少し前に遡るけど、突然思いついて一人カンタベリーへ。チョーサーの『カンタベリー物語』のカンタベリー。イギリス国教会の総本山があるところ。カンタベリー大聖堂が伊勢神宮なら、『カンタベリー物語』は『東海道中膝栗毛』だな。どっちも読んだことないけど。
カンタベリー大聖堂が巡礼の地になったのは、トマス・ベケットという大司教が殉教してからとのこと。聖堂の中で残酷な様子で殉教していてそれが見所。ヘンリー八世の暴虐の跡も見ることができる。ヘンリー八世はローマ・カトリック教会と袂を分かち、イギリス国教会を立ち上げ、その首長になったのだから、もともとローマ・カトリック教会だったカンタベリー聖堂はそのとばっちりを受けている。そのほかにもいろんなとばっちりを受けているので、その「傷跡」は色々と聖堂内にうかがえる。ちなみに私は「ザ・チューダーズ」が好きなのでヘンリー八世は私の脳内ではいつもジョナサン・リース=マイヤーズ。
蝋燭の灯っている場所に祭壇があったのに、ヘンリー八世の命令で破壊
修復中のステンドグラス
私が訪ねたのは夏の観光シーズンも終わって、ひっそりとした時期。この大聖堂とセットで世界遺産になっている聖オガスティン修道院は閉まっていたし、聖マーティン教会もその日は閉まっていた。しかし、聖マーティン教会の墓地が見事に緑色に苔むしていて、古い墓石をたった一人で見て歩くのは神秘的体験。昼間なのに誰もいなくて、私が歩けば鳥がバサバサバサッと逃げていくので恐ろしい。聖マーティン教会は英語圏で最も古いキリスト教の教会で、建物にはローマ人の作ったレンガが使われている。そんなところにたった一人。墓石が崩れ落ち、棺桶が半開きになったとしても不思議はない。墓地好きのイギリス人知人とここの墓地がよかったと伝えたら「あそこはいいよね!」と目を輝かせていた。
当たり前だけど、人の少ない教会を訪ねて、教会とは祈りの場なんだなとあらためて思った。霊験あらたかな気持ちになれる。独りだし、夕方にもまた大聖堂に行って変声期前の少年たちの賛美歌合唱とお祈りを聞いてきた。これは毎晩やっていて、誰でも参加できるらしく、参加者は地元の仕事帰りの人や家族連れなど、総本山なのに地域密着している様子。お祈りもイギリス国教会だけあって「Save the Queen」という文言があった。
カンタベリーはロンドンからは乗り換えなしの電車なら55分ぐらい。簡単に日帰りできる距離なのにロンドンに嫌気がさした私は二泊。人に話したら「あんなとこで二泊?」と驚かれた。カンタベリーの町には大学が二つ三つあって若い子が多い。彼らがいなければ結構地味な街かも。
宿泊のホテルの私の隣の部屋に犬連れの老夫婦が泊まっていて、犬を置いて食事に出掛けている間、おいてけぼりの犬がギャン鳴き。小さなホテルだったので、宿泊客がほぼ全員フロントに文句を言いに行き、「犬が可愛そう」ということでホテルの人がわんこを救助。その後勢いでみんなでお酒を飲みながらおしゃべりタイム。そんなことを知らずに戻ってきた老夫婦は平謝り。


