祖国とは国語

藤原正彦、2冊目。

先に読んだ『日本人の誇り』に対しては、知的環境に恵まれている人独特の高圧的なものを感じて「なんだかね」と思ったのが正直な気持ち。でも、『祖国とは国語』のほうは、前半部分は『日本人の誇り』と似た論調だけれど、もっと柔らかな、作者自身の生活周辺事情を綴ったエッセイも収録されていて、「アラ、こんなに愉快な人だったとは!」と読んでいるほうの私の気持ちも柔らかに。最初にこっちのほうから読めばよかったな。

文庫本の最後には「満州再訪記」というのが収録されていて、これが泣けた。藤原さん一家は満州引き上げ組み。80歳を超えた母親や家族を連れて満州を初めて再訪する話。2002年の「考える人」が初出だから、その少し前に長春を訪ねたのか。

最近我が家では第二次世界大戦の頃のアジアの話をよくする。なぜかよくわからないけど。それで映画の「ラストエンペラー」の話になり(今となっては随分昔の映画のような気がする)、溥儀が清朝最後の皇帝であり、満州国の皇帝であることを、教授がようやく理解した。清朝のラストエンペラーであることは知っていたのだが。国際結婚していて伴侶が北米の人で、さしてアジア通でもない人に、この事実がどれぐらい知られているのか、知りたくなってきた。そんなところに、藤原さんの「満州再訪記」を読んだから、俄然長春あたりに行きたくなってきた。ウチの妹は中国語が話せるので瀋陽には仕事で行ったことがあるらしい。

『祖国とは国語』で、「論理とは普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、(中略)そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である」と藤原さんは言う。妙に納得した。私はアメリカのCNNの国内向けのニュースが嫌い。「普遍性のない前提」から出発するのはいいとして、「灰色の道をたどる」のもいいとして、説得力というよりは、執拗にがなりたて、絶対に相手の意見には屈しないことにより「ニュースのエンタメ性」を高めている。そういうことは誰にでも、子供にでもできることなので、「何とかしてほしい」と思いながらぼうっと見てしまう。というか、途中で口を挟み合うのは、「説得力のある表現」を互いに準備してきていないから、故意にやってるんじゃないの?とすら思う。「たまには黙って人の話を聞け!アンダーソン・クーパー!」とよく思う。

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