転倒事件その4

2件目の救急病院でも一夜を過ごし、昼頃、看護師が「受け入れ体制が整ったら、リハビリ病院に搬送するからね」と告げに来た。中国系の若くてやさしい子だ。 私のベッドの斜め向かいには、老老介護の典型で、非常に太った女性がベッドに横たわり、その旦那らしき男性に付き添われている。が、二人とも看護師の指示をあまり理解できていない(高齢のせいだけではなさそう)。そして、その患者の体重、高齢、怪我の重症度を考え、簡易ベッドの横におまるが運び込まれている。 午後3時、いよいよ私はリハビリ病院に行くことになったのだが、一般のタクシーにひとり乗って行くらしい。「向こうに行けば、医療スタッフが玄関で待っているから大丈夫よ!」と看護師に励まされる。その彼女が私を車椅子に乗せ換えたりして、私のことで手一杯になっている最中に、例の斜め向かいの女性が自力でベッドからおまるに這いずって移動したため、大変なことになっていた。看護師に「使うときは、必ずナースを呼んでね」と言われていたのに、である。「だって、ナースに迷惑かけたくなかったし、人に見られるのは苦痛なのよ」と叫ぶ声が聞こえた。その気持ちはわかる。私も、自力でトイレに行く自信がなく、ベッドの上に用意してもらったのだ。車椅子に乗せ換えられ、看護師が戻ってくるのを待つしかない私は、一瞬ではあったが、この斜め向かいのベッド上の阿鼻叫喚の空間を見てしまった。看護師さんは日々あのようなものを処理しているのかと衝撃を受けるとともに、頭が下がる思いがした。 タクシーがやってきた。1台目はバンだったので車高が高すぎて私は乗れない。2台目は運転手が英語がほぼほぼできない運転手で不安が募る。「プリーズ、ドライブ・スローリー」とゆっくり言ってみたら通じたらしく、優しい運転だった。 が! リハビリ病院に着いたのに、お迎えがいない! 運転手も私も困り始めた。二人ともどこへ電話をかければよいのやらわからない。運転手に「病院のロビーに入っていって、事情を説明してきて」と言っては見たものの、そのような高度な英会話を彼には期待できない。が、しつこく頼んでいると、ようやく重い腰を挙げてくれた。そこで、やっとやっと、お迎えの人が車椅子を押しながら出てきた!! 救急病院を2晩体験した後のリハビリ病院はもうまるでVIP施設!! ちゃんとした部屋、しかも窓際のベッドをあてがわれた。誰も殺気立ってはいない。理学療法士も作業療法士もいる。誰かに「今日何か食べたの?」と訊かれ、ようやく気付いたが、この2日間何も食べていなかった。その事実を告げると、クッキー、サンドイッチ、ジュースなど、いろんなものを出してきてくれた。どれもこれもまずいが食べなければと思って少し食べた。 「私って、食事制限があるわけじゃないし、ウーバーイーツで食べたいものを注文して運んでもらってもいいのかな?」と冗談で言ってみたら、「いいよ」って。この時点でFBに何となく怪我して入院してるっぽいことがわかる投稿をしたので、いろんな人に食事を運び込んでもらったおかげで、ウーバーイーツに注文せずに済んだが。これって入院2.0だなぁ。 しかし、連休の週末とあって、理学療法士も作業療法士も家に帰る気満々の状態。ギリギリ入院してきた私のために、歩行器の使い方、ベッドの乗り降りのコツ、寝返りが打てない私になんちゃって寝返りをする方法などを短い時間に伝授してくれた。さっすがプロ!  入院中は、頭と手が動くので翻訳の仕事も再開したし、読書もしたし、いろんな人とおしゃべりもし、快適だった。でも、もうそのリハビリ病院もゴネて退院してきて、今は家にいる。でもその病院での経験も書き残しておきたい。 というわけで、まだまだ続く......

