本格小説

水村美苗の作品はいろんな人から薦められてきたけどやっと初めて読んだ。年齢層高めの海外在住女性から薦められる。たぶん、日本の敗戦、高度成長期、バブル期という時代の流れが、「祖父・祖母」、「親」、「自分」に被っていると自分の体験に重ね合わせることができるからかも。

重なっていなくても、「嵐が丘」を日本語の文学として書き直しを試みた作品なので、そういう文学が好きな人にはやっぱり読みごたえもある。この本を読んでいる最中にディカプリオの「ギャッツビー」を観に行き、『本格小説』が『グレート・ギャッツビー』に似ていると思っていたら、ツイッターでも同じことをつぶやいている人がいました。タロちゃんがギャッツビーで、おフミさんがニックなんですよね。女中のおフミさんはカズオ・イシグロの『日の名残り』の「執事」を思い出させる語り口でもある。でも類似性を感じたのは、生まれながらに排除されている階級の存在をありのままに受け止めて生きる人と、それを恨んでいる人、という位置づけからなんだけど。

あの「本格小説」の導入部の水村美苗本人の回想は、あれは事実?それとも作り話?人に聞いてみたら「それを検索したアナタが負け、と巷では言われているらしいよ」というので、「どっちでもエエわ」と負け惜しみを言っておきましょう。

でもあの部分にははっとさせられました。あの頃私もパロアルトに住んでいたので、エルニーニョ現象によるあの記録的な大雨覚えているもん。それにはやり、在米日本人の間での「日本で暮らすか、それともアメリカか」という悩みに揺れ動く気持ちはよく分かる。時々定年退職あたりを機に、家財道具を処分して日本に帰国する人を見ると、しんみりとした気持ちになる。話がそれていくけど、日本と離れて暮らしていても日本の景気に左右されながら暮らす在外日本人は多い。私の仕事もアメリカ企業が日本企業とのビジネスを狙っている限りは絶えない。逆に仕事はさっぱり転職をせざるをえないことだってあるし。そういうところがあの導入部分に描かれているから、海外在住者にはぐっとくるのかも。

次は「私小説」借りたからから、それ読みます。横書きのやつ。

話がさらにずれますが、ディカプリオ版の「ギャッツビー」は私にはなんだか残念でした。ギャッツビーの謎めいた金持ちぶりを誇示するパーティーのシーンがものすごくつまらなかったから。あの部分がほかのギャッツビー映画と大きく違うところだから、あれがいいという人もいると思うけど。

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