日本の日常生活のこと、あまり知らない人たちと一緒に見た。田んぼの風景に説明が必要だったし、日本なのに全然ハイテクじゃない生活送っている人たちがいることにショック受けてたみたい。
英語のタイトルは「Sawako decides」で、いい訳だなと思った。真ん中より下でいいじゃない!という開き直りがテーマだけど、英語で lower-middler になってて、「これすごくいいわー。私も今度から使おう!」と思いました。
そのー、でもー、日本をあまり知らない人たちがですね、「主人公が開き直るきっかけが一体なんだったのかつかみどころがなくて、そこんとこミソだったと思うけど、逃したみたいだからなんだったわけ?」と質問してきました。
なんだったんでしょうね?
SNL で「ホワイトピープルズプロブレム」っていう、黒人が白人の悩みに突っ込むやつを見たことあるけど、まさにあんなかんじなんですかね?
あの、思うんですけど、日本社会は均一な部分が多いので、「平均あたり」というのがどのあたりか経験的にみんなが知っていて、そこからどれぐらいずれるかによって「笑い→嘲笑→軽蔑→バッシング→村ハチ」というのがあると思います。だから個人的なことに面と向かってちゃちゃ入れしたりすることが多いような気がします。そのだから平均からずれてしまうことに大きな悩みが発生するんだと思います。でも、この映画はそれだけじゃなくって、テキトーな線で日常生活を収めつづけると、最終的に虚しさが募るので、それに対する反発っていうか、「これじゃいかん!」というのがありますよね。百均で身を固めていると「百均な人」にしかならないのと同じで。たとえが悪いか。
でも、私は実は「普通が一番」という納得の仕方とか、「普通より下でいい」ときっぱり言うことが大切とか全然思わない。そういう発言自体が「平均への媚」のように聞こえるから。この映画は「自分を愛せるようになるために」という意味で↑こういうこと言っているとは思うけど。