転倒事件その3

リハビリ病院に来るまで、救急病院を2件たらい回しにあった。私などよりずっと重篤の患者に比べれば大したことではないけど、普段病気とは無縁の私にはショックだったので記録したい。 救急病院2件目 最初に担ぎ込まれた病院では心休まらず、自分は一体この先どうなるのか最悪の事態なども考えつつ鎮痛剤でウトウトしていた。ふと目を開けると、すごくかっこいい救急隊員のお兄さんが私の顔を覗き込み、「これから別の病院に搬送するよ」と言う。そういえば、医者に「XX病院の骨の専門医に診てもらうからね」と言われていたのだった。ところが、その病院に空きベッドが出るまで8時間かかり、私は夢の中にいたのだった。 一口にかっこいいと言っても主観的なので例をあげると、若い頃の毛がふさふさしていた頃のウィリアム王子ぐらい。救急隊員は2人1組なので、もう一人は、看護師と書類のやり取りなど事務的なこともやるし、救急車の運転をしていた(と思う)。したがって、ウィリアム王子似の人は私と一緒に救急車後部に乗り込んだ。「大丈夫?」と声を掛けられ、私は「うん、大丈夫」と答えた。カナダで救急車に初めて乗った私は、ウィリアム王子から救急車内部の説明をしてもらった。手を取り合い、愛を語れなかったのが残念でならない。 が、2件目の救急病院でも、簡易救急ベッドに寝かされた。通路ではないが、ロビーの一部を区切ってベッドを置いている感じ。その前には救急隊員が大勢たむろっていた。聞けば、病人を搬送している間、病人の命を預かるのは救急隊なので、病院側が患者受入のサインをするまでは待機しなければならないそうだ。ま、当たり前だが、そっかー!である。最近、医療現場で働く人達のこういう隙間時間を批判する政治家がいるが、そういう政治家には絶対投票しない、と誓った(批判する対象が間違っているから)。 看護師や救急隊員に、「今日はメープルリーフスのプレイオフゲームがなくて、君は本当にラッキーだよ」と言われた。ホームゲームがあると、酔っぱらって怪我をする人が激増するので、救急病院は大変なのだそうだ。それでも、この日、この病院はほぼパンク状態のように見えた。私が運び込まれたときもかなり殺気立っていた。これが彼らの日常なのだろうか。 若い患者もいるが、やはり老人の骨折患者が多い。看護師から気をつけるべきことを言われても覚えられないし、言われたとおりできない。そのうち、彼らの分を私が覚えてしまったぐらいだ。私はつくづく自分が情報処理型の人間でよかったと思った。直情型の人は怒りをぶちまけ大変そうである。 この病院で私にとっての大問題はスマホの電源確保だった。連れにお願いしてある程度充電してもらったが、スマホがないと、ユーチューブ見たり音楽聞いたり、気晴らしができない。搬送されるときも、ベッド乗せ換えのときも、激痛が走り、あまりの激痛に吐き気さえする。トイレに行くのも怖く、できるだけ水をちびちび飲みながら耐えていた。しかし、向かいにいる重篤そうな患者が、薬と相性が合わず悶え苦しんでいるので、私などまだまだましだ。 一晩明け、やっと医者が来た。手術はしなくていいけど、リハビリして歩くしか治療方法がないから、と言われた。他に話すこともなく、カルロス・ゴーン再逮捕の話になり「君は日本人だよね? ゴーンはどうなるんだろうね?」と訊かれた。「日本では起訴されたら99%有罪になるから、彼も必死ですよ」と答えた。はっきり言って、ゴーンのことなんてどうでもいい。 まだまだ続く……

