11月11日は第一次世界大戦の戦没者記念日だった… って本文には関係ないけど。
銃弾が飛び交う前線でも、「この人何を言おう(隠そう)としているのかしら」と必死に通訳しているところが、本の中に出てきて、泣けた!「命がけ」のヒロインっぽいとこじゃないよ。そんなところにいても、コミュニケーションの橋渡ししているところが!
自分の言いたいこと言う「勇気」とか、何も言えないと悩むとか、そういうのとは次元の違う苦しみ!!
そして、ぜんぜん関係ないけど、村上春樹のような超有名な翻訳者のギャラと、ワタシのような翻訳者のギャラが根本的に違う(彼がどれぐらいの翻訳ギャラをもらっているのかは知らない)のは、実力の差もさることながら、「村上春樹が翻訳」という事実にものすごく大きな商業的価値があるということに尽きるね。
たとえば、「わたしが翻訳しているから」という理由でその本を買う人は、家族友人含めて、10人ぐらいだろう。いや、家族ですら「貸して」というかもしれない。一番身近にいる家族はそもそも日本語が読めないし。
そういう意味で、下訳さえあれば、名の売れた作家の翻訳監修というのは、商業的に大アリで、やはり、ゴーストライター的存在に甘んじる運命なのかも。別に有名になりたいというのではなくて、次に仕事が来るのはいつかしら、と思わなくてもいいから、うらやましいとか、そういう話。

