スバラシイコケシ

今日はステキなコケシを見つけてしまった。大きさのわりには高額だったので悩んだものの、結局「コレクターなんだからそれぐらい買え」という友人の鶴の一声に、「そうだよな、コレクターが買わずして誰が買う?」みたいな責任感に駆られて買った。マトリョーシカとこけしの展示販売会で。マトリョーシカのルーツは日本の郷土玩具といわれているから、マトリョーシカ収集家はコケシにも手を染めることが多いようである。




このチビコケシのクレヨンしんちゃん風の子の見上げている感じがいい!

あまりの精巧な職人技とお茶目な演出に「スゲバラシイ!」と叫んでしまう。これを「スバラシイコケシ」と呼ぼう。

さっそく友人たちに見せびらかす。その後、いつものバーに立ち寄り、ママさんや常連客にも見せた。バーでは「ふうん」とか、「小さいのに結構いい値段するね」とか、まあ街場の常識的な反応であった。変人扱いされなかっただけ愛に満ち溢れたバーだと言ってもいいかも。

スバラシイコケシは、中に入っている小さなコケシたちがエノキの頭ぐらいのサイズなのに、細かい縞模様や紅花模様が描かれている。一般的にマトリョーシカの一番内側に入っているチビマトリョーシカが見るも無残な大雑把さで仕上げられているのとは大違い。日本の職人技だ。

ま、ここでこの作者のことだとかを書いてみたい気もするけど、実は私は薀蓄が苦手。薀蓄はコレクターの「発見の喜び」を無惨に打ち砕いてしまう。そういう目録的な情報を「ディープな会話」などと言われてしまうと、身も蓋もない。たとえば骨董品を集めているときに、「それはXX作なので、お値打ちです」と言われたら、購買意欲が私の場合は萎えてしまう。

旅先&出先でみかけたものを「発見」し、さらにアンテナを張っていると自分が最初に買ったものよりも「もっと面白いものがある」ということをどんどん知る喜び、所有してみてはじめて身をもって知る「適正価格」という経済&金銭感覚(要はバクチ的な感覚)を心ゆくまで堪能したい。「また買ってきた」とディスる家人への対策についてあれこれと考えるめぐらせる「共同生活の綱渡り」もスリル。

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