岩を打ちつける滝の音に耳を澄まして無心になれば、竹やぶの青み、積もる雪、空を舞う雪で目を癒し、そして湯けむりの香りを楽しむことができる。
親孝行のつもりで訪ねた会津若松には真冬の雪が降り積もる。普段、異国の北国に住んでいるからこれぐらいの寒さなんてへっちゃら、と高をくくっていたら甘かった。2時間も外にいれば体が冷え、温泉がありがたい。でもビジネスホテルに慣れている私は温泉宿では落ち着かない。
ラスト・サムライの地、若松城こと鶴ヶ城と、白虎隊が自刀した飯盛山を見学し、会津若松よりさらに雪深い大内宿を訪ねるのが旅の目玉。「八重の桜」の放映終了もかなり前のことだし寒いからなのだろうけど、観光客がほとんどいない。突然地元の年配の人に話しかけられた。
「どちらから?」
「三重です」
「ほお!桑名藩。仲間じゃ!」
歴史を知らなければ難度の高い会話が繰り出され、会話は続かなかった。
司馬遼太郎が「白虎隊のことがなかったら、武士道とは何なのかわからなかったと思う」と話していた。敵に捕まる恥を嫌って自決した白虎隊。「捕まる恥」というのは日本的な考えなのかも。丁度、イスラム国による日本人人質事件が激しく報道されていたので、自己責任を声高に叫ぶ意見の中にはそういう「恥」の文化が脈々と流れているのかも、となんとなく思ってしまった。飯盛山の白虎隊自刀の地から鶴ヶ城の方向を眺めてみた。昔、某漫画を英訳したことがあるけど、それに出てくる妖怪の名前が、白虎、青龍、玄武、朱雀だったことを思い出した。
飯盛山のふもとにあるさざえ堂 – 一方通行のらせん状の不思議な建物
会津鉄道に乗り、会津若松からよりもさらに雪深い大内宿へ。車窓の景色は素晴らしい。大内宿は会津西街道沿いにあって立派な宿場町だったところが、近代化の中で山の中に取り残される形となり、江戸時代当時の姿が今も残っているというところらしい。今は道路が敷かれ、季節のよいときには大渋滞となるとなるほど人気があるが、真冬に来る人は少ない。
私はここで最近生まれた姪っ子にでんでん太鼓を買い、名前を入れてもらった。すると、達筆なおじいさんが「ちょっと待って」と言い、何やら和紙にさらさらと書いている。姪っ子の名前に因み、詩のようなものを書いてくれた。それが気取らず飾らずのストレートな言葉だったので感動した。これはボランティアであのあたりの老人が子供のために書くものらしく、「子供大切にする」ということの表れかも。閑散期に行ってよかった。
それにしても、平日ということもあったけど、日本のシニアの旅行者はこんな雪の中でも多く、みんな楽しそうだった。


