ドウロ河クルーズ – ピニャン行き

歩き疲れたし、人に勧められたのでドウロ河のリバークルーズを試してみることにした。とても長い川でスペインまで続いている。クルーズ会社はたくさんあってネットで予約もできるみたいだけど、私は現地の宿泊先のホテルのフロントデスクにオススメを聞いて予約してもらった。ホテルまでお迎えに来てくれるというのでそれもお願いした。

フロントデスクのお姉さんが、川を下るクルーズもあるのだが「この川は遡ったほうがよい」と断言するので、アドバイスに従う。どこまで遡るかにも選択肢があり、日帰りから数日間ものがあるが、私は日帰りで行ける所まで行くことにした。午前8時出航で午後5時にピニャン着、45分ぐらいピニャンで休憩し、午後9時に電車でポルトに戻るという、朝食と昼食付きコース。


桟橋に行ってみると、時期がアレなのか、クルーズ会社がアレなのか、アジア人は船の中で私独りで、単独参加者は私とルーマニア人の女の人だけ。このルーマニア人と私は仕事を持っているタイプだし旅行好きということで共通点あるかもと思い、英語もわりとできるので朝食時に話をしてみた。しかし何事も否定的な視点で見るタイプであった。旅のお供にはキツイ… たとえば、船上で家族の寝顔写真を撮って遊んでいる人を見ると「こんなに美しい景色の中にいるというのに馬鹿じゃないかしら」と必ず口に出して言う。嗚呼…


ドウロ河は川幅広く素敵な大橋がたくさん架かっているし、曲折も激しく、大きな水門をいくつも通過する。景色も美しく、可愛らしい村や廃墟、発電所や送電所、採石所なんかも見えたり、鳥や羊にも出会える。有名な段々畑の葡萄農園は綺麗だけど、ネットやガイドブックにあるような写真は航空写真で上から撮られていて、船から見上げると段々になっているのがかろうじて分かる程度。それでも綺麗ですが。日本の茶畑の畝を見て綺麗!と思っても何時間も見とれたりしないですよね。私は船上でヒマしてました。何時間もぼんやりと景色を眺めるだけなどという贅沢な時間を過ごすなんて滅多にないので転寝したり、写真撮影したり、人とおしゃべりを楽しんだりした。


葡萄の産地とあって夏は太陽は燦々と輝き、乾燥した土地柄なので夏は山火事が多く、放火も頻繁に発生しているらしく、この日も山火事の煙がモクモク。クルーズ船の後方から小さな飛行機が3機飛んできて、船の真後ろにダイブしたかと思うと、しばらくしたらまた忙しそうに飛び立っていった。これは山火事の消火活動にあたっている飛行機なのだと人に教えてもらった。その機動力溢れる飛行に感動して写真を撮っていたら、ルーマニアの女が「そんなものの写真とってみんなバカみたい」と言い放ったけど、あとでヤツがカメラをプレビューモードにしてこれまでに取った写真を眺めているときにヤツも飛行機の写真を撮っていたのを横目で目撃。

しかし私はとってもラッキーでした。ポルト近郊の地元民、ポルトガル人一家の1人が独りの私を気の毒に思ったのか拙い英語で話しかけてくれた。9時間に渡り同じ船の甲板でしゃべったり昼寝したりしたので濃密な時間を過ごした。お八つも分けてくれた。彼らも言っていたけど、クルーズの旅はレグアからピニャンの間のほうが綺麗です。川幅が少し狭くなりもっとより自然に近づけるから。クルーズにはレグア行きとピニャン行きがあったんですよ。ピニャン行きにしてよかった。

最終地のピニャンは小さな村で土産物屋さんとバールが何軒かある程度。でも「こんな僻地まで来たのか!」という達成感がある。鄙びていて観光客がお金を落とすにも落とす場所がなさそうな村ですが、鉄道の駅があるのでたぶんここにクルーズが停泊するのでしょう。レグアのほうはホテルも立ち並びちょっとした町だった。

ピニャンの駅舎

そのうちポルト行きの電車がやってきて、ルーマニア人と一緒に(一応旅の仲間で色々話はした)ガタゴト揺られながら帰ってきたけど、「ポルトガルの交通機関とか信号ってわけわかんないわ!」とまた文句言い出したので、「ルーマニアはそんなにいいの?」と初めて嫌味をこめてみた。ポジティブな私には理解に苦しむタイプの人だな、やっぱり、と最後の2時間は数読に没頭するフリしてほとんど口を利かずに帰ってきた。「こんなとこまで来て数読やるバカな人!」と思われていたことでしょう。

私に親切にしてくれたポルトガル人一家が一足先に途中下車していくので、「カナダにいつかくることがあったら連絡してね!」と数読のページを一枚破って、それにメールアドレスを書いて手渡したら、家族で唯一英語ができる女の子が涙目に。この家族はお父さんが問題児でして、クルーズ船を途中で降りようとしたり、電車がもうすぐ来るというのに線路を歩いてどこかに行こうとしたりして(Stand By Me のように)、そのたびに家族に叱られていたのでした。その娘が唯一英語が話せるので(拙いけど)、私に色々話しかけてきてくれて、「私のお父さん、….(英語が出てこない)…」というので、「Troublemaker?」「あ、それそれ!」なんていう会話もしたのです。

カンパニャン駅でルーマニア人ともお別れ。「ナイストゥシーユー」と社交辞令を満面の笑顔で交わした。私の笑顔は「お前とやっとおさらばだ!」の解放の喜びに満ちた笑みだったけどな。

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