忙しかった…毎日10時間は椅子に座ってタイプしていたので腰が痛い。
なぜ日本では「ショップ」といいアメリカ英語では「ストア」というのか、ということに悩まされる仕事をし(ググればそんな答えはすぐ出るのだけど)、慣れというのは恐ろしく英語では「STORE」と書かなくては落ち着かない。ちょっと疑問に思って立ち止まった程度のことですが、それでも固有名詞で喩えると「iTUNE ストア」とはいうけど「iTUNE ショップ」とは言わない。ちなみに、アメリカ英語では STORE ということが多く、当然英語主導のネットの世界のオンラインストアは STORE と呼ばれ、SHOP とはあまり言わない(けど別に間違いじゃないしどっちでも可)ということなだけなのです。
Grocery store, Bookstore, Department store, Store locator, Corner store, Drug store などなど枚挙に暇はなく、店の大きさには関係ないし、店がいっぱい並んでいるストリートのことを、There are lots of shops on Bloor. なんていうし。もしかして言語学上歴然たる違いがあるのかもしれないけど別に日常生活でそんな違いを知る必要もないし。
日本語で「魚屋」は正解だけど「魚店」とはあんまりいわない。それぐらいの違和感があるのかと人に聞いてみたけど「別に」と言われたし(聞いた人が言語学的に無頓着なだけだったかもしれない)
話は変わりますが、間借りしている事務所関係でネットワーキングイベントに行きました。なんでそんなものに行こうかと思ったかというと、カナダに住んでいるくせにほとんどカナダ企業やカナダ人と仕事をせず、遠隔でアメリカ人かアメリカにいる日本人としか仕事していないので、地元に密着する努力をしてみようかなどと思い… 背が低いし声も通らないし、内弁慶だし、「壁の花」になりがちな性格な上に、緊張すればとんでもなく不適切な会話をしてしまう癖もありまして… どこの国にいようと、不特定多数の人が現れるパーティーは苦手です。日本人だとか日本通のガイジンが集まるパーティーでも苦手です。もう水村美苗の『私小説』並みに、日本と北米の間で揺らいでます。
『私小説』は本当に英語が多いですね。驚きました。でもあのごちゃまぜぶりはものすごくよくわかります。同年代の友達でも興奮すれば「Get this!」といいながら、ウワサ話を持ちかけて残りは全部日本語で話す。はたまた在米歴の長い老人や日系年配者と話すとき、向こうが和英チャンポンで喋りかけてくると、私もつられてチャンポンで返す。日本語で話していたのに英語で返事が返ってくると、「あれ?今の日本語分からなかったのかな?」と次の言葉を英語で返したら、今度は日本語で返事が返ってる… というかんじで。
『私小説』って他言語に翻訳できませんよね。日本語と英語の距離感が重要な話だから。そして国を隔てたぼんやりとした「浮き草」感は私にもあるのでそれはよく分かる。民族的帰属意識が強いのに居住地が自分の民族が多数派を成すどころか少数派なので浮いているのに、故郷に帰ってみたところで居場所がない… というような。私は今のところどこかに根を下ろしたい願望もないので悩みにはなっていませんが、「帰っても無理だろうな…」という客観的判断ぐらいはできます。ところで、この本、文章も美しいですが、挿絵的に入っている写真がいいですね。文章にあっている。でもねぇ、やっぱり「私小説」ってだけあって、内面を掘り下げすぎることによる読者側の疲労感はありました。「愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴ウルサイ!」みたいな。Don’t show me your dirty laundry!
ま、でもそれが私小説というものですよね。
わざと日本語で書かれる場合によく見られるような文章構成にしたつもりなんですけど、わかります?