転倒事件その2

今私はリハビリ病院にいるが、ここに搬送されるまで、救急病院を2件回り、それぞれ1泊した。ちなみに、私は病院に文句を言うつもりで書いてるわけじゃない。 最初に運び込まれた救急病院1 夜11時ぐらいに運び込まれたが、通路の急患用ベッドが空いており、そこに一晩寝かされた。ベッドがあっただけラッキーなのかもしれない。何やら、私の症状などより深刻な患者さんが運び込まれたらしく、待たされる。レントゲンはともかく、CTスキャンは明け方5時か6時にやってもらったので、憔悴した連れに一度帰宅して休んでもらうことに。看護師がやってきて、「いろんな人がうろうろ歩いているから、自分の荷物は自分でガードしてね」と言われ、カバンなどもろもろの荷物を抱きかかえて寝る。ほかの患者の雄叫びが聞こえるけど、鎮痛剤のおかげでウトウトはできた。 午前8時頃、「10段階で言うとあなたの痛みは何段階?」と聞かれ、返答に困る。「寝ているだけなら5かな。動かすと10」と答えた。この時点で、医者から腰骨にひびが1か所入っていると告げられていた。ひとつ前のベッドで寝ている頭にスカーフを巻いたおばあさんが時々、こっちをじっと見つめ何語かわからない言葉でつぶやいている。絶対呪いをかけられたと思う。 しばらくし、「もうあなたは帰宅できます。歩いて帰れるわよ。誰かに迎えに来てもらって」と告げられる。「痛すぎてベッドから降りられないから無理」と訴えると、「でも大丈夫よ、補助してあげるから」と言われ、真っ青になる。「最低でも松葉杖がないと歩けない」とごねると、「松葉杖は有料だけど、いい?」と言って、松葉杖、処方箋などを持ってきた。「ほかの患者さんにベッドを譲らないといけないの?」と尋ねると、看護師はうなずいた。 ものすごくざっくりと松葉杖の使い方の説明を受け、ベッドから降りようとした瞬間激痛が走り、フラフラになる。10歩ぐらい歩いたところで、断末魔の叫びと共に倒れかけたところ、2人の看護師に抱えられた。どこからともなく医者が走ってきて、「あー!その人はまだ退院は無理だよ!ヒビが3か所に入ってるから!」 車椅子に乗せられ、ベッドに舞い戻った。でも私は人間不信に陥ったワンコになっていた。「私がいいって言うまで、ベッドに乗せないで!しばらく放っておいて!」と渾身の力を込めて言った(つもり)。 まだまだ続く…

転倒事件その1

つい最近、転んだ。そしてちょっと大事になった。 ある食事会に行き、その反省会(飲みなおし)のため、パブに行った。ビールを一杯飲んだところで、そろそろ帰ろう、でもまずトイレに寄ってから、と思い立ち上がった。その店のトイレは2階にあり、客は2階には入れていないのでほぼ真っ暗なのだが、2階フロアに入るときにちょっと段差がある。「足元に注意」という注意書きもある。でもよく知っている店だったので過信した。 その日私はハイヒールを履いていた。 が、すべてが悪い方向に向かって、私は段差を踏み外して転倒。突然だったので手で防御する暇もなかった。22年前、コンクリートの道を歩いていて梱包用テープに足が絡まって倒れこんだことがあるが、あのときは打ち身だけで済んだ。あの頃は体も相当丈夫だったのだと思う。 誰もいない薄暗い2階の床に転がったまま、「ヘルプミー!ヘルプミー!」と叫んでいたが、誰も来ない。誰かが来ても、黒い服を着て暗い床に倒れているので人に踏まれる可能性が高い。ずるずると這いずって階段まで行くと、やっと連れや店の人が気づいてくれた。 店の人は慌てふためき、「大丈夫か!?」と声を掛け、それはそれは親切にタクシーを呼んでくれたり、タクシーに私を乗せたりするのを手伝ってくれたが、それも私が去るまでのこと...... もし、今後私が足を引きずりながら店に来たら、警戒するに違いない。 そして私は救急病院に運び込まれ、受け入れてもらった。 しかしレントゲンとCTを撮るまでに数時間が経過。そもそも私はトイレに行こうとして転倒したので、膀胱が限界に達していた。連れに介助されながらのトイレはまだまだ先だと思っていたら、その日は意外に早くやってきた。「見ないで見ないで!」の大騒ぎで終了。気持ちはすっかり、映画『バベル』のケイト・ブランシェットであった。

