このエッセイ集も「米原さんの本がもっと読みたい」と周囲に言いまくっていたら風に乗って私のところにやってきました。でも読んだことがあるような気がする。クンクン。でも私の読書リストに書き込んでない。書きもれ?でも記憶が薄れていたため楽しめました。
こちらのエッセイ集は過去に新聞や雑誌で掲載された短めのものが多かったのですが、「『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由」というのが収録されていて、それが面白かった。アーニャが「私はもうイギリス人なの。国境なんてなくなればいいわ。」と発言したことが米原さんとその他の幼馴染には欺瞞に映ったことが発端とのこと。
私も「アイデンティティ」についてはよく考え、自分の中のアジア的、日本的、はたまたアメリカ暮らしが長いことによるアメリカ的なところが一つの体の中でごった返している感じなので、日本人なのに「私はアメリカ人だ」とか「カナダ人だ」とはっきり言い切れる人に対して相容れないものを感じる。私はそうは思えない。居住地に馴染んできたことを指して「私ももうすっかりカナダ人よねぇ」なんて言う場合は別として。
私の場合、アメリカ生活が長く、カナダの生活も長くなりそうな上、しかも日本に帰るよりもほかの英語圏にまた移住する可能性が高そうな生活をしているので、望郷の念も日本とサンフランシスコの両方に対して沸く。言語的には職業柄英語どっぷりに浸かって英語だけ流暢なら大丈夫というわけにもいかない。英語が母国語でないことによって過小評価されたり社会の隅に追いやられるわけにもいかない。単に国籍を持っているところに帰属意識を感じるというようなレベルではない。アメリカには自分の都合で移住したけど、カナダに来たのは自分の都合じゃない、などと移住のきっかけというのも大きく影響する。私はカナダに馴染めなくて苦しんでいるわけではなくてむしろ逆。でもそれはアイデンティティとはちょっと別の次元の問題。
+++++++
話は変わりますが、この三連休中に真夜中に犯行を目撃。目撃者2として警察に
「最初は素手でショーウインドウのガラスをバンバン叩いてた。」
「ガラス割って小さな家具を盗んで逃げた」
「左と右の靴の色が違った」
などなど証言するやすぐに警察はほかのパトカーに無線連絡し、話している最中に容疑者発見。速い!家具を持って逃走したんだけど、途中で道にその一部を落っことして、値札もヒラヒラ。42ドルだった…
「ショーウィンドウ修理代のほうがうんと高くつくよね…」というおそらくは酒かドラッグでハイになって自己コントロールが効かなくなった若者の犯罪現場に私は居合わせたのでした…

