大きな声では言えないがジャン・ゴメシ

わりと最近、#MeTooのハッシュタグが生まれるずっと前に、女性への性暴力で失墜したカナダ国営放送のラジオのパーソナリティだったジャン・ゴメシが、4年(?)の沈黙を破って、ニューヨークのとある有名雑誌に、騒ぎの渦中と最近の自分を伝える記事を寄稿していた。

当然、その記事が出た日から何日間かは炎上していて、いろんなことを言われていた。「#MeToo運動で失墜した男のはしりと友達に言われた」と書いても「自分のことを#MeToo運動で一番先に失墜した男だと(自慢げに)思っている」とか、「有名人だったから、大きな器で発言の機会を与えられた」とか批判されていた。でも、大きな器が小さな人に発言を与えるのは読者コーナーぐらいしかないからしょうがない。だから、小さな人々は自分でウェブサイトを作りそこで発言する。そもそも#MeToo運動だって、ネットから生まれた運動だし。

私は、彼のラジオ番組をほぼ毎日聴いていたので(ファンではない。むしろ、エラっそうで嫌いだったが、有名人がゲストに来るので聴いていた)、興味を持って、その炎上記事を読んだ。

で、被害者には申し訳ないけど、彼は結局裁判で無罪になっているし(無罪は納得できないという人もたくさんいる)、仕事も貯金も名誉も失い、どうやらニューヨークに潜伏しているらしく、どんなに自分の名前を人に知られるのが怖いか、がその記事にも書いてあって、私は気の毒になった。と同時に、仮に有罪で刑務所に入って、こういう記事を書いたとしても炎上しただろうと思った。

この記事もまたバッシングを受け、その出版社が編集プロセスに問題があったと謝罪するはめになった。問題はあったらしいが。で、今はこの記事の前段に長々しい「お断り」が追加されている。
https://www.nybooks.com/articles/2018/10/11/reflections-hashtag/

ジャン・ゴメシはイラン系カナダ人なので、姿も名前も目立つ。裁判中はイラン系だということでヘイトメールもいっぱい来たらしい。

ニューヨークのどこにいるのかは知らないけど、近所のパブでカラオケするときに「ジャン」と自分の名前を入れたら、「ジャンって有名人で嫌なやつがいたよね」と話しかけられてドキっとしたとか、

ロンドンからパリに向かう電車の中で女の子と音楽のことで意気投合して、自分は昔バンドをやってたとか、ラジオ番組もやってて、有名なミュージシャンにいっぱい会ってインタビューしたことがあるとか、言いそうになったけど言えなくて、結局自分の名前すら名乗れなかった、とか書いてある。

裁判で無罪になっても、こういう運命なんだな、と同情を禁じ得なかった。と同時に、能力のある人なのに社会には表立っては復帰できず、ひょっとしたら福祉の世話になるのかもしれないと思うと、早く自分の足で立ってほしいと思ってしまった。

今、アメリカの最高裁判事の任命で、#MeToo的な過去がほじくり返され揉めている。政治的なことを抜きにして、「嗚呼、もうこういうのは勘弁してほしい」とうんざりしている被害に遭ったことがない人と、実際に性暴力の被害者たちが「そんな人が権力の座に着くのは絶対にいや」というのと2タイプあるな、と思った。

私はそういう被害に遭ったことがないから「うんざり」食傷気味になっている。でも、道を歩いていて、見知らぬ変人に壁ドンされたことはあるから、今でも向こうから変な人が歩いてくると、身構え、迂回することもある。

ま、だから、ジェフ・フレイク議員の発言は正しい、と思う。

ってジャン・ゴメシの話をしていたんだけどね。

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