Apollo 11 & First Man

これすごい! アポロ号の発射前の緊張から月から帰ってきた安堵の瞬間まで、本当に1969年に見ていたかのような錯覚に陥る。ドキュメンタリーだからホンモノの映像を組み合わせて作ってある。結末は知っているから安心して見ていられるけど、いろんなドッキングやアンドッキングのシーンにドキドキ。サウンドにものすごく煽られる!! サウンドすごい! 映画は全体的にチャレンジャーで失敗する前のアメリカって感じがするな!! ものすごい偉業を達成しようとしているのに、2019年目線でスペースセンターに並んでいるコンピューターの古さや、鉛筆やボールペンでメモを取ったり、ハサミで紙を切り貼りしているローテクな姿に驚いてしまう。そしてスペースセンターは男ばっかり。 つい最近『First Man』見たけど、このドキュメンタリーを見てしまうと、かすむなぁ。あれはあれでよかったけど。ライアン・ゴズリングのニール・アームストロングは若干暗めだったけど、よかったよ。こっちの映画は、月面着陸直前にソフトウェアで警告エラーが出たシーンがすごく引き伸ばされていた。 先週、ブラックホールを世界で初めて撮影!のニュースが報じられて、「どれどれ?」と見たけど、黒い闇を撮影しただけに見ても感動がなかった。でも実は、あのニュースに刺激されて『Apollo 11』を見に行った。

洋服のお直し

物を集めるのが好きなのでミニマリストにはなれないけど、断捨離はする。洋服を断捨離している最中に、手芸魂が頭をもたげた。一応、手持ちの洋服からパターンを起こすことはできるのだ。 1)肩パッド入りの古いトレンチコートの肩を直せば着れるかも?と思い、コートの縫い目を解き、バラバラに。でも、肩のラインをどう直すかまで考えていなかった。バラバラにしたコートを結局捨てた。 2)フード付きのコートのフードが嫌になり、襟を解体。ビロード風のスタンドカラーに変身。スタンドカラーといえども、襟首はカーブしている。カーブしているものにはそれなりの布がいる。紫のビロードが足りないかも?! でもギリギリ足りた! フードがなくなったから、スカーフやマフラーを遠慮なくぐるぐる巻ける。 ジュディ(洋裁に使うボディの女性版をジュディと呼ぶ)にコートを着せている間、ふとマット桑田を思い出してしまった。すごく頑張ってお化粧してるけど、仕上がりがいつも昭和のマネキン。

TESLA

久々にウーバーの相乗りサービスを使った。相乗りだと途中でいろんな人が乗り降りするので目的地になかなか辿り着かないので、時間に余裕があるときしか使わない。でもこの日は時間に余裕があったので乗った。 たまたま助手席に乗ったところ、運転手がウルグアイ出身のおしゃべり好きな人だったので、40分の間にいろんなことを話した。サッカー、極真空手、ウルグアイの牛について話した後、交流電気方式を発明した二コラ・テスラにまで話題が及んだ。おじさんは結構博識だったのだ。 電気自動車会社の「テスラ」は、この二コラ・テスラにちなんでつけられているのは知っていた。それが、このウーバーのおじさんのおかげで、二コラ・テスラとトーマス・エジソンの確執とか、彼の変人ぶりとか、いろんな人に借金して赤貧の中死んでいったことはもちろん、直流と交流の違いまで教えてもらった。しかも、後部座席に座っていたお姉さんまでもが「その人、知ってる」と言い出し、みんなで遠出しているかのような錯覚。ところが、おじさんは最後の最後で、こう言った。 「ネットフリックスでドキュメンタリーを見たんだよ」 情報源はネットフリックスだったことが発覚。私も見よう。 おじさんに教わったのはそれだけではない。私はやったことはないけど、ウーバーに乗ってくるお客さんの中に、「ちょっとコーヒーが買いたいから止まって」と言う人が結構いて、ウーバーは途中停車してくれるのだ(運転手によるのだと思うが)。一応運転手の商売の邪魔をしているわけなので、暗黙のルールで、だいたいのお客さんは運転手の分のコーヒーもおごってあげるとか、1ドルチップを渡すなどするのだそうだ。でも、そうしない人もいて、なかなか戻ってこない人なんかもいて、トラブルの元になるらしい。 そもそもおじさんと話しを始めたきっかけは、私が「ウーバーとリフトとどっちが運転手の実入りがいいの?」と聞いたからだった。おじさんは得意げに「僕はどっちもやってるよ!」とリフトのステッカーをひらひらと見せてきた。どちらが運転手の手取りが多いのか、おじさんは「気にして比べたこともないから、同じぐらいじゃないの?」ということだった。 ほんの数年前は、ウーバーとタクシー会社が戦い、市民の中にも「やだー!怖い」と怖がっている人がいたのが嘘のよう。この間、ウーバーを締め出した街に行ったが、ウーバーではない、もっと小さなライドシェアサービスが普通に存在していた。良くも悪くも、先陣を切っていくというのは大変なことだな。

