CLOUDBURST とは土砂降りという意味です。
アメリカの連邦最高裁で同性婚の合憲性をめぐって裁判の審理が今週あったわけですが、私はアメリカではかなりリベラルなサンフランシスコに長く住んでいたとはいえ、同性婚が認められているカナダに引越して来てみると、あの揉めぶりは一体何なの、とまるで他人事みたいに思えます。権利とはいったん手にすると空気のように当たり前のものになるのですね。有休を取る権利があるのに取らないように。
その「空気のような当たり前さ」は「CLOUDBURST」という映画を観てしみじみ感じました。カナダにだって同性婚に反対している人はもちろんいるのに、権利として認められているということはこういうことなんだなと。
これは、おばあさん二人がカナダで結婚するためにアメリカからドライブしていく話。テルマ&ルイーズよりずっと年寄りです。結局は人生の終わりを自分たちの希望どおりに結ぶわけなのですがそれは本当に長い道のりです。同性愛者の権利云々というよりは、もう少し別のレベルでもしがらみはあり、それは「人間の尊厳」の問題であったりするわけです。老いて寂しく暮らす人たちが残されたわずかな余生を自分の好きな人と過ごしたいのに、それが新しい恋人である場合に家族に大反対されるのにちょっと似ています。つまり幸せとは何かという…
私はそもそもオリンピア・デュカキスのファンなので、この映画をかなり贔屓目で見ましたが、とてもよかったですよ。今81歳なので新作にはあまり出てこないから貴重。
ところで「結婚」の威力って離婚するときか移民申請のときに大いに発揮しますよね。私は離婚も経験したことあるし、移民もアメリカとカナダで2回経験したのでよく分かります。離婚も移民も結婚よりうんと辛くて長いプロセスで、ヘタしたら結婚よりお金もかかるしね。
それに実際に同性婚が最高裁で認められたとしても、誰が同性婚に反対する土地に好んで住みますか。怖いのは法律よりも人の心じゃないですか。自分が自分のままでいられない土地には住みづらい。法律でたとえ同性婚が認められたとしても、カナダがそうであるように、同性婚を快く思わない人はいるのだから、互いに安住の地に居たいと思うのが本音でしょう。法律も重要だけど世間の人の価値感ほど変化に鈍感でコンサバなものはないなと思います。変化にいつも敏感でいる必要もないから当然のこと。
私なんかは、結婚にも離婚にもライセンス取得などにお金を払わなければならないので、州政府にはいい収入源じゃないですか?なんて思っています。結婚式にドーンをお金を注ぎ込む人も増えたりして、経済効果はかなりあると思っています。そんな経済効果を目の当たりにすれば、人の心なんて案外簡単に翻ると思います。それは各国のゲイパレードにどれだけたくさんの企業が寄付をし、ゲイ・フレンドリーさを謳って広告をバンバン出していることでもわかりますよね。
あ、でも誤解しないでね。私は同性婚が認められたらいいなと思っています。オリンピア・デュカキスのファンになったのも「寛容」とはどういうことかを私に教えてくれたテレビドラマに彼女が性転換者の役で出ていたからなのですから。
