パリで質の高いマトリョーシカに出会った後に、ミュンヘンで見つけたマトリョーシカを見ると「絵の巧さ」の違いが歴然としているのを感じるけど、バカっぽいところが愛おしいミュンヘンのマトリョーシカについても書き残しておこう。
質が高いとか低いとかというのは、見比べてみて初めて実感できる。それは値段にも反映されているけど、質が高いからといって、可愛い、自分のものにしたい、欲しい、という所有欲には直結しない。それを持っていると和むとか癒されるとか、幸福を感じるなんてことも大切。あくまで私にとっての話だが。
ヘンに「ブランド」とか「老舗」とか「皇室御用達」とかいうものがないのがマトリョーシカのよいところ。マトリョーシカの相場を吊り上げている人も存在してなさそうだし。作るほうもなんとなく「兼業」でやっている人が多そうなところも、「小銭が稼げて暇つぶしができれば御の字」的な人が多勢を占めていそうなのもいい。大体私は「無欲で芸術に取り組む」なんてことは信じていない。ただ作ったものが思わぬところで、人の心に響き、役に立つ、というのは信じている。
話はもとに戻り、そういう目では「できそこない」に見えなくもない、たとえばこの熊のマトリョーシカ。

「目」の入れ方が雑なため「アホ顔」になっているところがむしろ可愛い。とってつけたような口元の赤い点も、それ、要らんやろう、と思うばかりか、これを2個にしてほっぺにくっつければ「くまモン」になる(なってほしくはないが)。最後の一番小さい子は雪の妖精なのだろうけど、「熊の中に入っている」ところがきゅんとくる。最後が小熊だったら買わなかったと思う。
追記:これは「三匹の熊」という民話のマトリョーシカではないかと、情報が寄せられたので「そうかもしれない!そうだ!」ということで、雪の妖精というのは取り消しします。

こちらのイチゴ姫のほうも、質という点では、顔、イチゴ、水玉、どれをとってもいまひとつだし、一番小さい子にいたっては水子のよう。チリチリの髪の毛だし、だたの白黒で、赤すら入れてもらっていない。それが斬新だったりする。ひょっとして老眼のおばあちゃんが震える手で頑張って絵付けしたのではないか、などと勝手に想像するのも楽しい。
ああ、フランスで質の高いマトリョーシカを見て買って満足はしたものの、私のマトリョーシカの森に入れるとなると、浮いてしまうのではないかと心配だ。平和な森に、階級が生まれて均衡が崩れてしまうかもしれない。

マトリョーシカースト。
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座布団一枚
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