命名

新しい元号が発表され、「令和」の意味や由来が話題になっていたので、それを楽しく読み、職業柄、それがどう訳されるのかや令和のローマ字表記も気になった。 で、「命名」についていろいろと思い出した。私の名前も珍しい漢字ではないけれど、一般的でもないので、「どうしてそんな漢字を当てているの?」と訊かれることが多く、名前の由来を説明するハメになる。ちなみに「天から才能を授かる」という意味が込められている。名前負けしそうだが、才能のレベルは問われてはいない。 すごいのは妹の名前の由来だ。生まれた時、祖父の先妻にそっくりだということで、祖父がその先妻の名前を付けたがった。が、若くして亡くなった人なので、両親が反対。しかも、その人は子供の頃にトイレ(肥溜め?)に落ち、当時はそんな不幸が起きると改名しなければならなかったらしく、「涼しい子」と書いて「しずこ」だったのを「静子」という名前に変えた。「涼しい子」は「りょうこ」とも読めるので、私の妹の名前は「りょうこ」に決まった。 この名前の由来は、長らく妹には知らされていなかったが、大人になってから解禁となり、「トイレに落ちた人の名前をもらった」事実にムッとしていた。人から「名前の由来は?」などと訊かれたら、説明に相当時間がかかる。 母の名前には「周」という字が入っているので、「吉」を「囲む」という意味が込められているらしい。 漢字の本来の意味や形状に親の思いを込めているとか、漢字の音読みと訓読みを使い分けてみるとか、そーゆー命名のしかたが日本的で面白いなと思ってしまう。

The Bad Sleep Well

邦題『悪い奴ほどよく眠る』 白黒映画仲間には、黒澤明ファンがやはり何人かいて、これもDVDで何度も見ていると言っていた。 普通の映画だと、このあらすじの前半だけで完結してしまいそうだが、黒澤明がそんなことで終わらせるはずがなく、いやはや複雑だった。こめかみが痛い。 人を憎むって難しいね。憎しみを常に増幅させとかないといけないし。でも人に憎まれる場合は、「そこでそんなことする?」と人を裏切るラインがいつも同じ。映画の後のおしゃべりに参加できなかったのが残念。 この映画とは「眠り」で関係しているだけだけど...... 私のウォッチリストになぜか「Fight Club」が長いこと入っていたので見た。なぜこれを見ようと思ったのかが思い出せない。映画の内容は、わかるなぁ。 なんかこう、『悪い奴ほどよく眠る』は1960年代って感じがするし、これは1990年代って感じがすごくする。登場人物の洋服や髪型のせいなのか...? 映画とは関係ないけど、グループの仲間の一人は車椅子なので、劇場によって車椅子用の座席の位置の配慮が違うと言っていた。最前列や最後列が多いけど、最近は、中段に設けて、「みんなと一緒に見ている感じがすごくする座席」にしている劇場もあって、そういうところへは嬉しくてリピートしてしまうのだそう。

Never Look Away 2回目

怒涛の日々に突入する前に、もう一度「Never Look Away」を3時間かけて見ておこうと思い立った。前回は金曜日の夜で満席だったうえ、口臭のとてもきつい男性が私の隣にいて、集中力を欠いてしまった。ま、それもあって、2回目を見に行った。今回、平日の昼間に行ったら、シニアでいっぱいだった! 2回見てもすごくよかった。