Doors Open Toronto 2013 では Mackenzie House をチェック。
これはカナダがイギリス植民地支配から独立する上で重要な役割を果たしたウィリアム・ライアン・マッキンジーが晩年の短い間だけ住んでいた家です。彼はこのあたりのカナダが「アッパー・カナダ」と言われていた頃のトロント初代市長。彼の孫は第二次世界大戦時のカナダ首相、ウィリアム・ライアン・マッキンジー・キングで50ドル札紙幣のデザインにもなっています。
1812年戦争での勝利でアメリカ支配を逃れたアッパー・カナダはその後イギリス支配から独立する必要に目覚めます。イギリスから任命された人々による政府ではなく、植民地住民が自ら選出した人で築く政府樹立を目指し1830年代に反乱を起こします。マッキンジーはそんな「改革派」の中心人物。イギリス領アッパー・カナダから追放され、先にイギリスから独立を勝ち得たアメリカで逃亡生活を余儀なくされるなど様々な憂き目にあいますが、農民などからは圧倒的支持を誇っていました。
マッキンジーは自分の政治的意見を世間に伝えるために活版印刷所も所有。政敵に印刷所を襲撃され活字をオンタリオ湖に捨てられたり、その報復に壊れて使えなくなった活字をマスケット銃に詰めて反撃したり、当時の印刷技師たちも命がけ。そんな印刷所を復元したものがMackenzie Houseにあります。今はここで当時のマッキンジーの新聞などをお土産用に印刷しています。私は新聞より「牛、見つけました」のほうが気に入って2ドルで購入。普段も一般に公開されているとのことなので是非一度訪ねてみてください。
あれから200年経った今のカナダもやはりイギリスの影響を受けていますが、今はアメリカとは一線を画すためなのか、カナダ軍の名前に「ROYAL」という単語を2年ぐらい前からまたくっつけたりして(カナダ軍の最高司令官はエリザベス女王なので)、イギリス連邦の一部であるというアイデンティティを押し出しているようなところがあるように見えます。イギリスの影響というは綿々とカナダに続いていて、それをどう考えるかというのが現代カナダ人にとっては非常に重要なことのようです。トロントに住んでいるととてもアメリカの影響が強いように思いますが、NAFTA 以前のカナダってどんなだったんだろう、なんて想像してしまいます。
ところで、私が足繁く通うパブのひとつに「REBEL HOUSE」というのがあって、この店名の由来は1837年に起きた反乱のちなんだものです。マッキンジー率いる改革派(反乱者)がヤング・ストリートからトロント市街地へなだれ込もうとしたとき、エグリントンとブロアの間で政府軍と乱闘に突入。反乱軍は敗走、何人かは絞首刑となりました。まあそれでその乱闘があったあたりにあるパブということで「REBEL HOUSE」、そして店のロゴが絞首刑になっている人なんですね。このパブはビールやワインの品揃えがよいばかりでなく、ゴハンも美味しいのですよ。
トロントのパブには Betty’s (カリフォルニアのベティ・フォード・クリニックと名前で揉めた)をはじめ面白いところがあって、そういうところから歴史を探るのも私の趣味です。
Mackenzie House
http://en.wikipedia.org/wiki/Mackenzie_House




