やっと手にいれた卵型マトリョーシカ。さほど珍しいものではないようだけど、数が少ないので「これだ!」というのはなかなか見つからない。ところが、カナダ国内にあった!
この渦巻き模様は、もともとは布をくるくる巻いて、その断面に絵の具をつけて、ポンポン叩くように模様をつけたものらしい。このマトリョーシカの渦巻きは、そういう伝統の模様に似せて描いてあるだけ。それか、ハンコみたいなのがあるのかな。
最近思うけど、現代作家が作ってるものは別にして、伝統的なもので古いマトリョーシカは、1番外側は万人ウケしそうな顔をしていることが多いけど、中に入っている人形はくせのある表情をしていることが多い。「開いてみたら、あれ?」というのはマトリョーシカ特有のインタラクティブな要素なので、なるべく踏襲してほしい。有名な作家は全部が抜け目なくキレイだったりするし、マトリョーシカに愛もプライドもないのに作っている現代アーティストはマトリョーシカのストーリー性を無視してる。
…と批評家ぶってみた。
ここんところ、ミニマリストな生活が流行っているし、「貧乏人ほどものが捨てられずに物に埋もれて暮らしている」とすら主張する記事も最近読んだ。しかし私に限ってミニマリストな生活はあり得ない。近藤麻理恵が「手にとってときめきを感じなかったら捨てなさい」と言っているけど、私はいろんなものにときめいているからね。
淀川長治(さよなら、さよなら、さよなら、の人)も家の中がぐちゃぐちゃで、机の上にも本がいっぱいで、だから引き出しに板を置いて、そこで原稿を書いていたと言っている。やっぱり私は淀川派だと思う。

