マトリョーシカを訪ねて箱根の旅

年末、シマネだけでなくハコネにも行った。

去年読んだ「富士屋ホテル物語」をきっかけに三姉妹で富士屋ホテル泊の箱根旅行を決行。箱根がマトリョーシカ発祥の地であることを知り、マトリョーシカを集めている私を筆頭に、三人でそのロクロ木工細工師である田中さんの工房を訪ねようということになった。御年80歳の田中さんは今や箱根あたりでは唯一のロクロ細工師。ご存命中に是非作品が見たいという気持ちが益々募る。

アポの電話を入れると「どうぞどうぞ」と安請け合いとも取れる反応。天皇陛下に作品を献上している大物職人のはず。本当に会ってくれるのだろうか。不安なままレッツゴー。

案の定本人は留守。しかし連絡は届いていてすぐ戻ってくるという。工房は思いのほか小さく地味。しかし中村勘三郎や桂文珍とのツーショットなどもある。やはり大御所なのだろうか。

巨匠を待つ間、店番さんと謎の若者と談笑しつつ作品吟味。展示品が非常に少なく、売品なのかもわからない。ネットでは見たことがない作品を三人で褒めちぎる。すると、謎の若者が「いやぁ、分かる人にはわかってもらえるんだなぁ」と独り呟く。あとで、この若者が田中さんが作った入れ子細工に絵付けしているということが発覚。知らずに素直にけなした作品もあったんだけどお客さんの生の声だと思って許してください。

やがて田中さん登場。「いやぁ、べっぴんさんが揃ってるネ」とテンションをあげていらっしゃる。待ちわびた私たちも質問攻めに出る。話が弾む。

私は桜の花が絵付けされたタマゴを気に入り購入。すると、田中さんが「それだけだと安定しないから」と台を即に作ってくれるという。黒い卵には白木が合うというので「これ箱根神社の杉の木なんだけどさ、いい箱根土産になるだろう?」と原木を持ってきて削り出す。「さすが大御所ですね」とヨイショすると「パクってきたんだよ」と一言。大御所…やることが違う。ロクロ彫りの実演も見せてもらった。しかし私たち三人が横からヤイヤイ話しかけるし、6つの目で注目されてるしで、ちょいと失敗したらしい。「後で壊れたりしたら連絡して。代わりのものを彫ってあげるから」って。でも私にはそんなちょっとキズのあるもののほうが思い出に溢れていて嬉しい。このタマゴは入れ子ではないから、可愛らしくするため、田中さん作の独楽を買って入れてみた。

本物の鶏の卵ぐらいの大きさ

小さな独楽たち。くるくるよく回る

姉は、田中さんの作品に絵を付けていた絵師で今はもうお亡くなりになっていた人の作品を半端ものではあったけど、譲ってもらった。最初は気が進まなかったようだったけど、きっと自分が持っていても仕方がない、分かってくれる人に譲ろうということなのかもと勝手に解釈。でも古い絵だけあって、実に味がある。

こんな素晴らしい、腰の低い大御所がどこにいるだろうか!私たちは三人とも田中さんの大ファンとなり、さらに妹と私はほかのものも注文。頼んだものは長野県の彫師さんとのコラボで時間がかかる。「来年しか作れないから勘弁してね!」だって。私たちは軽く半日ぐらい田中さんの工房に居座っていたと思う。最後は外まで見送ってもらった。お互いの姿が見えなくなるまで手を振ってお別れ。

実は巨匠は大変ご多忙な方らしく、年末にわざわざ足を運んだ私たちに特別な計らいをしてくれたのではないかということらしい。是非是非健康で長生きして、私たちの注文分を完成されたし!

マトリョーシカとの大きな違いは、素材となる材木の質が箱根のもののほうが格段にいいということかな。もちろん絵も違うし、箱根のものは七福神など縁起ものが多くて女子受けしないと思うけど、できればそういう伝統的なものをずっと作っていて欲しいな。

追記
後で箱根湯元の風知草というギャラリーで田中さんの作品を見かけた。その店のセンスが素敵だったので立ち寄り、工房訪問のことなど店のおばさんと談笑。素朴な木彫りの入れ物を見つけると「これは田中さんのお友達の作品だから、箱根のものじゃないけど置いてある」と言う。「これはきっと田中さんとコラボしている長野県の彫師さんだ!」と私たちは力説。その「農民彫り」と言われる素朴な彫り物は、ちょっと南米や東南アジアの工芸品を彷彿させる。これは長野県上田市のもの。かわいいねー!

箱根駅伝をテレビで見ていたら、やっぱり田中さんの工房の前の道がコースとなっていた。ひょっとして田中さんが沿道で応援してるかも!なんて淡い期待をして見ていたけど、全然映ってなかった。宮ノ下の富士屋ホテルはさすがに実況中継中に一言あったけど。楽しかった旅を小田原からなぞるような駅伝中継はすごく嬉しかった。

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