角田光代と林真理子の実に対照的な女の話を読んだ。バブル vs ポスト・バブルという設定の違いはあるけど、どっちも欲望の赴くままに突き進んでいるところは似ている。貢ぐか貢がれるかというお金の流れは逆でも、彼女たちの欲望を満たすのに「お金」が非常に重要なところも似ているし、何が欲しいのか、判然としないのも似ている。
違いは人生の美学(哲学)が歯止めをかけているかいないか。梨花のほうが不幸感が強いのは、「こんなことしたらカッコ悪い!」と囁くもう1人の自分が心の中にいないところかな。アッコちゃんのほうには自分なりの美学があり(他人から見たら間違ってる!と言われても)、それが魅力になっていて友人がいる。
『紙の月』
テレビドラマにも映画にもなってるし、敢えて書くことはないけど。私は原田知世のドラマ版しか見てなくて、宮沢りえの映画は見てない。主人公の梨花には「太陽がいっぱい」のミスター・リプリー並みの陰がある。
最近、高野秀行のゴールデントライアングルの話を読んだばかりだったので、「ラオスじゃなくてワ州に行きなよ!」と、梨花の背中を押したくなった。
『アッコちゃんの時代』
バブル+六本木+並外れた美女+林真理子の筆なので、やっぱりな、と思う。アッコちゃんは実在の人物で、自分の美貌だけを資本にしている。欲望を満たすための努力も、ほぼ電話一本。雲の上の世界すぎて、笑ってしまう。ある程度の財力があると、今度は「どれだけインナーサークルに食い込んでいるか」というゲームがあり、2、3年前に読んだ「Crazy Rich Asians」を思い出した。林真理子には、日本の話を書くのをやめて、アジアの超富裕層の話を書いてほしいな。



