじ」にも匹敵する偏屈でムラハチにされているのだけど、イーサン・ホークがやるとそのイメージはかなり緩和される。 モード・ルイスがブレークするきっかけになったCBCのドキュメンタリーはこちら 話はずれるけど、モード・ルイスの絵が置いてあるギャラリーのあるプリンスエドワードカウンティは、プリンスエドワード島とは別の場所。 カナダ人の友人に、「We’re gonna go to Princess Edward county!」と間違えて言っていたら、「プリンスエドワードやろうが。エドワードなんていう名前のプリンセスはおらんだろうが」と突っ込まれた。そのとき、プリンスエドワードカウンティは「ザ・カウンティ」と省略すればよいと教えてもらった。

The Cakemaker

イライラを解消してくれるような静かな映画を見た。しかも予想外によかった。話の展開に驚きはなく、大体の察しがつくけれど、パンのたねをこねこねしている姿がほどよく官能的で、主人公のケーキ職人も、筋肉はついているのにその筋肉の上にぽちゃっとした贅肉がのっているところがすばらしかった。 おかしいな、と思っても流しているほうが幸せな気がするが、真実は追求したくなるものである。追求すると傷ついてしまうのに。どっちが幸せなのかは誰にもわからない。なんとなく全体的な話が見える分、銀幕が「こうだよな!」と押し付けてこないで、私ならこうしたのに、こうはしなかったのに、と自然に思わせるところが優れていた。たとえが悪いかもしれないけど、「家族っていいもんでしょ」みたいなことをこっちがどう思うかはさておきグイグイと押し付けてくるような映画は結構ある。だけど、この映画にはそういうのはあんまり感じられなかった。逆にグイグイ言われないと「ああ、そういうことか」とわからない人には、「なんじゃこれ、何が言いたいの?」と文句を言われかねない映画。 しかし、この予告編はかなりのネタバレの予告編だわん。 今私はものすごーくイライラしている。

Sunrise

久々に白黒映画の仲間と映画鑑賞。Sunriseには、サウンドトラック版とサイレント版があり、元々無声映画として作られたのに、諸々の事情でサイレント版は消失したと長らく考えられていた。ところがチェコでそのフィルムが発見され、チェコ語の字幕を英語に訳して、やっとサイレント版がこのたびトロントで、生バンドと共に上映された…… と上映前に説明があった。それまでは何も知らなかったくせに、急にありがたいものを見ている気がした。 荒唐無稽な話だけど、ブタのシーンが特にすばらしく、大笑いもできるし、1927年製作なのに特撮が豪華な無声映画だった。 映画鑑賞後、仲間とお茶。今回は私が最年少というメンツで、年配者たちが「最近見てよかった映画」について、あらすじなどを話してくれる。しかし肝心のタイトルと主役の俳優の名前など、後で検索するのに必要な情報は「思い出せないわぁ」で終わってしまう。いつもならもっと若いメンバーで、「それってXXXのこと?」と察してくれるShazamのような人がいるのだが、この日はいなかった。 「先週もここで映画を見てたの。ナンテ映画だったかな。思い出せないわ」 そんな彼女のスケジュール帳には映画のタイトルがびっしり書いてあるのを私は知っている。 「手帳見ればわかるんじゃない?」 「グッドアイデア!」 と彼女は手帳を見ているが、一向に思い出せない。私も体を乗りだし、一緒に手帳を見るが、おばあさんの手書きはよくわからない。嫌な予感がし、 「それって、本当に1週間前?」 と訊いてみたら、それも怪しいと言う。またひとつ、会話が迷宮入り。

大きな声では言えないがジャン・ゴメシ

わりと最近、#MeTooのハッシュタグが生まれるずっと前に、女性への性暴力で失墜したカナダ国営放送のラジオのパーソナリティだったジャン・ゴメシが、4年(?)の沈黙を破って、ニューヨークのとある有名雑誌に、騒ぎの渦中と最近の自分を伝える記事を寄稿していた。 当然、その記事が出た日から何日間かは炎上していて、いろんなことを言われていた。「#MeToo運動で失墜した男のはしりと友達に言われた」と書いても「自分のことを#MeToo運動で一番先に失墜した男だと(自慢げに)思っている」とか、「有名人だったから、大きな器で発言の機会を与えられた」とか批判されていた。でも、大きな器が小さな人に発言を与えるのは読者コーナーぐらいしかないからしょうがない。だから、小さな人々は自分でウェブサイトを作りそこで発言する。そもそも#MeToo運動だって、ネットから生まれた運動だし。 私は、彼のラジオ番組をほぼ毎日聴いていたので(ファンではない。むしろ、エラっそうで嫌いだったが、有名人がゲストに来るので聴いていた)、興味を持って、その炎上記事を読んだ。 で、被害者には申し訳ないけど、彼は結局裁判で無罪になっているし(無罪は納得できないという人もたくさんいる)、仕事も貯金も名誉も失い、どうやらニューヨークに潜伏しているらしく、どんなに自分の名前を人に知られるのが怖いか、がその記事にも書いてあって、私は気の毒になった。と同時に、仮に有罪で刑務所に入って、こういう記事を書いたとしても炎上しただろうと思った。 この記事もまたバッシングを受け、その出版社が編集プロセスに問題があったと謝罪するはめになった。問題はあったらしいが。で、今はこの記事の前段に長々しい「お断り」が追加されている。 https://www.nybooks.com/articles/2018/10/11/reflections-hashtag/ ジャン・ゴメシはイラン系カナダ人なので、姿も名前も目立つ。裁判中はイラン系だということでヘイトメールもいっぱい来たらしい。 ニューヨークのどこにいるのかは知らないけど、近所のパブでカラオケするときに「ジャン」と自分の名前を入れたら、「ジャンって有名人で嫌なやつがいたよね」と話しかけられてドキっとしたとか、 ロンドンからパリに向かう電車の中で女の子と音楽のことで意気投合して、自分は昔バンドをやってたとか、ラジオ番組もやってて、有名なミュージシャンにいっぱい会ってインタビューしたことがあるとか、言いそうになったけど言えなくて、結局自分の名前すら名乗れなかった、とか書いてある。 裁判で無罪になっても、こういう運命なんだな、と同情を禁じ得なかった。と同時に、能力のある人なのに社会には表立っては復帰できず、ひょっとしたら福祉の世話になるのかもしれないと思うと、早く自分の足で立ってほしいと思ってしまった。 今、アメリカの最高裁判事の任命で、#MeToo的な過去がほじくり返され揉めている。政治的なことを抜きにして、「嗚呼、もうこういうのは勘弁してほしい」とうんざりしている被害に遭ったことがない人と、実際に性暴力の被害者たちが「そんな人が権力の座に着くのは絶対にいや」というのと2タイプあるな、と思った。 私はそういう被害に遭ったことがないから「うんざり」食傷気味になっている。でも、道を歩いていて、見知らぬ変人に壁ドンされたことはあるから、今でも向こうから変な人が歩いてくると、身構え、迂回することもある。 ま、だから、ジェフ・フレイク議員の発言は正しい、と思う。 ってジャン・ゴメシの話をしていたんだけどね。